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有限だからこそ人は頑張れるというもの


“有限”なものには価値があります。


無尽蔵に淀みなくあるものよりは、おばあちゃんのタンスの下に眠っているものの方が価値を感じやすいというものです。


つまり、貴重なものは何なのか?ということになります。


有限とは、他では手に入らない貴重なものであるということで、それが我々が価値を感じやすいものになっている人間的な生来の機能でありますが、その有限とは”個数的”、”時間的”に大きく区分がされると思っています。


どちらも大切です。


人類には、価値を感じ、欲ほしさいうものを目指してこの人生というものを営んでいる訳ですけど、この”希少性”というのはかなりの高い次元にあります。


これはあらゆるところでこの希少性というものが使われておりますし、この先々も益々使われていくことでしょう。


隣の庭で撮れるリンゴよりも、天皇陛下御用達の王宮りんごの方が、価値を感じますし、
これも1000個販売します、というよりも3個限定ですと言った方が、より刺さるということです。


この世において至る所で希少性が使われ、我々消費者がそれを見る度に価値を潜在的に感じ、行動を起こすという原理が働いています。(この場合の行動とはりんごを購入するということ。)


そんな人類普遍的な欲求がある訳ですが、これから分かるのは、その機能を逆手に使って日々の生きるモチベにするのが賢明じゃんって思うのです。


それはつまり、解釈を再定義するということです。

「物事を再定義する」



例えば、これを投稿をしているのが12/22ですが、2023年は残りあと10日であるという解釈をするということです。


この10日というのは、僕にとっては少ないものなので、いわば緊急性が働き、上記の時間的な価値に感じるということです。


もう10日ではなくて、あと10日というのが大事なんです。


この10日と言うのは、僕のとってのという主観的要素が重要であって、客観的な事象では決してないんだと言うことです。

これを読んでいる方の中には、10日が果てしなく長く感じてしまう方もいるかもしれませんし、1年365日が早すぎると感じる方もいるかもしれないからです。


自分にとって時間的な価値はなんであるのか、という下で解釈を与えれば良いのだと言うことであります。


当たり前ですけど、誰しも1年365日の中で個別具体的に、目標やスケジュール、イベントがあると思いますが、それは数があればあるだけこの時間的な緊急性が高まります。


僕の例で言えば、ボディビル大会が8月にあるということが大きな柱、目標があるとして、それまでにあとこの普段食べている、毎日卵5個を食べる生活も残りあと1ヶ月間だけかとか、

大会が始まる3ヶ月前には日焼けサロンをする必要があるから、頑張ろうとか、

そーゆー小さな柱を意図的にリミッターを設けることで、日々の彩りがそして熱量が呼び込んでくると言うものだと思っています。


大きな柱、ビックプロジェクトはいくつあってもいいですけど、それまでのそれに向かって歩んでいく過程、言い換えると小さな柱を意図的に組んでいけば、あっという間に1日が終わってしまうというものであり、日々の何気ない1日がとても貴重な日に変わっていくのだと感じています。


僕のおすすめとしては、個人的なスケジュール、イベントも大事ですけど、こと日々のモチベを上げようと思ったら、客観的なイベントも意図的に見ていくといいのかなと、、。


つまり、あと1週間後にはクリスマスやん、恋人いねぇーけど聖なる夜にしてみるぜファック!!とか、

大晦日で年越しそばと思いきや、俺は年中鶏むね肉なんだぜ、一年の締めくくりに今までの努力を台無しにできねぇーぜファッキン!!


と言う具合に、意図的に外の外界とも触れ合っていくことが大切であるんじゃないか、と思っています。



筋肉代行屋J

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