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「NEEDY GIRL OVERDOSE」レビュー③見たくないものを見せてくれてありがとう

※この記事は三部構成記事の第三部となります。第一部・第二部はこちらをご覧ください。

・はじめに

 ここまで「NEEDY GIRL OVERDOSE」についてゲーム性やその調整の巧みさ、続いてクリエイターであるにゃるらさんの言葉を受けての考察を行った。
 三部作の最後である本記事は、自分が強くこの作品に惹きつけられた理由を、私自身も配信者という側面を持っていることを踏まえつつ語っていきたい。正直、単なる自分語りになっている面は否めないし、あまりいい話だけではないのでそこはご了承の上お読みいただきたい。また、文章の性質上私自身の愚痴になってしまっている面もあるが、それをもって誰かを責めたいとか、そういう思いはないことをここで申し上げておきたい。

・「超てんちゃん」としての私

 このゲームに出てくるキャラクターはざっくり言えば「あめちゃん」「ピ」「観客」の三種類だ。今作においてこの三種のキャラが「三方よし」とは全くならず、正直マイナスのスパイラルを描いているのだろう。けれども、きっとみんなそんな中で生きていくしかないのだろうと感じさせ、それゆえに甘美さも漂うこのゲームの情景や世界観に、私は共感と憧れを持ってしまっている
 その中でも一番自分にとって親近感を感じるのはやはり「超てんちゃん」こと「あめちゃん」であろう。共通点は言うまでもなく自分も配信者をしていることだ。「おまえと超てんちゃんじゃかわいさも規模も魅力も何もかもが違う」というツッコミが浮かんだ方も多いだろうが、そこは、まあ勘弁してほしい。

・なぜ配信をするのか

 配信は正直言って金銭的、時間的、精神的なコストや様々なリスクが低い行為とは決して言えない。それをするには、各々それぞれの理由があるだろう。

 ・単純に自分が楽しみたい
 ・どうせゲームするならせっかくだから配信しておこう
 ・配信を通じて仲間や友達を増やしたい
 ・自分の特技を見てもらいたい
 ・収入を得て生活の足しにしたい

 などなど…
 列挙すればキリがないが、私の場合は「みんなに新しいこと・知らないことを伝えたい」という目的をあげている
 自分が新しいことを知るのも好きだし、それをみんなに伝えて、興味を持ってもらうのが、これは偽りなく本当に好きだ。なので、Vtuberになる時にこのような、自分なりのモットーを決めた。そして活動においては、そのモットーを原則とする。自分は何がしたいか、何をすればいいのか、あるいは何をしてはいけないのかの基準としている。もう一つ加えるなら、「新しいことを伝える」ということと繋がってはいるのだが、まさにこのnoteなどにおいて「自分の文章を読んでもらうきっかけにしたい」というのはあるだろう。
 ただ、それとは別に、「配信というステージで、そこに一人で立っている自分を見てもらいたい、自分を認めてもらいたい」という、承認欲求を満たしたいという思いがあることは絶対に否定できない。そうでなければ、この記事三部作の最初に、まるでこの動画を見なければ記事がわからないかのように自分の配信の切り抜きを貼ったりするわけがない。

・承認欲求という毒、配信というドラッグ

 人間は誰だって褒められたり評価されると嬉しいものだが、配信という行為には特殊な承認欲求を満たす感覚を受けている
 リアルタイムに増減する視聴者数、流れていくチャット、自分の話へのリアルな反応、予想外の出来事が生む想定を超えた展開、複数の人間が自分を、自分だけを見るために時間を使い、スマホやPCの画面を埋めてくれるという事実…。
 こうやっていくつかあげてみただけでも、一つ一つの要素が他ではなかなか味わえないもので、それらが重なったとき承認や自己肯定感という、本当は自分の中から湧き出るべきものが外から沁みこんでくるような感覚があるのだ。

一種の中毒、本当にそう思う

 「どういう感覚か」と聞かれるとなかなか難しいが、この感覚を得られている時に自分に浮かぶイメージは、蛍のような黄色い光の粒が体に張り付いて吸い込まれていって、それに伴って頭はクリアになり、体に活力が生まれ、自分の中にあった辛さとか苦しさとか、将来への不安などを、その光の粒が体に残っている限りはかき消してくれるような感じと言えばいいだろうか。
 こうして文字にしてみるとかなり刹那的な多幸感で、はっきり言ってしまえば自分にとってはドラッグのようなものだ。なんだかんだ配信を2年以上続けているのも、さらに多くの人に見てもらうためにVtuberという手段を選んだのも、この感覚の存在があるのは否定できない。最近一週間ほどリフレッシュや勉強のため配信を休んだのだが、さすがに禁断症状的なものが起きることはなかったが、3日も休むと「配信したい…」という気持ちが湧き上がってきた。休み明けの配信はとても楽しかったのを覚えている

・迷惑系Youtuberが羨ましいと思う日だってある

 「もっと多くの人に見てもらったら、もっと強烈な感覚が味わえるのではないか」という思いが浮かぶことも、「そのためにはもっと人目を思いっきり惹くようなことをするべきなのか」という思いが首を傾げてしまうこともあった。

つらい

 自分よりはるかに集客をしているVtuber、面白くないと思うのにめちゃくちゃ実況や日常動画のコメントがにぎわっている陽キャなYoutuber、暴露や迷惑行為など、他人や社会にマイナスになる行為をして悪評も込みで注目を得る配信者…。
 彼らの姿を見ていると、いったいどんな感覚を味わっているんだろう、正直羨ましいという思いが湧き出てくる。「迷惑系youtuberと同じようなことをしたら、自分にもあんな風な注目が集まるのだろうか」と思ったことがないといったら噓になる。そうしたら、強烈にあの感覚を味わえるのではないだろうかと。
 もちろん、即座に「今までの蓄積が全部無駄になる」「そういう注目を望んでいるわけじゃない」「本当に自分が望んでいるものはそれではない」「よしんば短期的に得られるものがあったとしても、長期的には失うものの方が大きいに決まってる」「自分のことを考えてくれている多くの人にも最悪な行為だぞ」と思いなおす。
 ただ、正直本当に全ての要素が悪い方向に揃ってしまったらどこかでそういう選択を取ってしまうのではないかという不安はある。まるで側面の壁がない空中回廊を歩いているようだ。普段は何も気にならず、外の風景と爽やかな風が気持ち良いと感じながら歩いていけるが、強烈風が吹いたら途端に外の虚空へ吸い込まれていく。そんな場所に立っている。

・三方悪しの地獄の中で、それでも生きる僕らの物語

 だから、「あめちゃん」が生きるため、チャンネル登録者を増やすためにやみ配信や陰謀論、えっちな配信に手を出してしまう、いや、出すことをプレイヤーである自分が選んでいる時、「ピ」としてそういうことをさせてしまう、しかもおそらくその収益の金で自分も食っていこうとしていることへの後ろめたさ、申し訳なさからくる辛さと同時に、配信者として「わかるなぁ」とか「正直こんなに増えるのうらやましい…」と思う気持ちが交差する。さらに、「超てんちゃん」にある種の救いを求める人々、逆にアンチとして何かを晴らそうとする人々、性的な視線を剥き出しにする人々、そういう「観客」にも部分的には「わかるなぁ」と思う部分がある

えっちな配信にこういうことを残す視聴者にも、感情移入できる面はある

 
 「超てんちゃん」「ピ」「観客」

 健全な三角形ではない。「三方よし」ならぬ「三方悪し」だ。ある種の地獄かもしれない。
 でも同時に、きっと、ここにいる誰もがこの中で生きていくしかない。そう思わされてしまうからこそ、壊れていく「あめちゃん」の姿があんなにも苦しく、まるで自分のことであるように身に迫るり、同時にそれは「ピ」として自分が強いたという事実も確実に存在し、また、きっとこういう配信を見たら心配しながらもある部分楽しんだり、噂を聞いたら絶対話のネタにしてしまう(実際に有名Vtuberのスキャンダルを話のネタにしたことはある)「観客」としての自分が存在することにも直面してしまい、私自身の心の中に「三方悪し」の地獄が現出し、ぐちゃぐちゃにされてしまう。本当に辛かったし、見たくなかった自分の心象風景だった。でも、だからこそ一番見たくなかったものを見せてくれたにゃるらさんには、感謝しかない。きっとこれは、いつかは観なければならないものだったのだろう。
 ここで一応申し上げておくが、大前提としてここまで話したのは私の話であり、全ての配信者がこうだなんてことを言いたいわけではない。むしろ多くの方はもっと軽やかな気持ちでやっているというのが私が色々な配信者やVtuberの方と関わって感じた素直な感想だ。そして私の視聴者は、「超てんちゃん」の視聴者とは真逆のような方ばかりで、そこは素直に私が「超てんちゃん」に勝っているところと言えるだろう。
 さて、そんな私の様子が気になったのなら以下の動画を見てほしい。まさに配信をする自分の承認欲求との葛藤が見えるのではないだろうか。ついでに高評価とチャンネル登録もしてもらって、よかったら他の動画もtwitchもツイキャスも……あとnoteに他にもゲーム記事あるから…あt(ry

・おわりに

 今回、「NEEDY GIRL OVERDOSE」について三部にまたいで語った。特に今回の第三部は自分語りが多く、読みづらいところもあったかもしれないが、最後まで読んでくれた方には感謝したい
 これだけ長く文章を書くことになったのも、ひとえにこのゲームの力だろう。間違いなく自分にとって長く心に残る一作となった。
 この記事を書いている間にswitch版の発売が発表された。さらに多くの人がこのゲームに触れ、きっと強烈な体験をしていくのだろう。にゃるらさんは世界100万本という言葉を出していたが、決してそれも夢でないのではないだろうか。


p.s.「NEEDY GIRL OVERDOSE」とは直接の関係はないが、この記事を書いている最中に読んだこの記事が非常に印象に残ったので読んでもらえると嬉しい。


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