トラウマ論〜複雑性PTSD〜

※こちらの記事は予告なく加筆修正が行われる可能性があります。

ここ最近の記事でよく話題にしていたアイデンティティの話について調べている過程でトラウマによって自己表現がうまくできなくなる事があると知り、トラウマというものについて調べていました。
そしてそこで複雑性PTSDという言葉を知り、本やインターネットを駆使して情報収集をしていました。
今回はトラウマが理由で生じる複雑性PTSDについて過去の記事の内容も踏まえて話していきたいと思います。
なお、僕は医師ではないのであくまで科学的根拠等があるわけではないという事はご了承ください。

まず大前提として心の問題が生じる時にはほとんどの場合に幼少期の親との関係が影響してきます。
主に母親を通じて得られる無条件の愛(=生きてるだけで価値があるという感覚)が土台にあるかどうかというものがその人の人生に大きな影響を与えます。
そしてこれは当然ながら複雑性PTSDの人においても同様です。

無条件の愛の感覚が弱い子供はどうなるかと言うと、安全基地を失う事になります。
つまり不安になりやすくなるという事です。
身近な例で言うと、母親などが自信がなく不安になりやすかったり、過干渉や過保護で何をするにも危ないからと止めてきたりする場合には子供は不安になりやすくなります。
あるいはすぐに不機嫌になる親や虐待や言葉の暴力などをする親に育てられた場合などには親の顔色をうかがうあまり、いつも不安で周りの顔色ばかりうかがう自己主張が苦手な子供に育ちます。

そしてこのように愛着に問題がある子供たちがその状態のまま学校に通ったりするわけです。
すると対人関係においてトラブルに巻き込まれやすくなるのです。
自信がなくオドオドしてしまい、うまく自己主張をする事ができない為に周りの人に合わせてばかりになりがちです。
そしていわゆるいじめっ子的な周りの人を攻撃したり、支配したりするような人に目をつけられる可能性が高いです。

そこでいじめっ子に対してやり返したり、面と向かって「やめろ!」と怒って抵抗したりして状況を変えられれば良いのですが、おそらくそうならないことの方が多いのではないでしょうか。
きっといじめっ子の顔色をうかがい、できる限り嫌われないように気に入られるように努力をする子の方が多いでしょう。
このようなスタイルは過剰適応などとも呼ばれ、理不尽に困難な状況に無理やり適応する為に発生するものです。

これは学校に限らず職場を始め、様々な友人関係や恋愛関係においても似たような事が起こりうるでしょう。
職場のパワハラ上司であったり支配的な人にコントロールされたり付き合う相手がモラハラやDV的な人でそれに巻き込まれてしまうなど様々なパターンが想定できます。

しかし何故対人関係においてこのようなスタイルしかできなくなるのかと言うと、そのようなスタイルが親との関係においても生じており馴染みがあるからです。
面と向かって戦う事や自己主張するという経験をしていない上に自分自身に対して自信が持てない状態であればそれは仕方のない事です。
※ちなみにこのような流れは兄弟などの間でも起こりうる事です。

このようなイジメやハラスメントというのは多くの場合は1日だけで終わるような話ではありません。
運が悪ければ1年中イジメられるような可能性もあるわけです。
このような継続的なストレス体験というのは人間の心にトラウマを植え付けます。
ましてや親であったり、先生、友人などに助けを求めたにも関わらず助けてもらえなかったりした場合には周りの人間を頼っても無駄なんだという感覚を持ちます。
そして自分が悪いんだと自分の事を責めるようになります。

このような状況になってしまうと、本人にできる事というのは「やり過ごす」という事しかなくなります。
今回の記事においてこの「やり過ごす」というのは非常に重要なキーワードになってきます。
この「やり過ごす」というのは限界を超えたストレスを体験した人の生きる為の戦略であると言えるでしょう。
しかし戦略と言っても頭で考えているわけではなく、身体の生理的反応です。
「硬直する」とか「凍り付き」などとも表現されます。

通常であればストレス体験があった場合には「戦う」かあるいは「逃げる」というような反応が想定できます。
しかしあまりにも強いストレス体験をした場合においては身体の警戒反応(=交感神経の働き)が過剰になり、フラッシュバックや過呼吸や動悸などの症状が出てしまう事があります。
そしてその反応が限界を超えると今度は逆に副交感神経が過剰に優位になり身体が凍り付くか硬直してしまうと言われています。
頭が真っ白になるとか気が動転するとか腰が抜けるとかそういうものもこちらに近いのではないでしょうか。
これは自律神経の異常です。

そしてこのような激しいストレス体験がトラウマ化してしまう事で新たにストレス体験がある毎にフラッシュバックを起こしたり、激しい動悸がしたり、過呼吸になる等のパニック障害的な症状が毎回出る事になる場合があります。
戦ったり逃げたり話し合いをするなど何らかの方法でうまくストレスを乗り越えたり解決ができるであろう場面においてもこの強いトラウマ反応が出てしまい、何もできなくなってしまうのです。
そしてこのように過剰に交感神経を働かせた反動で「硬直」や「凍り付き」状態が生じて、最終的にはやり過ごす以外に方法を失ってしまい、それによって問題を乗り越える事ができなくなってしまうのです。

そしてこの「やり過ごす」という反応には重大な副作用があります。
やり過ごすというのはつまり本心を抑圧するという事になります。
あまりにも辛すぎる体験に対して人は自分を守る為の生理的反応を起こします。
その体験に対して自分という存在を切り離す事で痛みを感じないようにする解離という現象です。
この解離によって記憶が失われたり曖昧になってしまう場合があります。
僕はこのような反応について精神的な仮死状態であるとか、あるいは精神のブレーカーが落ちるというような例えを使います。

ドラゴンクエストでパーティの中で死んでいるメンバーには経験値が入らないという仕組みがあります。
僕はこのようなトラウマによる精神的な仮死状態においても同じ事が起こっているのではないかと思っています。
仮死状態(=ドラクエで言うと死亡して棺桶にいる状態)においてはその経験というものは経験値にならないという事です。
したがって本来であれば辛い経験を乗り越えて成長していくはずの場面で毎度トラウマが理由で精神的仮死状態になる事でその人は辛い経験をしたにも関わらず経験値が積めないという事になります。
つまりその人の成長を止めてしまうという事です。

あまりにも辛い話で書くのも非常に心苦しいのですが、誰よりも辛い経験をしてきているにも関わらず周りの人と比べて経験値が得られないのです。
年相応ではない幼さを感じさせたり、大人になってもアイデンティティが確立できず思春期のような雰囲気が抜けなかったりしてしまうのです。
よく未成熟な人に対して「経験不足だから」と捉える人がいますが、正しくは「経験値不足だから」なのです。
つまり経験自体はしていてもそれが受け取れないので経験値にならないという事です。

そしてそうやって仮死状態になって重ねてきた経験値にならない数々のトラウマ体験というのは決して忘却されるわけではありません。
仮に記憶が曖昧であっても身体にはしっかりと反応が残っているのです。
そして特定のシチュエーションにおいてそのトラウマを想起させられる事で諸々の激しい症状が起こってしまうのです。
これがトラウマの上にトラウマが重なるという事です。

このようにしてトラウマの上にさらにトラウマが重なる悪循環的な状況に置かれて八方塞がりになるのが複雑性PTSDの正体と言えるでしょう。
解決能力は身につかない上にトラウマだけが積み重なってしまうというのが複雑性PTSDの最も大変な特徴ではないかと個人的には思っています。
複雑性PTSDの「複雑性」という形容はこのようなトラウマの累積によりトラウマが特定できないくらい複雑化してしまうという背景を考慮してつけられたのではないかと推測しています。

通常のPTSDの場合だと戦争体験であったり性虐待や災害などある程度原因となるトラウマ体験が一つに特定できるのが一般的です。
ところが複雑性PTSDの場合はその人の根っこにある不安感を起点として普段の日常の中にある嫌な体験の積み重なりがトラウマ化してしまう事が原因にあります。
そしてトラウマがある事で次なるストレス体験もまた新たなトラウマになってしまう。
一般的なPTSDに比べると一つ一つの体験自体の悲惨さはそこまで酷くない場合も多いですが、積み重なる事で精神的ダメージが非常に強くなるのが特徴的です。

また通常のPTSDに比べてトラウマによる症状が出た時に原因が分かりにくいというのもネックになります。
トラウマ症状でよく起こるフラッシュバックがありますが、複雑性PTSDの人の場合はトラウマが積み重なっており記憶が想起されにくいという特徴があります。
トラウマがただ一つだけであればトラウマによる急性症状が出た時に原因をトラウマと関連付けて考えやすいのですが、トラウマが積み重なっている場合はそうもいきません。
具体的な過去の記憶が想起されるわけでもなく、ただただ今目の前にある状況や人に対して「怖い」と感じたり過呼吸になったり動悸がしてしまう場合があり、そうなると原因を目の前にある状況や人であると捉えてしまいがちなのです。
※複雑性PTSDにおけるフラッシュバックについては追加で記事を書いたのでこちらも読んでみてください。

そしてこのようにトラウマを積み重ねていく事で自己を喪失してしまうという重大なデメリットがあります。
凍り付いたり硬直したり解離というのは何も感じないようにさせる作用があります。
それによって自分が何者かが分からなくなるのです。
何も感じない事で自分を見失うという事です。
離人症のように自分がここにいるという現実感を失ってしまうのです。
このようにして自己を喪失するとどうなるかというと、自分の気持ちが分からないとか自分の意思が分からない状態に陥るという事です。
これがアイデンティティの確立を困難にさせてしまうのです。

アイデンティティを確立するというのは、周りの在り方に左右されずに自分は自分という軸を持ちって生きている状態で、そのような人は自分の意思が非常に明確です。
何がやりたい事で何がやりたくないのか、何が好きで何が嫌いなのか、何が必要で何が不必要なのかという事がよく分かっているのです。

ところがトラウマによって自己喪失してしまった人は自分の本心を感じ取る能力や意思表示の能力を失います。
嫌な事を嫌とも言えないどころか嫌である事にも気が付かなくなって気が付いたら自分にとってもの凄く辛い環境にいさせられたりする事も多々あります。

また自己を喪失すると自他境界という機能が失われます。
自他境界とは自分と他人の境界線の事です。
「自分は自分である」「他人は他人である」という感覚が弱くなってしまうのです。
自他境界が弱い人は他人から影響を受けやすくなります。
いわゆるモラルハラスメント的な他人をシャットアウトできずに自分のテリトリーに安易に入れてしまい、支配されてしまう事も多々あります。
カルト宗教やマルチ商法や怪しい営業などに引っかかるリスクが跳ね上がるでしょう。
また性関係においても自他境界の弱さ故に「すぐヤレそう」と判断されて望んでいないセックスを断れないなどの問題も生まれがちです。
いわゆる尻軽的な人というのは自他境界が弱いという事が言えるでしょう。

またこのアイデンティティの喪失と自他境界の弱さ故に自らが凄いと思っている人や尊敬する人の価値観を借りてそれを自分主導のものであると勘違いをしたりする事も多いです。
他人の価値を借りて自分の喪失したアイデンティティを誤魔化して、自己を確立したかのように振る舞うという事です。
この辺りは過去にこちらの記事で書いた通りです。

そしてこちらも過去に書いた記事ですが、このような人は自己主張がうまくできない為に自己主張ができる人に対して脅威を感じてしまう場合があります。
アイデンティティを喪失している人は相手に意見を言われるとそれに対して「自分はこうしたい」という意見を言えない為に、相手の意見に簡単に飲まれてしまうのです。
そこで「言いなりにさせられた」というような不満を抱えやすくなる場合があります。
極端に言えば、モラハラでない人までモラハラであるかのように捉えてしまうという事です。

アイデンティティを喪失した人にとってはアイデンティティの強い人間は依存したり神格化したい対象でもあり、同時に自分を飲み込んでしまうという恐怖の対象でもあるのです。
依存したり神格化すればするほど相手に飲み込まれやすくなりますし、相手の影響力がその人にとって大きくなりすぎてしまうのです。

依存というのは密着願望と共に恐怖が伴います。
その恐怖というのは自分が飲み込まれる恐怖だけ
に留まらず、相手を失う事に対しての恐怖も含まれます。
彼らは些細な事でトラウマが想起され過剰に傷ついてしまう傾向がある為に、距離の近い相手ほど小さな事がキッカケで関係が壊れてしまう危うさを持っています。
それは過去のトラウマが想起される事で「裏切られた」とか「見捨てられるかもしれない」という強い恐怖のスイッチが簡単に入ってしまうからです。
そのようなトラブルは特に親友であったり恋人などの関係において起こり易いでしょう。

境界性パーソナリティの症状の代表格である見捨てられ不安などがまさにそうです。
人生においてトラウマの積み重ねを得てきた複雑性PTSDの人は症状に着目すると境界性パーソナリティとの共通点が非常に多いです。
個人的には複雑性PTSDは境界性パーソナリティよりも原因により着目した概念なので、診断名としては複雑性PTSDの方が適切な人も多いのではないかと思っています。

複雑性PTSDにおけるアイデンティティの喪失について一つ分かりやすい例えとして、飛行機などの操縦席に例えるというのがあります。
健全なアイデンティティの持ち主であれば、操縦席にいるのは自分です。
そして自分がいる操縦席の扉には鍵がかかっていてその扉は自分が開けたい時にしか開けないのです。
そして自分一人では立ち行かない困った時にだけその鍵を開けて誰かの力を借りながら生きているのが健全なアイデンティティの持ち主です。

ところがアイデンティティを喪失した人というのは自分が操縦席に座っていない状態が基本なのです。
その上、操縦席には扉すら存在しない為に、誰でも自由に立ち入る事ができる状態になっています。
そして誰かに運転してもらうのを待っていたり、隣で操縦の見本を見せてくれた人の物真似だけをしたり、或いは操縦席に入ってきた人の言いなりになったりしながらそれを自分として認識してしまう。
自他境界が弱いというのはこういう状態を言います。

しかしながら彼らにはアイデンティティが存在しないわけではありません。
あくまで元々はあったものが失われたという事にすぎません。
失われたアイデンティティというものは心の奥底に眠っています。
彼らに様々な身体の不調が起きやすいのは、その失われたアイデンティティが助けを求めて身体に訴えかけているからではないかと思っています。

トラウマ治療専門家の方たちのSNSでの発信等をを見ているとあらゆる身体の不定愁訴や原因不明の難病などは抑圧されたストレスから来ているのだと感じます。
それは僕自身が潰瘍性大腸炎という難病で経験した事でもあります。
自分で自分の本心を大事にできていないという精神的なセルフネグレクト状態というのを解消しない限り身体は良くならないのです。

複雑性PTSDにおいては複数のトラウマ体験により自尊心がボロボロになってしまいます。
そしてまともな精神状態ではないのに無理に前に進もうとして解離などによって自らの感情に無理やり蓋をしてやり過ごしながら生きています。
これは非常に危険な状態です。
まるで骨折している人間が無理やり山に登ろうとするような無謀さがあります。

このように無理に前に進もうとする際の行動というのは一言で言うと自暴自棄になっているというような状態です。
突然キレたりギャンブルやお酒やセックスに依存したり、恋人を作っては別れてハイペースで繰り返したり、些細なことで今までの人間関係を突然破壊したりしてしまうのです。
これは強い抑圧の中で生きている人に反動として発生する特有の症状です。

そして後になってから後悔をしたり、恥辱感を覚えたりするのも非常に特徴的です。
ただでさえ自己受容ができていないにも関わらず、そのような自暴自棄の行動で自分の中にますます受け入れたくない部分を増やしてしまうのです。
そして受け入れたくないのでまた蓋をして同じような行動を繰り返して心の問題が解決しない為に、非常に苦しい割に毎回経験値が積む事ができないという永久ループなのです。

「感情論は感情を大事にしていない」という記事でこのように書きました。

感情論は確かにその時湧いてきた感情は重視しているのですが、それはつまりその感情の深層部分には目を向けていないという事になります。
どうして自分をこう感じるんだろうかという発想が抜け落ちている。
それはつまり自分の感情を大切にしてきていないという事に他ならないのではないでしょうか。

そしてその感情論に対して誰かに批判をされると「ああ自分は大切にされていないんだ」という反応が返ってきがちです。
しかしそうではないのです。
本当のところは自分が自分を大切にしてきていないのです。
自分が自分の感情を受け入れていないのです。

自暴自棄になるくらい感情を大事にしてこなかった、ところが自暴自棄になっている時には自暴自棄的な行動を取る事が自分の感情を大切にしているのだと思い込むのです。

ではこのような状態を打開するためには何が必要でしょうか。
先ほど説明したようにこのような状態の人は骨折しているのに無理やり山に登ろうとしているような状態です。
誰よりも頑張っていると言えるかもしれませんが、良い結果が出るはずもありません。
大切なのは、自分が骨折しているという事に気がついてそれを治す事ではないでしょうか。
と言っても心の問題なので、骨折に比べると放っておいて治せるものではないありません。
しかしながらまずは自分の心が重症の怪我を負っているのだと気がつく必要があるのです。
この怪我をした状態をありのままの自分だと思ってはいけないのです。

そしてここで重要になってくるのが過去に何度も何度も記事で話している自己受容です。
弱さやネガティブな部分も含めて自分を受けいれる事ができるかどうかが大切になってきます。
無論、その感覚を奪われたから複雑性PTSDになっているという事も分かっています。
しかしながら答えは自己受容以外にないのもまた確かではないでしょうか。
弱っている自分を認めてあげる事がスタート地点に立つという事です。

今まで苦しんできた自分、頑張ってきた自分、理不尽な思いをしてきた自分、そしてそれによってうまくいかなかった自分。
ボロボロに傷ついた自分に対して自分自身で労わりの気持ちを持つ必要があります。
複雑性PTSDの人は自尊心が低く自分を過剰に責めてしまう傾向がありますが、責めれば責めるほどますます自尊心が下がってしまいます。
とにかく頑張りすぎているのです。
頑張りすぎているから頑張れない自分が生まれるのです。
頑張りすぎている自分に気がついてあげてください。

複雑性PTSDの人はトラウマを癒す必要がありますが、その為にはまず自分を受け入れてあげる事が必要不可欠です。
トラウマによる解離や記憶障害や離人感というものはただ単に自分に起きた事を受け入れられない事による反応というだけでは済みません。
そのような症状に悩まされている自分を「弱い」と認識して責めてしまったり自己無価値感を強めてしまう事が症状をさらに悪化させてしまいます。
そういう意味で自己受容の土台は何よりも大切になります。
知識をつけて自分の心の状態を知る事が有効ですが、自己受容なくしては知ろうとする事自体に苦痛を感じてしまう可能性があります。

必要に応じて専門家の力も必要になるでしょう。
僕は治療家ではないので専門的な治療についてはここでは詳しく説明する事は避けさせていただきますが、身体にアプローチする事で自律神経のバランスを整えたり、カウンセリングなどで過去の感情や出来事を整理したり、治療法などもいくつかあるので調べてみてください。
しかしどんな治療法を使うにしても、治療する過程で自分の心の在り方や仕組みを知る事は避けられないでしょう。
今回の記事はそういう意味で知ってもらう事に繋がればと思い書かせていただきました。

僕は複雑性PTSDに悩まされている本人だけでなく、周りの人たちにも理解してもらいたいという気持ちもあります。
複雑性PTSDやトラウマという概念の詳細は僕自身も最近になってようやく理解できるようになったという身ではあります。
まだまだ一般的ではなく知られていないのが現状です。
しかしながらトラウマに着目した事でアダルトチルドレンや愛着障害、パーソナリティ障害などの名称とは違った解釈ができる点は非常に重要です。

また書くタイミングがなかったので付け加えるような形で書かせていただくのですが、過剰なストレスにより脳にダメージを負うと発達障害のような症状が出る場合があるという話もぜひ知っていただきたいです。
近年では自分がADHDだと思っている人というのは沢山いますが、それが生まれつきのものではなく実はトラウマ由来な症状である場合というのは非常に多いです。
僕自身に関してもADHD的な特性が強いのは過去のトラウマが原因としてあるのではないかと思っています。
こちらについてもあらためて別で記事を書かせていただきたいと思っています。

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