アイデンティティハラスメント

今回はアイデンティティがない人はアイデンティティが強い人の言動をハラスメントとして捉えるという記事になります。
今回の記事も以前解説した思春期型メンヘラに該当する人の特性になります。

なおこの記事においてのアイデンティティが強い人というのは、成熟した確固たるアイデンティティを持つ人として捉えてください。
確固たるアイデンティティを持つフリをしている自己愛性パーソナリティ障害が相手の場合は、モラハラに該当する為、この記事で書きたい事とは変わってきてしまうので…。

思春期型の人たちというのは思春期を乗り越えられないまま止まっている状態です。
つまりアイデンティティが確立できておらず芯がないという事です。
そんな彼らにとって確固たるアイデンティティを持つ人間というのはどのように感じられるのでしょうか。

一言で言うと脅威だと思います。
自らのアイデンティティが弱いので、相手のアイデンティティが何処かで眩しくて仕方がない。
そしてそのあまりの眩しさに煩わしさを感じる、妬みや僻みが沸々と湧いてくる。
強いアイデンティティに触れると自らのアイデンティティの弱さを痛感させられるのが怖いのです。

しかしながらアイデンティティが強い人間は同時に彼らにとって依存したくなる相手でもあります。
そこで彼らはその相手を神格化して自らをアイデンティティの強い人間に同化して依存する事で借り物のアイデンティティを手に入れようとします。
※他人のアイデンティティを借りる人についての解説はこちらになります。

しかしながら「ヤドカリ論」の記事でも書いたように他人のアイデンティティを借りて生きていくとその人らしさというのは埋もれていきがちになります。
「自分はこうありたい」という気持ちが「自分はこうである」に変換されてまるで自分はアイデンティティを確立したかのような錯覚を起こしてしまうのです。

そして何処かのタイミングで居心地の悪さを感じる事になるのです。
その原因は自らのアイデンティティが弱い事にあるのですが、それを自らが依存している相手のせいにするのも非常に特徴的です。
これはまさに思春期の子供が親に反抗するのと似たような状態です。
言いなりにさせられているというような被害妄想的な状態です。

この被害妄想を彼らはハラスメントとして捉えます。
まるで相手が自分を支配しようとしているモラルハラスメント人間であるかのように受け取ってしまうのです。
そして僕はこれはアイデンティティハラスメントと呼べるのではないかと考えています。

アイデンティティのない人はアイデンティティのある人の意見や自己主張をハラスメントとして捉える。
そしてアイデンティティのある人はハラスメントとして捉えられる事によって攻撃されたり責められたりするというハラスメントを受けるのです。
前者のハラスメントはただの被害妄想ですが、後者のハラスメントは被害妄想を原動力にしたれっきとしたハラスメントです。
このようにハラスメントされたという被害妄想で攻撃をしてくる事、これはハラスメントハラスメントと呼べるのではないかと思っています。

そしてこのハラスメントハラスメントの非常に厄介なところが誰がどう見てもアイデンティティがない側が弱者であると見なされる事によって、被害妄想している側を支持する人が出てきやすい事です。
そうなる事でただただ普通に意見を言ったり自己主張をしただけの人間が理不尽に悪者扱いされてしまうのです。
他人の足を引っ張るというのはまさにこのようなことを言うのでしょう。
※ハラスメントハラスメントについてはいずれ記事を書こうと思います。

アイデンティティハラスメントを終わらせるにはアイデンティティがない人とある人同士は関わらないようにするか、あるいはアイデンティティがない側がアイデンティティを何とか手に入れる以外にありません。
しかしながらやはり思春期型の人たちが大人なってからアイデンティティを獲得するというのは時間経過と共に難しくなってくるのも事実です。
自分や自分の周りだけに限らずお互いに対等に尊重し合える関係というものを手に入れられる人ができる限り増えてくれたら良いなと願うばかりです。

気に入ってくれた方はサポートお願いします。