「NEEDY GIRL OVERDOSE」レビュー①緻密な計算のもとにいつの間にか運ばれる「戻れない場所」
・はじめに
私はインディーゲームやフリーゲームを中心にゲームレビューを始めている。
いつもはある程度定型を決めてレビューを書くことで読みやすさを重視しているが、今回はその形式に従わずエッセイというか、自分語りのような形式も含めて話題のインディーゲーム「NEEDY GIRL OVERDOSE」を語っていきたい。読みにくさもあるかもしれないが、いつものですます調ではないのも了承してもらえればありがたい。
まずはこの動画を見てほしい。
私自身がこのゲームを配信しながらプレイしている時の様子だ。この映像を見ればわかるように、私はこのゲームに明らかに強烈に食らってしまった。このゲームを語るにはさまざまな言葉を尽くす必要がある。そこで、今回はレビューを3部構成にして、
として語っていきたい。特に3部は自分語りが強くなってしまうことはご了承いただいた上で読んでいただければ幸いだ。なお、1部の記事を書いている時にこのゲームのクリエイターであるにゃるらさんの記事を知り、それを読んでの考察を、1部の追記のような形で2部として書くことにした。
私はネタバレをできる限り避けるためにゃるらさんのtwitterもフォローしていなかったのでこの記事を知ることなく自分の記事を書き始めてしまったのでこのような形とすることにした。
・ゲーム概要
「NEEDY GIRL OVERDOSE」というゲームを簡単に紹介すると、
「承認欲求と収入を満たすために人気配信者を目指す女の子のプロデューサーであり彼氏でもある『ピ』として彼女を『導いていく』」
といったところだ。『ピ』の主な仕事は配信のネタ探しのために彼女の行動を決めることと彼女の心身の管理だ。LINEっぽいアプリに来る「あめちゃん」のメッセージに返事をしたりしつつも夜にはどの配信をするかを決める。ランダムに起きるイベントを通過しながらそんな日々を繰り返し、人気配信者を目指す、その過程や結果によりエンディングが分岐していくのだ。
(※ここからゲームのネタバレを含みます)
主人公の女の子である「あめちゃん」は顔がいいのでそれだけでもある程度のファンはついてくるが、人気配信者になるには配信のネタが大切だ。
エゴサや動画サイトを見せたり、一緒に出かけたり遊んだりえっちなことをしたり、薬をオーバードーズ(過剰服用)させたりすると「あめちゃん」はそこから配信のアイデアを閃く。アイデアを閃く行動には【!】マークがついているのでそこはわかりやすくプレイできる。
また、代表的なイベントとして、家賃の催促が来てそこまでに収益化しなければならない(実際には収益化してからもらえるまでそんなすぐじゃないだろうみたいなツッコミは野暮であろう)、できなければバッドエンドになるという時限付きイベントがある。その他にもLINEっぽいアプリに来る「あめちゃん」からのメッセージに返信をしたり、ストレス、好感度、やみ度(病みと闇がかかっているのだろう)をコントロールしながら目標に向かっていくのだ。
・クリエイターの思いを伝えるための緻密な調整
にゃるらさんはライターとして「承認欲求女子図鑑 ~SNSで出会ったヤバい女子たち~」という本を出版している。
申し訳ないことにこの本は未読なのだが、にゃるらさん本人も「精神的前作」とおっしゃっていると聞いたのでこのゲームには彼が出会った逸脱的な行為をする女性たちの姿が反映されているのだろう。
このゲームが成功した最大の理由だと思うのは、にゃるらさんが出会った彼女たちの焦燥や苦しみ、あるいは喜び、「ひどい」と同時に「そうせざるを得ないのかもしれない」生き方、そういった多様な姿の一端に「あめちゃん」の姿を通じて触れることができること。さらにはそのような逸脱的行動を「させる」側にプレイヤーを置くことで、その事実を突きつけ強烈な葛藤と罪悪感を生みつつも、そこで足を止めることを許さないようなゲーム展開により気がつくととんでもないところまでこちらを運んでいくことに成功しているところで、それは緻密なゲームデザインと調整のたまものだと考えている。
私の初回プレイの思い出を話したい。
このゲームを初回プレイする時、私は「できるだけひどいことはさせたくないな」と思いながら始めた。きっとそうはできないのだろうとも思ってはいたが、それでもできる限りはそうしたいと思っていた。一度、チャンネル登録者がいっぱい増える陰謀論配信をするか葛藤したがなんとか耐えた。
しかし、その思いはすぐに前述の家賃の催促によって揺るがされることになる。人間は経済的危機によって心身が蝕まれることを時限付きイベントによるバッドエンドによって表現するという、非常に巧みな表現だ。ここで前述した【!】マークによってネタが見つかるかどうかがわかりやすいというのが効果を発揮してくる。
視聴者数が増えないことに苦しむ彼女、そこで新しいネタを探すと陰謀論、やみ配信、えっちな配信など、彼女にひどいことをさせるがチャンネル登録者数は伸びるネタが見つかる。何日までに収益化できないとヤバいとどんどん焦り乱れる彼女。仕方なくそういう配信をしてなんとか収益化をする。ストレスとやみ度は上がってしまうが、彼女は目標が達成されて嬉しそうにする。
収益化をしても目標まではまだ遠い。目標に届かないとネガティブになっていく「あめちゃん」、また【!】マークに従って発掘した登録者に繋がるような刺激的な配信をする…そうしていくうちに自分も慣れてきて、気がつくとどんどん陰謀論語らせた挙句に向精神薬のパロディである薬を当たり前のように渡していることに気づいて愕然とする……。
自分のプレイ体験を一気に書いてしまったが、このように細かいメッセージやイベントによる揺さぶり、UIの巧みさ、ステータス増減の納得いくと同時に細やかな調整、そして曲調やBPMが状況に応じて変わりさらに不安感や焦燥感を煽るBGM、それらの絶妙なバランスによる自然な誘導のおかげで、気が付くと「あれ、自分は彼女に何をさせているんだ?彼女と何をしてしまっているんだ?」いうところまで導かれてしまっていたのだ。
この強烈なドライブ力こそがこのゲームの魅力であり、にゃるらさんが本の中で出会った女性から感じたものを少しでもプレイヤーに届けたいという誠実な思いが込められているのだろうと自分は感じた。
そして、この思いを成し遂げるために「ゲーム」という形式が必要だったのではないかと感じている。にゃるらさんはゲーム作成がこれが初めてと言うこともあるので、わりと的を外した想像ではないのではないだろうか。
ゲームでストーリーを語るということの大きな利点は「自分が主体的に介入することでストーリーが語られる」ということだ。主体的に介入するからこそ、ストーリーの展開が「自己の選択の結果」となり、受動的にストーリーを受け取るのとは全く違う情動をプレイヤーに与えるのだ。このゲームではどんどんひどいことになっていく「あめちゃん」の姿それ自体が「これはあなたがした結果ですよ」とプレイヤーである自分の行動を問う役割を果たしている。エンディングの中にメタフィクション的な、登場人物の「ピ」ではなくプレイヤーに話しかけてくるというものがあるが、むしろそちらに安心感を覚えてしまうほど「あめちゃん」そして一緒に転落していく「ピ」の姿の方が自分にとっては胸に迫るものであった。
・ここまでのまとめ
このゲームは私にとって強烈に刺さる、ゲームで物語を語るということの本質に満ちたゲームだった。
他にも、PVやスクショを見ればすぐに印象に残るであろうレトロでありながら細部まで凝った、ただのノスタルジーではないグラフィック、なかなかスキップする気になれなかった配信の変身バンクシーン、BGM、細かいパロディやオマージュのセンス、エンディングの一言のシニカルさなど素晴らしい点はまだまだある。強いてよくない点を言うとすれば、これはエンディング分岐型のアドベンチャーゲームでは仕方ないことだが最終的にはエンディング回収が作業っぽくなってきて、最初に感じた焦燥感や緊迫感が薄れてしまっていたということだろうか。しかし、特に初回プレイのあの感情を揺さぶられた感じは、本当に特別な体験だった。私をこのゲームにここまで執着させた、その手腕とゲームバランス、そしてクリエイターの思いには本当に感服であり、このゲームがこれだけヒットしたのもうなづける。ただのおかしな女性を見世物にするゲームであればここまで受け入れられることはなかったはずだ。
第一部は自分がこのゲームをプレイしてみて思った雑感を言語化した。次の記事ではにゃるらさんがこのゲームについて書いたnote記事を参照しながら語っていこうと思う。
追記:第二部・第三部公開しました。
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