見出し画像

父・薫の話 A面

一般的にこの世の中では、「うまくいくこと」「うまくいってること」や「成功」「いい状態」が「いいこと」だし、「そこを目指すべき」と思う人が多い。

だけど、私の父親はそこに悉く挑むかのような人生を生ききった人だった。

その生き様はある意味、「自分の才能を発揮して生きよう」とか「自己実現」とか、まあ私も時々ついお利口さん的に言っちゃったり目指しちゃったりしがちな、最近の世の中のつまらなさというか、きれいごとが持て囃される風潮を鼻でせせら笑うように、アンチテーゼを体現していた。

私の知る限り(一時期はあったかもしれないが)父は社会的な成功や安定とは無縁だった。

どちらかと言えば落伍者というかヒモの部類で、宵越しの金は持たないし、ビッグマウスで事業をするする言いながら借金しまくるわ、それを女に返させながら自分はとんずらするわ(そして他の女の元へ遊びに行ってたようだ)、子供(=私が生誕する時)の妊娠出産用の貯金も持ち逃げ。

そしてほぼアル中だったし、ギャンブル依存症だったと思うし、バツ4で母親の違う子供が私を含めて知る限り5人いるし、その子どもたちとも平気で音信不通になるし(私は奇跡的に数年の音信不通を経て関係回復した)、長男は自分より早く癌で亡くしたり(でも最後は役所の計らいで再会して介護して看取った)、最後は生活保護受けながら私には元気だよとか言いながら病院を飛び出して手術を受けずにおそらくほっておいたガンで孤独死して腐敗するわ(どんだけの痛みに耐えたん)、なかなかのすごい生き様だったの。

ある意味あっぱれである。
ここまで、社会で良しとされやすいことの逆を打つ感じ。
それこそが彼の才能と言えるかもしれない。そうか、父はある意味で父にしかなし得ない才能を生ききったのか。

愛すべき魅力的な人でもあった。
曲がったことが嫌いで、見せかけの権威を背に威張る人にはすぐ噛み付いて自分を不利な立場に追いやるような、自分の魂は売らない(ように見える)人だった。

だから女が尽きなかったのだろうし、友達も多かった。恨んでる人(とくに女性)も多そうだ。

***

今の世の中、どんどんキレイな方向だけに行ってる感じがある。そんな気がしない?

そういう時代に生きて、お利口に賢しく小さくまとまりそうな時に、身近でいて遠かった、こういう汚くて生々しくて泥臭くて最後にも大逆転とかしないで一人死んで腐ってくような生き方しかできなかった人の記録を残したいと思った。

たとえば巷で溢れる自己啓発や、私がやっているようなセラピーの類の、「自分と向き合ってよりよく生きる」みたいな方向性を、全部突っぱねて弾き飛ばすくらいの、強烈な生と性の匂いを放っていた人。

もうこういう人には、世の中的な評価とかさ色んな分析とかさ、通用しない。そんな尺度を当てはめてはいけない。

文学や映画の世界で捉えて昇華するしかない、そういうことって、人生には少なからずあって、だから、私はやっぱり文学や映画が好きなんだろう。

もちろん、私は会ったことはない腹違いの兄の看取りをしたことにスポットを当てれば、すごく感動的な物語にもなるんだろう。ガン末期で身寄りがなく生活保護を受けるしかなくなった兄の担当の方が、父を探し当ててくれて、最後の数ヶ月を自宅で介護した、そこにはぽつりと語ってくれたドラマもあった。


ただ、そういうことを映画とか作るならそこメインどころにするよねー!みたいな美談としてまとめたくなる心の動きには全力で抵抗したい。

父・薫の不器用すぎる優しさと迷惑さを知っているからこそ。

綺麗に整えられて成功やより良く生きることを善とされてますます先細るこの世の中で、こうやって生きるしかなかっま人間もいたのだ。

こうやって生きるしかない人間が存在しにくい今だから、父はそろそろお暇を、と言って肉体を離れた、なんてこともあるかもしれない。

娘として、父のそのままを、ただ、受け止めるでもなく、評価するでもなく、解決しようとするのでもなく、あなたはそうだったのだね、と目撃するだけでいたい。

他者の人生に敬意を払うということはそういうことなのかなと、たいして考えたわけではないが、ふとよぎった。


****
薫の話B面
https://note.com/iamtamana/n/n86ba9adb971f

薫が死んだ時に詠んだ句
https://note.com/iamtamana/n/n0c53e3e57fc1

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

読んでくださってありがとうございます^^ サポートいただいたお金は、心理セラピーの勉強や子どもたちとの新しい学びに役立てます。