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山手の家

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#長編小説

山手の家【第60話】アフターエンド=プロローグ

山手の家【第60話】アフターエンド=プロローグ

救急車で運ばれた先の病院で、ひと通りの検査と、足のかすり傷の処置、目の洗浄をしてもらうと、もう空が白み始めていた。
搬送される直前からずっと、真がそばについて離れようとしなかった。
「入院するほどではないので帰って大丈夫ですよ。ただ、怪我の様子とか、体調の急変がないかとか、様子見させてもらいたいので、1週間後にまた来てください」
真が、心の底からホッとしたように「ありがとうございました。良かったね

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山手の家【第59話】

山手の家【第59話】

険しく歪んだ信子の顔が、急に菩薩のように穏やかになった。
「マコちゃんはいいところにお勤めだから、あなた何もしなくて良くて、楽でしょうがないでしょう?」
「子育てと2人分の介護で働きたくても働けません」
瑠璃は淡々と答えた。
「うらやましいわぁ。私も、そんなお嫁さんになるはずだったのに」
信子の耳には何も聞こえていないようだった。
(なんで、うらやましいわけ?)
今、真と離婚したら、生活能力がない

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山手の家【第58話】

山手の家【第58話】

(もしも、真さんや真珠が誰かのせいでアレルギー症状を引き起こしていたら)
そう考えると、だんだん腹が立ってきた。
意図的にそんなことをやるとしたら、行方がわからなくなっている義人や、意識のない状態で発見された幸代と最後に会っていただろう、あの人しか考えられない。
瑠璃の頭の中で、真っ赤な口紅を塗った信子の唇がニヤリと動く。
(あのくそババア、許さない)
瑠璃はタブレットの電源を入れると、メモ帳を立

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山手の家【第46話】

山手の家【第46話】

真が出勤で自宅を不在にする平日の5日間、瑠璃は朝・昼・夕、特に時間を決めずに、盗聴器発見機の反応があったコンセントに向かって般若心経を流した。
般若心経を流すと、なぜか決まってどこかの部屋から物音が激しく聞こえてきたが、数日繰り返すと聞こえなくなった。
ゴールデンウィークの前半が始まる直前、般若心経を聞き飽きた瑠璃はデスメタルの曲を流してみた。
デスボイスのシャウトが始まったと同時に、どこかの部屋

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山手の家【第43話】

山手の家【第43話】

真珠の1歳の誕生日をささやかに祝い、瑠璃たちは日が暮れる前に帰ることにした。
義人も幸代も名残惜しそうで、幸代は「泊まっていけばいいのに」と、何度も引き留めた。
今回は真が久しぶりにドライバー役を買って出て、瑠璃は助手席に座った。
車は海岸線を夕陽に向かって進み始めた。
「まぶしいな」
真がサンバイザーを下ろした。
「そういえば、あのキーホルダー、鍵が入ってるボックスに戻ってた」
「キーホルダーっ

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山手の家【第21話】

山手の家【第21話】

生まれ育った北国ではあまり経験することのない蒸し暑さが堪えたのかもしれない。
瑠璃は山手の家の内覧から帰宅すると、すぐにシャワーで汗を流して、真珠の世話を真に任せて昼寝をした。
とにかく、体がだるくて仕方なかった。
気がつくと時計は夜の7時を過ぎていて、明かりのついたリビングで真と真珠が寝そべってテレビの録画を観ていた。
軽い夕食を取り終えて、瑠璃は仕事の原稿書きにも使うタブレットで調べ物をしてい

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山手の家【第20話】

山手の家【第20話】

真の声が上がったリビングは扉が全開になっていて、南向きの窓から明るい日差しが廊下にも漏れ出していた。
リビングに入ろうとしていた瑠璃を「瑠璃さん、そこ、気をつけて」と、真の声が止めた。
「そこ、段差があるんだ」
見ると、リビングの床が廊下よりも1段下がっていた。
「こんな段差、昔はなかったぞ」
確かに、真の言う通りだ。
信子たちが住んでいたころは、毛足が長く、地の厚そうな白い絨毯をリビングだけでな

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山手の家【第19話】

山手の家【第19話】

足音を立てて、真が廊下の向こうからやってきた。
「瑠璃さん、どうした?」
「真さん、これ、よく見て」
瑠璃は玄関扉を指差した。
「これのどこがおかしいの?」
「この扉、内側からロックできないし、チェーンとかドアガードもないから、家の中に誰かいる間は外から扉が開け放題」
ドアノブのそばに扉を開けられないように内側からロックをするためのツマミがあるはずなのに、それはなく、代わりに鍵穴があった。
今住ん

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山手の家【第17話】

山手の家【第17話】

9月になっても日差しの強さは衰えを知らず、蒸し暑い日が続いていた。
義人は真に対して、山手の家を「売らない」と言っていたにも関わらず、賃貸で借りるのはどうかと真が提案すると、「それならいいだろう」と、あっさり了承した。
気温が高くない午前中のうちに、瑠璃は真と、ベビーカーに真珠を乗せて、山手の家の内覧に向かうため自宅を出発した。
山手の家の最寄り駅の改札を出たところに、先に到着していた義人と幸代が

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山手の家【第15話】

山手の家【第15話】

昨夜、瑠璃たちの住む海沿いの街を濡らした雨は、夜明け前に小川家のお墓のある古都を通過したらしい。
雨雲はとうに過ぎ去って、強い日差しが照りつけていた。
海沿いの街で生まれ育ち、今もその街に暮らしていることを誇りに思っているらしい義人と幸代が、どうして小川家のお墓を電車で1時間半ほどもかかるこの古都にもうけたのかが瑠璃にはよくわからなかった。
でも、旅好きの瑠璃にとっては、定期的に古都に出かける理由

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山手の家【第14話】

山手の家【第14話】

「5日間のお盆休みが土日祝日含めて10連休になった」
そう喜んでいた真のお盆休みも中日を迎えた。
連休とはいえ、特別なことは何もしていない。
連日暑さが厳しいので真珠を連れて外出するのも気が引けてしまい、涼しい午前中に散歩がてら近所のショッピングセンターに買い物に出かけて、その日の食材を調達する日々を送っていた。
美容室に出かけると言って昼過ぎに出かけた真が神妙な面持ちで帰ってきた。
「ずいぶん時

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山手の家【第10話】

山手の家【第10話】

真よりも先に瑠璃が「こんばんは」と呼びかけると、優子は「あれ? 瑠璃ちゃん?」と、声をうわずらせた。
真は、スピーカーホンでしゃべっていることを優子に端的に伝えると、すぐに本題に入った。
「今日、親父と母さんに会ったんだけど、母さんの物忘れが進んでるみたいで」
優子は驚きもせずに「やっぱり」と答えると、「信子さんからお母さんの話をたびたび聞いてて」と、続けた。
真が姿勢を正した。
「信子さんが、何

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