この世界と恋におちるbyたまんな

心と身体と魂まるっと自由に、地球を楽しむ。 心理や身体セラピーのこと、子育ての日々こと…

この世界と恋におちるbyたまんな

心と身体と魂まるっと自由に、地球を楽しむ。 心理や身体セラピーのこと、子育ての日々こと、表現のこと。

マガジン

  • 心と身体と魂まるっと。

    心、身体、魂まるっと自分を生きることがライフワークの、たまんなのエッセイ。 これまで出会った様々な心理アプローチやボディワーク、瞑想的カウンセリング、反射の統合、ファミリーコンステレーションや非構成的エンカウンターグループ、ポリヴェーガル理論などの視点から自分や子どもを読み解きながら、あれやこれや実験しながら生きています

  • 行き来するわたしの子育て【過去記事】

    2022年以前の過去の子育てに関する記事。 今とは考えも違ったり恥ずかしいこともあるので有料にします。 自主保育から、小学校入学の際のフリースクールにするのか、ホームスクールにするのかの悩んで日々取り組んだ実践。

  • 俳句・短歌・詩

    俳人を目指す、ど素人俳句バカ★の俳句と短歌、詩についての熱い思いや考察、自作句など。

最近の記事

丁寧な暮らしを目指してるわけではないけれど

紅生姜がちょっと苦手だった。 なのであまりこれまで興味がなかったのだけれど、こないだ一度やってみようと、新生姜を薄く切って梅酢に漬けてみた。 美味しい紅生姜、というかピンク生姜ができた。 ちょっと口寂しい時にそのままひとかじり。 シャキーンと目が覚める爽やかさ。う、うまい。カレーに添えても新鮮。 私たちはわざわざ、人工的で美味しくないニセモノの商品を買って食べて、「美味しくない」と思ってることって意外と多いかもしれない。 こんなに簡単に、本来のおいしさは手に入る。新生

    • 肉体を持って生まれた意味

      肉体を持ち、感情を持つ人間の、どうしようもなさを含んだ奥深くて豊かな強さや、弱さや、美しさや可能性を、見て知って体感して、あらゆる感覚で味わいたくて、生まれてきたのかもしれない。 地球の美しさを見たいと昔から思っていたけど、人間のそれもだったんだな。 だから肉体のある地球だったんだな。 だから、セラピストという職業が好き。 そして、セラピストでなくてもそれはできる。 何かの肩書きや職業で表せることなんてほんの一部で、それはほんとにただおまけのようなもので、クライアント

      • 人体という有機体への愛が止まらない

        カラダの声を聞けるようになってくると、腹の中の小さい人の声を聞けるようになってくる。 ほぼ同じことだから。 そんな鍛錬を細々とだけど10年近く続けているので、人さまのおカラダに触れているとその声は聞き取りやすいのですが、自分自身はまだまだ疎かにしがちです。 まあ、きっとそれを始める前よりはずっとキャッチしやすくなっているし、だからこそ、幼少期から溜め込んできたものが、「今やっと!」という感じでどばっと出てくる時も不定期でやってきます。 それはそういうもので、自分がガチ

        • 聴くということは触れられるということ

          雨の音を聴き 風の音を聴き 火の音を聴き カラダの音を聴く 聴くということは それに触れられているということ 雨の音に触れられ 風の音に触れられ 火の音に火の震えに触れられ カラダに触れてると同時に触れられている 私たちはいつも 「やさしく触れられたい」 という根源的欲求を持っているが ほんとうはいつだって すべての存在から 優しく触れられている そのことに気づけば 今ここに存在すること それだけで 満たされていく

        丁寧な暮らしを目指してるわけではないけれど

        マガジン

        • 心と身体と魂まるっと。
          10本
        • 行き来するわたしの子育て【過去記事】
          5本
          ¥500
        • 俳句・短歌・詩
          5本

        記事

          父・薫の話 A面

          一般的にこの世の中では、「うまくいくこと」「うまくいってること」や「成功」「いい状態」が「いいこと」だし、「そこを目指すべき」と思う人が多い。 だけど、私の父親はそこに悉く挑むかのような人生を生ききった人だった。 その生き様はある意味、「自分の才能を発揮して生きよう」とか「自己実現」とか、まあ私も時々ついお利口さん的に言っちゃったり目指しちゃったりしがちな、最近の世の中のつまらなさというか、きれいごとが持て囃される風潮を鼻でせせら笑うように、アンチテーゼを体現していた。

          届かない手紙

          郵便を出すのが苦手だ。 そもそも封筒に何かを詰めたり一言メッセージを添えるなどの一連の作業のハードルが私には高いのだか、たとえ準備ができたとしても、いつもポストにインするのが最大の難関である。 なんとかその郵便物が家を出られたとしても、何日も我がカバンの中で、徐々に磨耗し衰え、ハリを失っていくのだ。 そんな郵便物からの無言のプレッシャーを常に感じながら、そしてそのものの到着を待つお相手に対して心苦しさは当然あるのに、最後の一押しのポストにインだけができない。 ただ、先日

          父・薫の話 B面

          【父・薫の話B面】 今日観たヴィム・ベンダース&役所広司の「perfect days」。 父・薫と重なった。 薫は真性のヒモ体質で借金王でほぼアルコール依存でほぼギャンブル依存だった。そして最後は病院を振り切って自宅で孤独死。 しかもトイレでこときれているのを、死後1週間以上経った頃に発見されて警察のお世話になるという見事な最期だった。 こう書くと、perfect daysの役所広司の平山さんとは全く違うのだが、それは薫のA面にすぎない。 薫のB面は平沢さん的なと

          息子との時間

          文章を書いていきたい。 少し場所や形を変えてみようかなと思い始めている。 FB大好きなんだけど。 noteで書いてみようかなぁ。 メルマガは放置しててごめん。 そんなこともあって、 息子に、 息子とのやりとりや子育てで私が感じたこと試してよかったこと そんなことを公開で書いてもいい? と改めて聞いてみた。 私が昔、物書きだった母に私のことを勝手に書かれてとても傷になったことが、やはりどこかでまだ引っ掛かっているから。 最低限、自分がされてきて嫌だったことや、

          この世界の混沌を愛す

          さっき、ファミリーコンステレーションへの愛を書いていて、「ああ、私はこの世界を愛しているんだな」と改めて思った。 そういえば、ずいぶん前につけたこのブログのタイトルも「この世界と恋に落ちる」だった。今は、「恋に落ちる」段階から、「愛している」段階に変わったのかもしれない。 私のこれまでの人生は、原家族の問題・負の連鎖が重くのしかかっていた。 周りがどう見ていたかはわからないが、学校時代も会社員時代も、独立してからも、子どもを持ってからも、やっぱり根っこには「生きづらさ」が

          自分を生きる~ファミリーコンステレーション愛について~

          ファミリーコンステレーション(別名:家族の座。ここでは「ファミコン」と略します)という、心理セラピーを時々で受けつつ(かれこれ出会いからは12年!驚)、自分でもファシリートできるように習っている。 ファミコンは、自分の悩みや取り扱いたいテーマを言って、それに登場する人物の「代理人」を、その場にいる参加者の中から選び、その場にそれぞれの代理人を「配置」するところから始まる。 そうすると、その代理人たちが、実際に起きているその悩みやテーマにまつわる「エネルギー」を自然と感じ取

          自分を生きる~ファミリーコンステレーション愛について~

          アンスクーリング日記始めます

          【アンスクールなホームスクール日記】 私たちのこと。 学校だけじゃない、本当に楽しくて自由な学び方を探求している親子。 現在は、選択的登校から登校拒否に変わった小2息子と、ようちえんに渋々行ってる年長娘と、ホームスクール+森の学校(オルタナティブな育ちの場を主催中)という学び方・暮らし方をいかに楽しく楽に過ごすか、試行錯誤中。 私(母)も元不登校経験者、日本の学校というシステムのあり方に疑問を持っているが、子どもといるのが大好き!というタイプではない。一人の時間、とくにこ

          アンスクーリング日記始めます

          学びのかたちを親子で模索しながら考えたこと~後編

          前編はこちら。 半年間で私の「学校」イメージが変化。 そんなこんなで、下手の横好きなりに、まったく手探りながらも「半分ホームスクーリング」を実験した半年間。  私自身も、授業参観や懇談会という少ない機会だけれど、理解があって子どもたちのことを真剣に思ってくれている優しい先生や日々の活動の様子を少し知って、もちろん、学習中心であることや規律訓練的な行動が多い点は全く賛同しないけれど、かつての「学校アレルギー」はだいぶ減ってきた。それは、学校に行ってみた大きなメリットの一つかも

          学びのかたちを親子で模索しながら考えたこと~後編

          学びのかたちを親子で模索しながら考えたこと

          なんとなく、noteの気分。まとまって書けそうにはないけど、今感じていることを久しぶりにアウトプットしたくなる。 学校か、ホームスクーリングか、フリースクールか。私たち親子の選択とその過程。今年小学一年生になった息子。 私が2年くらい前から、オルタナティブスクールの研究やお話会をしていたせいもあるのか、保育園年長の秋には息子自身が「学校は行かないでママと家で勉強する」と宣言していた。 当時、我が家の選択肢としてはいくつかあった。 1,地元の小学校に通わせる 2,ホームス

          学びのかたちを親子で模索しながら考えたこと

          薫らない金木犀

          9月、父の訃報届く。 八月尽向かいのホームに父の影 火葬場のある駅に住む夜学生 黒服の人と毎朝すれ違う 暇だから早く着いたと旧き友 冷たくて熱い火葬場天高し 葬儀所で働く人の無表情 売店のおばちゃんたちの笑い声 水澄むや喪服の下は素足です 喪主様は、聞かれ慌てて席を立つ 棺ともディスタンスのままさようなら 焼香の正しい仕方盗み見る 棺だけ触ってみても秋の風 この釘で出てこぬようにする死者を 自動ドア閉まれば着火いたします おとなりで焼かれる人はどんな人 空っぽの遺影置

          子どもに伝えられること

          友人がおすすめしてくれた、「はじまりへの旅」という映画を観た。 ヒッピーあがりの両親が森のなかで6人の子どもたちを育てていたのだけど、精神病で入院中のお母さんが自殺をしてしまい、その葬儀に参加するために森の外へはじめて出ていく、というお話。 人を育てるとはどういうことか、正しいとはなにか、ということを突きつけられた。 このお父さんほど極端でなくても、子どもを育てるときは、自分の価値観、信じているものがどうやったって子どもに伝わる。でも今の時代、多くの情報があって、今まで

          子どもに伝えられること

          忙殺。

          心を亡くす、と書いて忙しい。 まさに!5月6月と仕事が立て込んで、忙殺されていました。インナーチャイルド激おこ、まじで。 言うても、フルタイムの人より稼働時間的には多分少ないのだけど、家でネットでひとりでやる仕事でオンオフの切り替えがしずらくって、しかも図らずも急に始まったので、なんだか気持ちが追いつかず。家族の仕事かつ苦手分野対象なので消化しきれていない複雑な気持ちの整理をしながら。 でも責任感と職人気質のせいで手が抜けない…。自分の満足するレベルまで持っていきたい…