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人生は常に過去の自分との比較。間違っても比較対象は他人にしてはいけない。

    • 勇気をもってインプットをやめる

      情報があふれる社会現在は情報社会といわれているように、日々多くの情報が目に飛び込んでくる。 それもとんでもない量のものが、とんでもない速度で。 そんな中で、有益な情報はどれなのかを見極めるのは大変なことだし、そんなことをしていたらそれだけで人生が終わってしまいそうだ。 限られた時間の中で、それぞれが情報との向き合い方を考えないといけない時代になっているのかもしれない。 大体は読んでいるつもりおそらく、ほとんどの情報は目に入って、その場で消費して次の瞬間には忘れてしまう

      • 人間は大切なことさえすぐに忘れ去ってしまう。だから、大事にしたい価値観や言葉は、定期的に思い起こすことが必要。心の余裕がなくなった時にふと立ち止まって、何度でも思い出そう。

        • 人生はドラマじゃないから、毎日毎日劇的なことは起こらない。そこで「退屈だな」と思うのではなく、繰り返しの日々だからこそ、日常にあるささやかな幸せだったり、ありがたみを感じること、小さな楽しみを大切に生きていきたい。

        人生は常に過去の自分との比較。間違っても比較対象は他人にしてはいけない。

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          なんとなくだけど、抑うつ的な気分の時の方が書きたいことが浮かんでくることが多い気がする。あれこれ考えて、深堀するからかな。

          なんとなくだけど、抑うつ的な気分の時の方が書きたいことが浮かんでくることが多い気がする。あれこれ考えて、深堀するからかな。

          人生は楽しんだもん勝ち。あらゆることを楽しめた方がいい。そのためには、いろんなことを許容できる器が必要だし、教養も必要。

          人生は楽しんだもん勝ち。あらゆることを楽しめた方がいい。そのためには、いろんなことを許容できる器が必要だし、教養も必要。

          今までの20年間と、これからの20年間を同じ時間と捉えてはいけない。時代の変化の速度は以前より確実に速くなっているから、同じ20年という時間でも変化量で言えば数倍になっているはず。

          今までの20年間と、これからの20年間を同じ時間と捉えてはいけない。時代の変化の速度は以前より確実に速くなっているから、同じ20年という時間でも変化量で言えば数倍になっているはず。

          「期待」が心を蝕む

          なにかが辛かったり、失望したり、絶望したりするとき、そこには必ず「期待」がある。 努力が報われないことが辛いのは、努力した分だけ実力がつくことを期待しているからだし、人生がどうしようもなくつまらなく思えるなら、人生はもっと楽しいものだという期待があるからだ。 もし誰かに腹が立つなら、その人にもっと他の振る舞いを期待しているからだし、仕事が辛いなら、仕事になにか大きなやりがいや、天職のようなものを期待しているからだ。 現代はインターネットを通して、様々なライフスタイルや、

          「期待」が心を蝕む

          大切な人と過ごす時間に勝るものはない

          仕事が休みの日は、基本的に仕事や趣味の勉強だったり自分のための時間に充てたいと思うことがほとんどで、そういう時間の使い方をしていないと、落ち着かない体になってしまっている。 でも、今日は疲れていることもあったし、急遽連絡を入れて実家に帰ることにした。 朝から実家で家族と話しながら、ダラダラ過ごしている時間を少しもったいなく感じている自分も心のどこかにいたのだけど、今になって考えるとすごくリラックスできて、贅沢な時間だったなと感じる。 日々、社会的な生活を営んでいるとつい

          大切な人と過ごす時間に勝るものはない

          「なんのために」を考えすぎない

          毎日を生きていく中で、「これってなんのためにやってるんだっけ」とか「これってなんの意味があるんだっけ」という考えが、ふと頭をよぎる。 その対象は、毎日の仕事、勉強、趣味など多岐にわたり、それぞれについて目的や意味を考え直してしまう。 年齢という尺度で言えば大人になった今、子供の時は無意識にできていたような、「楽しいと思うことを純粋に楽しむ」ということが難しくなったように感じる。 同級生と語り合う内容は、遊びやゲームの話から、仕事やお金、結婚についての話に変わった。 夢

          「なんのために」を考えすぎない

          「大人」になんてなれっこない

          ある一言に、僕はイラッとした。 思いのままに怒りをぶつけてもいいのだが、そこで怒りをぶつけてもどうにもならないことは、経験からよくわかっている。 ただただ怒りに任せて言いたい放題言うだけになり、一時のストレス発散で終わる。 根本的な問題はまるで解決していない。 そしてまた、同じようなことでイラッとする。 それの繰り返しだ。 なにかにイラッとする度に「自分はまだ子供だなぁ」と思う。 自分は子供だなぁと思いながらも、冷静に考えてみると、「大人」の定義がわからない。 「大

          「大人」になんてなれっこない

          「終わり」があるからこそ「今」を生きられる

          この世にあるほとんど全てのものには「終わり」がある。 もし「終わり」がなかったとしたら、人間はあらゆることに対して、なんのありがたみも感じることができないだろう。 大半のことは失ってから、そのありがたみに気づく。 そうならないために、今からできることをやろう。 終わりが訪れたとき、後悔しないように当然だが、命もいつか終わる。 それは現時点では、もうずっとずっと先のことのように思えるかもしれない。 でも、明日を生きられる保証はどこにもない。 これは自分だけに限らず、全て

          「終わり」があるからこそ「今」を生きられる

          あなたは「褒められない人」になっていないか

          あなたは人を褒めることができるだろうか。 僕は人の「いいな」と思うところを見つけたら、それを褒めるようにしている。 「褒める」と言うと、なんだか上から目線なニュアンスになってしまう気もするが、決してそういう気持ちはない。 また「褒める」とは、思ってないことを言って相手をコントロールするような行為ではない。 当然、素直に思ったことを伝えている。 褒められない人々「人を褒めることができない人」は意外と多い。 理由はよくわからないが、相手の欠点ばかりに焦点を当てている人

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          「ネガティブ」にだって強みはある

          社会ではなんとなく「ポジティブは良いもの、ネガティブは悪いもの」といった風潮があるように感じる。 「ポジティブになれる」ということを売りにしている商品も少なくない。 果たして本当にポジティブは良いことで、ネガティブは悪いことなのだろうか。 僕は全くそんなことはないと思う。 どちらも一長一短であるからだ。 なぜポジティブな人に憧れるのか僕がポジティブな人に憧れる理由はなんといっても、「毎日を楽しそうに生きてるから」だ。 もちろん、ポジティブな人にもそれなりの事情がある

          「ネガティブ」にだって強みはある

          内向的人間は全員「発信活動」をするべき

          あなたは「発信活動」をしているだろうか。 もし、まだしていないのなら今日からでも始めてみよう。 発信をすることによって、人生がより充実すると言っても過言ではないだろう。 なぜ発信をするべきなのか理由は4つある。 1.自己表現ができる 2.自分と向き合う時間ができる 3.他者に貢献できる可能性がある 4.スキルを磨くことができる 「自己表現」ができる内向的な人間にとって、人前で自己表現することはとても難しい。 おそらく自分のことを話す時間よりも、人の話を聞いている時間のほう

          内向的人間は全員「発信活動」をするべき

          「羨ましい」がとまらないあなたへ

          あなたは人を羨ましく思うことがあるだろうか。 おそらく、「人を羨ましく思ったことはない」と言える人はいないのではないだろうか。 僕はどうかというと、街を歩くたびに羨ましくなる。 「街中で彼女の腰に手をまわしている男」「電車の中で大きい声で話している人」なんかが羨望の的だ。 そういう人たちは「生きやすいだろうなぁ」と感じるからだ。 僕らとその人たちとの違いは、「どれだけ人目を気にして生きているか」にあると思う。 ただ、そういう人になりたいかと言われたらそんなことはない

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