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災いはその説明不足からくる



災いとなる原因はまず大きくあなたの説明不足からくるものだと思っています。

根拠や具体例が少なすぎます、結論すらあやふやな始末です。

説明が全くと言っていい程に足りません。

これは今までに生きてきて僕はずっっーーと感じてきたことですし、恐らくこの先も続くことだと思います。

でも、その災いとなるのはひとえに、あなたのその拙い説明からくるものなんだということを先ずは理解してほしいと思います。無論ですが、僕もその一一人の人間としてそのように意識して普段から生きております。


ところで、これを読んでいる方で、今まで心底分かりやすい説明を受けたことが未だかつてあるでしょうか?

この今までというのは主に学校であったり、職場であったりとする訳ですが、どうもこうも今まででしっくりと、そして納得のある説明を受けたことが僕はありませんでした。

なんか当たり障りのないような言い回しなのか、深みがないというか、どうも話す姿勢として真正面に立っているという印象を受けたことがありませんでした。

学生の時であれば当たり前ですけど、学生は僕だけではないのでいかに僕を含むあらゆる学生の面倒を見ていかないといけないと言う立場を学校サイドは考えているわけですが、いかに効率良くカリキュラムを実行していくかということを主眼に置いている組織であると感じました。

生徒の中には、
地頭がいい子がいれば、悪い子もいる。
英語が好きな子もいれば、数学が好きな子もいる。

一人一人の人間が束ねて学校という単位になっているけれども、学校というのは生徒一人一人にカスタマイズができるほどの、時間や人手が足りない為か、どうしてもぬるっとした説明で終わることも厭わない状況下にあるでしょう。


つまり、僕みたいな地頭の悪い生徒にいちいち合わせていられないということです。

このぐらい教えれば、こうなりますよね?と言う平均値をとった学習理解度で教師陣は遂行していく訳です。

でも、出来の悪い僕から言えば、1を伝えるのであれば、それに対する理由を3つほど少なくとも欲しいというのが実際のところです。

だけれども、限られた授業のなかでそれをすることは物理的に難しいですし、人も時間もカリキュラムも決まっているという制約がある中で、僕みたいな馬鹿にいちいちカスタマイズなんてものはしちゃくれないんだということなんです。残念ですね。


、、と推測できる様に、当然の事として学生時代の僕は「他の同学年の人に比べて、僕はなんて理解度が未熟なんだ。」

と思うことが多々ありました。

それもつい最近まで。

そんなおバカコンプレックスであった僕には、伝える力だったり、納得感が得やすい話し方であったり、トーク力と言われる様なジャンル本や書籍や、情報商材に興味がそそられるという方向性に向かうのは必然のことでした。

そこで色々な文献を見ていくと、今までの思っていたことが水で洗われて、今までの苦い思い出が浄化されていく感じがありました。


その中に書かれていたことに、

「ある主張をするには、それとなる理由を最低でも3つ理由を述べなくては理解ができないんだ」ということが書かれていました。

これを見た僕はまさしくそうだよな、と思いましたし、過去の自分を肯定してくれるような嬉しさも感じました。

実際として、普段接する方に試しに上記の情報を駆使して試みたところ、あなたの説明は分かりやすいという評価までも貰ったくらいにはなりました。


そのようなコミュニケーションと言う学問や脳科学などを学んでいくにつれて、その説明が分かりづらくさせている根源は、なぜ?という視点がないからだと思っています。

理由を述べたがらない私達


過去を振り返ってみても、また普段の会話にしても日本人の文化的な理由からなのかはわからないけど兎角、理由を述べたがらない人が多いと思うんです。

一言で言うと、WHYの視点が全くと言うほとに普段から聞かれることはまぁーないです。

なぜこう思うのか、したのか、
なんでそうしたいのか、しないのか、

という様な発想がないですし、数年前までの僕にもそのような視点はありませんでした。

少し前にも書いたように、学校や職場というのは予め、時間と言う制約があるのでいかに効率良くそれなりにわかってくれることを念頭に置いているので、whyのような視点が語られることはなかったですし、先生が言ったことに対しての生徒がwhyを投げかけると言うことをしない為の、ボヤ〜とした曖昧な主張を組まれているのが、学校での授業というものなんだというのが、後々になってわかってきたことであります。

いかに生徒の思考を停止させてある種の都合のいい風に上手い事コントロールをさせると言うのが学校のカリキュラムなのだとここにきて感じます。


だけど、僕は幸運にしてそういうおバカコンプレックスと言う劣等感に苛まれていたので、なんとかあがいてあがきまくり、少しはこのような記事を書ける様にはなったくらいです。

と言うのが、一つ。


で、2つ目に念頭に置いていただきたいことに、人間は物語という形式でしか理解ができないと言うこと。

ストーリーでしか記憶をすることができないんだと言うことなんです。

例えば、enrollと言う英単語を覚えたいとしましょう。

これをただの単語として覚えることはできなくはないですけど、これもストーリーに則った覚え方の方が負担がなく容易に分かるでしょう。
それも数が増えれば増えるだけ、負担が少なくなることでしょう。

Enと言う接頭辞には、中に入れると言うイメージがあるみたいですが、はい、このイメージがあるかないかで、他にenがつく英単語もなんとなくわかってしまうと言うもの。

Enroll 登録する
Enrich 豊かにさせる 
Encounter 出会う

ただのいち単語としてみるのではなくて、そのバックボーンがわかっているいないとで今後の理解度に雲泥の差になってくると言うのが容易に想像がつきますよね?

漢字であれば、さんずいとかそーゆーやつです。

そういう成り立ち、ここでいうストーリーを抑えているとないとでは理解する労力が変わってきます。


で、ここで改めて言いたいのが点での理解では覚えづらいんだと言うことなんです。

数字の羅列が分かりずらかったように、歴史の年号をただ覚えるのは苦しかったように、単調な物事を覚えると言うのは結構しんどい作業なのです。

社会人に出たら、これとなる例が業務と呼ばれる類のものです。

僕は新卒でフィットネスクラブに就職をしましたが、僕でいう業務とは浴槽の塩素濃度を調べるであったり、ロッカー管理をしたりとするわけですけど、当初そういった業務を覚えるのに当たり前ですけど、その背景とかストーリーとかはないのです。

会社が求めているのは塩素濃度を知る為であって、それ以上でも以下でもないのです。

決まった時間に決まったやり方をしてくれさえすればいいと言うことで、ここで僕がどうして塩素濃度を調べる必要があるのか?と言うことを聞いたところであまり意味がないことなんです。

会社にとってはどーでもいいこと。


つまり、業務とはそう言うストーリーとか背景を考えずに、黙々と遂行してくれるように従業員に命令をする訳ですが、ご推察のように覚えるのに苦労するのです。

そういうそもそもとして、人間的な機能を知っていないにも関わらず、やれ記憶力が、、理解力が、、という考えは非常に浅はかであると言えましょう。

という単調なこと、つまり業務を知るには時間がかかってしまうものなんだということをそもそもとして知っておいてほしいことが二つ。


で3つ目は、ストーリーをいうべきところでは最低限は言おうぜということ。

先程のフィットネスクラブの例でいうと、この僕が担当をする前任者がどうしようもないほどに全てにおいて説明不足だったんです。


つまり、whyの視点が皆無なんだと言うことです。

まぁ、フィットネス業務は何かをするのに別に理由なんて必要がないですから、例えば掃除機がけに理由もないのです。

そういう業務とすら呼べないものには必要最低限での説明であればいいと思いますが、こと入会率をあげようとか、退会率を抑えようとする背景に置いて言えば、whyの視点が0であるということに僕は店を代表する立場としてその説明はどうであろうか?と残念な気持ちになることが往々にありました。

でも、それが業務であってもそうじゃなくとも、全体的に説明下手になっているケースが多いので、日頃から何かを伝えようとする立場の人は、それなりの理由、根拠もセットに説明をしていただきたいなぁと願っています。

本心で言えば、たかが業務と呼ばれるものでも丁寧にその人の目線に立って説明しているというのは好感を持てますし、自分がいざ教えるという立場に立つときにも同様に懇切丁寧に導くことでしょう。

説明はいくらしても足りませんからね、くどいくらいが丁度いいのかなと。


詰まるところ、何かを主張するには何がしかのそう思うに至った背景が必ずやあると思いますので、くどいくらいに説明をしないと聞き手にはなんの理解も納得もないんだと言うことをわかっていただきたいです。

何かを主張をしたら3つの理由をセットに説明づける癖を平素から備えておくといいと思います。そうすることで、より強固な理解が得られますし、深みのある説明になっていくんだと思います。

上に立つのであれば、それなりの覚悟で取り組んでいって欲しいと思っています。


筋肉代行屋 J

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