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「笑う」ということは意外と単純らしい。

昨日の記事がこれまでの記事より反応がありました...!!ありがとうございます。嬉しいです!自分のペースではありますが、毎日更新することを意識してこれからも投稿していきたいと思います!

今回は「笑う」ということにフォーカスを当てて書いていこうと思います。

小さい時から自分の感情を出すことが苦手で、楽しくても顔にあまり出なかったり、バラエティ番組を見ても心はめちゃくちゃ笑ってるのに真顔だったり、それはそれはもう自分でも「ここ声に出して楽しむべきなんだよな~」と分かっていても、出来ませんでした。

そんな自分がこのままだと生きにくいんだ、と感じたのは母親からの一言でした。「まやのはそのままだと将来苦労するかもね。」なるほど。大人になると笑うことができるようにならないといけないのか、と悟りました。私には10歳下の妹がいるのですが、妹は楽しくても楽しくなくてもニコニコできるタイプで、妹のことを見ていたからこそ、こういう子が得していくんだなと。

別に私だって笑いたくなくて笑わないわけじゃないし、笑えるなら、笑顔が顔に出やすいならどれほど良いか。まあ、表情が顔に出にくい自分のことがそこまで嫌いじゃなかったので、これも自分を作る一つの要素だと、諦めもありながらそこまで気にしてませんでした。

ですが、大学2年の冬。どうしても自分自身に「笑い」と「笑顔」が必要になってしまいました。

昨日の投稿にもあるように肉体的にも、精神的にも追い込まれていた時期に、自分の異変に気付き始めました。まずご飯が美味しくない。講義を受けるために学校に行って、帰ってきて課題をして、寝ないためにご飯代わりにガムを噛んで、そして寝て。起きて。課題をするためだけのロボットみたいな生活を送っていました。

そんな時、ボランティアの先輩とご飯に行く機会がありました。「まやちゃん最後に笑ったのいつ?」驚きました。普通に楽しく会話していましたし、”やばいどうしよう””楽しくなさそうに見えたんだ”やってしまった、と直感で感じました。

誤魔化すように「笑ってますよ~!なんでですか?」と明るく返しましたが、最後に声出して笑ったのっていつなんだろう?あれ?私なんかやばい?と思って、一つの安心材料として、一回病院に行った方が良いんじゃないかと思い、自分で行きました。そこで言われたのが軽い”うつ病”でした。軽いとはいえ、うつ病という言葉の衝撃は忘れられません。

睡眠薬と精神安定剤を処方してもらい家に帰りました。どうしよう。直したい。色々思うことがありましたが、「あぁ、辛いって思って良いんだ。」と安心できたのも事実です。

そんな時に、とある講義でこんな言葉を知りました。「人間は単純なので、面白いから笑うんじゃなくて、笑っていれば勝手に楽しいって脳が勘違いします。」これだ。と思いました。とにかく自発的に「笑う」ということをしていかなければならないと思いました。

目につくバラエティ番組、芸人さんのYouTube、毎日毎日目を通して、面白い!と感じたら声に出して笑うようにしました。それから辛い気持ちを塞ぎ込むかのようにのめり込んでいきました。久しぶりに何かにハマるという感覚で、気付いたら意識せずとも笑えている自分が居ました。

あんなに難しいと思っていた「笑う」という行為が出来ている自分が嬉しくもあり、寂しくもあり。面白くなくてもとりあえず笑っていたらオキシトシンやらなんやらが分泌されて、なぜだか幸せを感じやすくなる。

例えば、天気が良かったとか、ちょっと好みの音楽に出会えたとか、ハードルが低くなって、目に映っていなかっただけで、こんなにも世界って明るいものなんだなって。

悲しいより辛いより、幸せを感じやすくなるかもしれないっていうメカニズムはまだまだあるんでしょうね。

今日もお花がきれいでした。

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