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東京日記〜東京サバイバル遠足

新居に引っ越してから仕事が始まるまでに、2週間の慣らし期間をつくった。使い勝手の良いスーパーを探したり、生活用品を買い揃えたり、伸びっぱなしだった髪を切ったりする。

中でも特に重要な活動は、「東京サバイバル遠足」である。


東京では、何が起こるかわからない。
具体的には、雨が降ったり、雪が降ったり、駅や電車が爆発したりして、「会社から家に帰れない」という事態が起こりそうだ。事実、私が広島から引っ越す2日前、東京ではヒョウが降ったらしい。6月下旬の話である。

ついこの前は、新宿駅でパニックが起こったところだ。刃物を所持した外国人が山手線に乗り込み、逃げまどう乗客で駅構内が大混乱とのこと。
のちにそれは、「退職日にマイ包丁を持って帰宅する料理人だった」と報道された。

真偽のほどはさておき、

人の数が多いと、
小さな火種が爆発を巻き起こす。

パニックは、いつも人がつくるのだ。


話がそれてしまったが、
そういう時どうするか。

タクシーに乗りたくても、
乗れるかどうかわからない。
宿をとりたくても、
とれるかどうかわからない。
だって、人が多いんだもん。

結局は、
自分の足で歩いて帰るのが
いちばん確実なのだ。


そういうわけで、


会社から徒歩で帰宅する練習、
「東京サバイバル遠足」を実施することにした。


サバイバル遠足のスタート地点は、会社の最寄り駅だ。動きやすいティシャツに、足元はスニーカー。リュックにアクエリアスを入れて電車で向かう。

改札を出たら、サバイバルの始まりだ。会社とは反対の方向へ、つまり家の方に向かってひたすら歩く。確かめたいことがいくつかある。

まず、会社から自宅まで歩いて帰ることは、
そもそも物理的に可能なのか?

その道は、夜間に一人で歩ける安全な道か?

道中に、休憩できる手頃な飲食店があるか。
また、そういった休憩スポットがしばらく無い区間はあるか?など。


平日17時、会社の最寄りに着いた。
東京サバイバル遠足のスタートである。

駅をめがけて早足で向かってくるスーツの人並みを、ティシャツが一人、真逆の方向へかき分けていく。
自分だけが異質で、今この瞬間の街から浮き上がっていて、なんだか外国人観光客になったような気分だ。

何かに負けないように、ずんずん歩いた。
オフィス街を抜け、飲み屋街になり、またオフィス街になる。たまの箸休めに家電量販店がくる。

各駅の高架下には必ず飲み屋街があった。
必ず、である。
横川の高架下にある飲食店街、あれが全部の駅にあるのだ。

こんなにたくさんの店があって、その全てに店員役の人がいて
それでもまだ、こんなにたくさんのお客さん役の人がいるのか。どこも賑わっていた。


日頃の運動不足がたたり、1時間ほど歩いたところでへとへとになった。ここらで一旦、休憩することとする。「日高屋」という中華定食チェーンに入った。

店員は中国人。厨房も中国人。
オーダーこそギリギリ日本語でとってもらえるが、店員同士は中国人なので、もはや注文は中国語で通されていた。
もはや客側が中国語を勉強した方がいいかもしれない。

初めて利用した「日高屋」。噂には聞いていたが、数百円でラーメンや中華料理が食べられる。
私は「野菜炒め定食」を頼んだ。本当は「肉野菜炒め定食」にしたかったが、節約のために「肉」の部分をあきらめたのだった。

日高屋の肉なし野菜炒め定食は、中華の名店かと思うほど美味しかった。鼻に抜ける特別な香ばしさが、北京で食べたそれとまったく同じだった。なにか良いお醤油でもあるのかしら。


さて、東京サバイバル遠足、再開である。

長くなるのでダイジェストでお届けするが、

たとえば、大きな公園や人気観光地の周りは、夜はとても暗いのだということがわかった(怖かった)。

バスや地下鉄は、そう都合よく自宅めがけて通っているものではないが
会社から1時間半ほどのところまで頑張って歩けば、残りの工程をショートカットできそうな路線は何本かあった。

長い距離を進むうちに生活道路や古い商店街なども歩いたが、人っ子ひとりいないような道は無かったので安心した。


Googleマップ上ではあと30分で自宅周辺に着く、というところで、最後の休憩をとる。モスバーガーがあった。

メロンソーダと、追加でオニオンリングも注文した。ひよわな身体が、水と塩と油を求めている。
モスバーガーのメロンソーダは、東京でもちゃんとモスバーガーのメロンソーダの味がした。


ラスト20分のあたりから、
なんとなく見覚えのある風景になる。

あと15分、10分、あと5分。
着いた。家だ。帰ってきた。

足が痛いけど、できた。
汗だくだけど、できた。
会社から家までは、
徒歩で帰れることが証明された。

ボロボロでいいのだ。
たった1度でもいいのだ。

「できた」を経験することが、
自分にとってはとても大事だった。

よかった、これで、
いつ駅が爆発しても大丈夫だ。

夏の初めに ちょっとだけ強くなれた

「東京サバイバル遠足」なのでした。

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