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貧乏人なら発想豊かであれ



僕は貧乏人です。

富裕層か貧乏かという2択であれば、間違いなく貧乏と言えるでしょう。

僕には未だかつて"5つ星ホテル"に宿泊をしたこともないですし、"ビジネスクラス"のフライトすらも乗ったことがありません。
"グリーン車"もなければ、たまにの焼肉に行こうと思えばやっぱり毎日鶏胸肉ばかりを食べている、

絶望なまでにこれは貧乏やろうと言えるでしょうか。


ですが、そのせいもあって何かと頭を働かせないといけなくなったわけです。


●貧乏人には資源が限られている


貧乏人には資源が限られています。

生まれた時や、朝目が覚めた時に身の回りには何もないのです。
レクサスもなければ、勿論札束なんてものは机にぽんっと置いているわけがないのです。

疲れた体を癒しに明日はディズニーに、とか
たまには軽井沢の別荘でも、

なんて言っている余裕が微塵もないのです。

でも、幸か不幸かは分かりませんが、いわゆる旅行というものに関して言えばさほど興味は湧きません。これはやっていないが為のそうなのかは分かりませんが、良くも悪くもそういう状態なのです。


「じゃ、あなたは何を楽しみに普段を生きているの?」

とたまーに聞かれることがありますが、この人の遊ぶ技量というのは上記に見られるような所謂、お金を使った遊びにしか発想がないのでしょう。

当然として、その方々から見れば僕の生活というのはそれとは縁のゆかりもないもない訳ですので、魑魅魍魎としか彼らの目には映らないことでしょうか。(苦笑)


でも、そうじゃ困るのです。

貧乏人には貧乏なりに楽しむ術を持ち合わせているのだと、
なんならあなた方よりも、ハッピーだわい、と。


●有限な資源

貧乏人には、当然ですが資源が限られています。この資源というのは主に金銭でしょうか。

僕がお金に対する考え方は、望むように入るものではありませんし、自分が思い描く必要十分な金銭があればこと足りまっせ、
というスタンスであって、お金に対しては特別視していることはありません。

結果的に懐にお金が幾ばくか入ってきた、

「あぁ、人様の為になったんだと、、」

それが結果的に分かるという認識に立っています。

"お金は天下の回りもの"というように僕はあるべくしてあるところにあるのだと思っています。


で、貧乏人の遊び方ですが、

これは読みたい中古本を片っ端から読むというものが、筆頭に挙げられるのではないでしょうか。

中古本と言っても専門書となれば侮ってはいけません。

意外と1冊もそれなりにするものです。それを数冊買うことを躊躇するほどに迷走していた日々もありました。

自分が今、読みたくて興味のある分野の本を読んでいるというもの以上に没頭することは意外にも少ない様に感じます。


分かりやすい例で言えば、"思春期のエロ本"

あれほどまでに釘付けるものは中々ないですし、寝食を忘れるまでに見入ってしまう、そんなフロー状態と同じ効用が興味を持っている本も同様にしてあると思います。

凄まじい、エナジーですよね。

この熱量が到底、ただのディズニー行きたい、と言っている方々にはとてもあるとは思いません。


という本を読むというものが一つ。


また、僕で言えば"人間観察"をするということも遊ぶというものに入ります。


●人間観察

この人間観察という遊びも、細かく言及すると色々とありますが、まずは目の前の人をぼぉっと眺めてみるというのが宜しいでしょう。

「なんでこの人はその行動をしたのか、そう言ったのか、」

「複数人いるのであれば、それに対してパートナーはどう言っているのか、表情はどうなのか』

「その人が笑っている背景はなんなのか、二人だけに共有していることは何かあるのか?」

というような、”喜怒哀楽の背景”を見ていく訳です。

その喜怒哀楽を自分なりにどういう理由で、そういう現象になったのかというものを自分なりに答え合わせをしていけば、それは十分に楽しく有意義な時間になるのではないでしょうか?

僕は人間というものが興味の対象物として根底に持ち合わせております。

これは男女の中とかそんな小さな枠の中だけに収まらず、もっと大枠にある生物として見入ってしまうことがあります。

つまり、その人の思考回路をその人以上に知りたいという欲が強いのかもしれません。

ピュアに純粋にその人の生物としての生き方が気になっちゃうんです。

度が過ぎると、これは犯罪者になりかねませんのでそこは留意していますが、なんだか魅力的に感じてしまうのです。

一人でファミレスに入れば、静かに角の方のテーブルで食べると思いきや、やっぱりあるご家族の横にあえて座ってみる、とか
本屋の雑誌コーナーで自分が読みたい雑誌を読むと思えば、横にいる人がどんなページを見てどこに魅了されているのか、

というものを知りたい、観察をしてみたいという欲求で見ちゃうとか、。

本に限らず、人間観察もただの時間潰しとしてただやっているというものではありません。ちゃんと意味を持って取り組んでいます。

こう言った所謂データが今後将来でどこで役に立つかは分かりませんが、無駄になることはないと思っていますし(暫定でも後悔したなぁと思ったことがない。)、何よりも他人を見ることで自分への理解も深まるので最高の遊びじゃんと思っています。


●人生は壮大な上質な時間潰し

よく人生は壮大な時間潰し、とか言われますが、折角なら上質な時間潰しにして参りたいなぁと思っている立場ですので、
ただのディズニーとか、温泉行ってきました、という一消費としての感覚は僕には少し抵抗を感じます。

資源がない中で、いかに楽しく、いかに賢く、を考えるという人生が貧乏人への最上の試練だと思います。

頭を散々こねくり回して、それが結果的にクリエイティブな素養を育むのでなかろうか、と思います。


これで貧乏も貧乏なりに楽しく生きていけますね。


筋肉代行屋J

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