「なんのために」を考えすぎない

毎日を生きていく中で、「これってなんのためにやってるんだっけ」とか「これってなんの意味があるんだっけ」という考えが、ふと頭をよぎる。


その対象は、毎日の仕事、勉強、趣味など多岐にわたり、それぞれについて目的や意味を考え直してしまう。


年齢という尺度で言えば大人になった今、子供の時は無意識にできていたような、「楽しいと思うことを純粋に楽しむ」ということが難しくなったように感じる。


同級生と語り合う内容は、遊びやゲームの話から、仕事やお金、結婚についての話に変わった。


夢や希望を語るよりも、もっと現実的な話や確実であろう未来についての話がメインになった。


そんな中で、お金や、なんらかのわかりやすいメリットに繋がらないことはなんとなく無駄なように思えてくるし、趣味にお金や時間を投じることも無駄なように思えてくる。


一方で、ここまで歩んできた道を振り返ってみると、本当に喜びを感じた瞬間や心に残っていることは、一見すると意味がないと感じる活動の中から得られたものも多い気がする。


友達とただただゲームをした時のことだったり、野球をした時のことだったり。


プロゲーマーやプロ野球選手になれていないという点においては、全く意味がなかったと言える行動かもしれないが、思い出としては色濃く残っている。


結局のところ、なにが無駄で、なにが無駄じゃなかったかというのは、最終的な結果を見てからじゃないと判断できないのだろう。


現時点では結果がわからないのだから、その場その場を純粋に楽しむという行為が人生の充実感、幸福感に寄与することは、なんとなく体感としてわかってきた気がする。


楽しいと思えることをできるだけ増やして、辛いと思うことをできるだけ遠ざける。


言葉にするとすごくシンプルだけど、毎日を充実感で満たしてくれるのは、こういった簡単なことなのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?