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「大人」になんてなれっこない

ある一言に、僕はイラッとした。
思いのままに怒りをぶつけてもいいのだが、そこで怒りをぶつけてもどうにもならないことは、経験からよくわかっている。

ただただ怒りに任せて言いたい放題言うだけになり、一時のストレス発散で終わる。
根本的な問題はまるで解決していない。

そしてまた、同じようなことでイラッとする。
それの繰り返しだ。

なにかにイラッとする度に「自分はまだ子供だなぁ」と思う。

自分は子供だなぁと思いながらも、冷静に考えてみると、「大人」の定義がわからない。

「大人」とは一体なんなのだろうか。

ここでいう大人は年齢としての大人ではなく、精神的な部分も含めた大人だ。

一体どうあれば大人なのだろうか。

簡単に思いつくものとしては「感情的にならない」、「経済的、精神的に自立している」、「自分より他者を優先できる」などだろうか。

確かにこれらは、大人として満たしておくべき条件だとは思う。
でも、果たしてこれらを満たせば大人と言えるのだろうか。

僕がいちばん疑問なのは「諦めることが大人なのだろうか」ということだ。

イラッとしても、「言っても仕方がないから」と諦めるのが大人の対応なのだろうか。

もしそうだとしたら、「本当は言いたいけど言えないだけ」の人も大人として扱われるのだろうか。

よく、子供に対して「大人だね」と言っている人がいる。
それはただ言えないだけ、我慢しているだけ、諦めているだけではないのだろうか。

僕はそれを大人と呼ぶのには違和感がある。

なにか挑発的なことを言われても、心の底から全くイラッとしない人がいるとしたら、それは大人だと思う。

そのような人と僕の差は「余裕」だろうか。

そうだとしたら、その余裕の根源がどこにあるのかによって、大人かどうかは変わる気がする。

社会的地位が高いからとか、容姿がいいからとか相対的な評価による余裕だとしたら、それは大人とは言えないと思う。
相手が眼中に無いからなにも感じないようなものだろう。
見下すような態度は、大人ではないような気がする。

また、怒りに対しては大人でも、その人が誰かに強烈に依存していたり、わがままだったりと、子供の面もあるだろう。

そう考えると、僕が思う「大人」というのは、この世に存在しないような気さえしてくる。

結論として、大人とはなにかを定義づけるのは難しい。

周りを見ていても、この人は大人だなと全面的に思える人はいない。

大人の部分もあれば、子供の部分もあるのが「人間」ということなのだろう。

改めて大人について考えてみて、あまり自分にも他人にも「大人になれ」なんて容易く言うものじゃないなと思う。

「大人になれ」と言っている人も、「大人」がなんなのかをきっとわかっていないだろう。


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