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スーパー戦隊シリーズの黄金期は90年代前半ではなく80年代前半ではないか?

本日は久々にスーパー戦隊シリーズの話。流石に映画の話ばかりだとそれはそれで疲れるので、何日かに一回は古巣というかホームに戻らないとね。
映画という芸術の羨ましいところは市民権を得ているだけではなく、評論・批評ならびに歴史などの研究もまた盛んに行われていることだ。
作品の批評・評論とはまた別に歴史や政治との繋がりといった「外」との関わりもまた重要であると思う。
矛盾するようだが、私は何も芸術と歴史・社会・思想との繋がりそのものを否定しているわけではない、衣食住が満ち足りていなければよき芸術は生まれない。

それに以前から何度か述べているが、やはりその国毎に扱うことができる題材やそうでない題材は確かに存在する。
例えば日本だと時代劇(侍・忍者)や任侠映画があるが、他にも怪獣映画や集団ヒーローといったものは日本にしか存在しない文化であろう。
単に大きい怪獣が出てくるだけならアメリカでも「キング・コング」などがあるが、悲劇性を帯びたゴジラという怪獣は戦後日本にしか生み出せない映画だった。
また、その意味ではスーパー戦隊シリーズもまた「集団ヒーロー」という概念自体が和を以て貴しとなす日本にしか存在しない文化である。

その意味で作品批評・評論と同じくらい歴史や文献研究といった辺りで自分を試して視野を広げることもまた大事であり、私はそこは否定しない。
表層批評をはじめ作品批評・評論に外との関わりは持ち込まないスタイルを私は貫くように心がけているが、それとは別の歴史研究は同じくらい大事である。
だからこの2つは両輪のようにして駆け上がらないと感覚が狂うとは思うが、その中で私がオススメしているのは以下の書籍だ。

蓮實重彦が書いたものも含めて「映画史」や「映画と社会・政治」についての書物はこの辺りを読んでいくと、非常にわかりやすい。
こうした映画史の流れをまとめた教養本もまた体系的に理解できるものとしてオススメであるが、こと特撮に関してはこういう体系的な書物があまりない。
平成ライダーに関する「語ろう」本や「平成特撮の夜明け」などもあるにはあるが、書物としての価値は映画のそれとは比べ物にならないほど稚拙だ
まあ所詮特撮なんて映画の一分野でしかないからということなのであろうが、図書館にあるものも含めて特撮には決定的な「これだ!」といえる文献研究がない

スーパー戦隊シリーズにしてもそれは同じで、オフィシャルムック本や学研の資料などもあるが、個々の作品のみならまだしも「歴史」や「社会・政治との繋がり」についての研究の水準が低すぎる
「歌は世につれ世は歌につれ」という諺があるのだし、「スーパー戦隊シリーズと社会・政治」について調べる動きがあってもいいのだが、所詮は「ガキ向けだから」と誰もその歴史を論じようとしない。
だから、作品数としては47も作られもうすぐ50に達しようとしているにも関わらず、その歴史に関して詳細に論じようという動きがファンジンも含めてないのは何とも惜しいことである。
まあそれはそれとして、改めて映画史に関する上記の文献を読んでいくと、ハリウッドにしろ邦画にしろ昔は「黄金期」なるものが確実に存在していた

ハリウッドに関しては1920年代〜50年代、サイレント映画から徐々にトーキー映画に変わっていく中で豪華絢爛であり、また撮影システムがきちんと存在していた時代だ。
もちろんその中にはキートン・チャップリン・ロイドら「三大喜劇王」も含まれているわけだが、この時期の黄金期の「ナラティブフィルム」が出来上がっていくあたりのハリウッドは本当に凄かったようだ。
実際、親友Fからも度々そんな話題について教えられたことがあるが、邦画もまた五社協定がしっかりあった黒澤・小津・溝口・成瀬がいた戦後60年代までは間違いなく黄金期であった。
だが、ハリウッドは60年代から、そして邦画もその辺りからテレビという新しい媒体の登場と共に撮影所のシステムが崩壊していき、実質的な「映画の死」が実現したとある。

この歴史を見ていくと実はスーパー戦隊シリーズにも似たような流れがあると思うのだが、私が益々疑問に思うのは「スーパー戦隊シリーズの黄金期は90年代前半ではなく80年代前半ではないか?」ということだ。
ハリウッド映画や邦画がシステムとしても世俗に向けた影響力としても充実していた時期が黄金期だというなら、スーパー戦隊にとってそれは曽田博久がメインライターを務めていた80年代前半までではないか
特にスーパー戦隊シリーズの長期継続を完全に決定付けたとされる『電撃戦隊チェンジマン』(1985)はそんな風に体制がしっかりしていた中で作られた時代の必然として生まれた傑作である。
正に「チェンジマン」の辺りまでは本当にスーパー戦隊は視聴率も予算も潤沢で、脚本も演出も色んなものが充実していたのだが、このシステムが外の事情で崩れ始める時があった。

それこそが正に1989年の『高速戦隊ターボレンジャー』であり、この年は本当に昭和から平成へと年号が切り替わったことも含め、対外的事情にかなり振り回されていたことが伺える。
それは平均視聴率が大幅に低下したことに現れており、尚且つ枠まで移動になり、また属人化してしまった曽田脚本ならびに演出家たちの質の低下なども散見されていた。
『地球戦隊ファイブマン』の頃には「打ち切りの危機」なる言葉が出て噂されていたが、その真偽はともかくもはや「チェンジマン」の頃までの充実したシステムがここで崩壊したのである。
だからこそ『鳥人戦隊ジェットマン』(1991)では井上敏樹をはじめ制作スタッフが一気に世代交代したわけだが、それはスーパー戦隊シリーズにとっては実質の「」を意味するだろう。

「ジェットマン」がもたらしたのは表向きこそ変革であるが、それはあくまで作品の評論・批評としてであって、対外的事情も含めて見ればあくまでも「スーパー戦隊の死」である。
そしてその「死」から何とか立ち直ろうと再起を図って作られたのが『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(1992)以降のファンタジー戦隊三部作であって、そんな時代が黄金期であるはずがない
おそらく黄金期と言っている人たちはシリーズとしての自由度が高まったことや玩具売上が伸びたことを受けての発言であろうが、それらはあくまで「商業面での成功」に過ぎないであろう。
商業的に「売れた」ことと作品的な「良し悪し」は別軸で語るべきものであるし、ファンタジーというジャンルだって積極的にそれを入れたのではなく、当時はそれ以外に方法がなかったからだ。

白倉Pが「『ダイレンジャー』までの3年間は背水の陣で作っていた」みたいなことを述懐しており、ポジショントークとして盛っている部分はあるだろうが、かといって完全な嘘でもないであろう。
そう考えるとファンタジーが新たな器として登場したのは曽田戦隊のベースにあった「軍人」「科学技術」といった戦後日本のスーパー戦隊を形成していたフォーマットに代わる器がなかったからである。
そして90年代もいよいよ『超力戦隊オーレンジャー』(1995)で実質の終焉を迎え、高寺Pがチーフを務めた『激走戦隊カーレンジャー』(1996)からはもう完全に従来の撮影システムではなくなった。
90年代戦隊はその意味で「死と再生」の10年でもあり、この辺りのことを詳しく研究していくだけでも相当な文献ができるはずであるのだが、ファンレベルでもそれをやろうとするものはなかなかいない。

今の時代せっかくSNSでプロの人と直に話しやすい距離感になっているのだし、サブスクリプションやYouTube・ニコニコ・東映特撮FCなども充実しているのだから、もっと有効活用してみてはどうか?
単に作品を見て面白いつまらないを論じるのも結構だが、そこからもっと踏み込んで研究してみようとすると、意外な発見があるかもしれないことに戦隊ファンはなかなか気付かない。

正に愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶのである。

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