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ヤンキーとオタクと反知性主義。暴力から陰キャへ

現代日本では反知性主義は「論理的思考・エビデンス・科学的根拠を無視して感情論を語ること」という文脈で使われていることが多いです。

以前は「知性や理屈が通じない暴力的なヤンキーや反グレ」が、反知性主義の代表として扱われることが多かったのですが、既に現代日本ではヤンキーなど存在していません。

一方で、最近目に留まるのは「家に籠ってSNSやスマホやネットに触れ、自分の感情に都合の良い耳障りの良い言葉を信じる馬鹿」というオタク型の反知性主義者です。「カルト宗教型の反知性主義」と言っても過言ではありません。


科学・エビデンス・統計等の「ファクトフルネス」が重視される現代社会において、反知性主義は大変危険な有害思想であることは明確です。

知識や合理性を軽視し、感情や偏見に基づいて行動する傾向が広がることで、社会全体が歪んでしまいます。このような動きが進むと、偏見や誤った情報による差別や争いが増加し、社会的な分断や混乱が生じる危険性があります。さらに、科学や教育への投資が削減される可能性もあり、知の進歩や社会の発展が妨げられることが懸念されます。

反知性主義の影響は、個人レベルから始まります。知性を軽んじ、思考力や判断力を欠いたまま行動することで、自らの可能性を制限し、他者や社会への貢献を阻害します。さらに、情報に対する批判的な視点が欠如するため、誤情報やデマが拡散しやすくなり、人々の意識が歪められる恐れがあります。これによって、社会全体が誤った方向に進んでしまう可能性が高まります。

このような問題に対処するためには、教育の重要性を再認識することが不可欠です。知識や思考力を鍛え、情報を正しく判断する能力を身につけるための教育が必要です。また、メディアや情報発信者に対しても、事実を正確に伝える責任があることを促し、信頼性の高い情報を提供することが求められます。さらに、政府や行政も、科学や知識の普及を促進する政策を積極的に推進することで、反知性主義の拡大を防ぐ努力を強化すべきです。

昨今はITやAIなどのテクノロジーの進歩が著しく、職人や肉体労働者であっても感覚だけで仕事をするわけではなく、テクノロジーやIT機器を有効活用できる知性やリテラシーが必要なことは言うまでもありません。

現代文明社会で反知性主義などは成立しえないのです。


「暴力的な反知性主義」の終焉。ヤンキーは絶滅危惧種

未だに「反知性主義=ヤンキー」のように考えている人もいるかもしれませんが、既に現代日本ではヤンキーなどほとんど存在しませんので、「暴力的な反知性主義」は終焉を迎えたといえるでしょう。

これは素晴らしいことです。

「暴力=カッコ悪い」「ヤンキー=ダサい・モテない」というイメージが世の中に広く広まったのが良かったのでしょう。

未だにオラついている素振りを見せたりするのは、昭和の少年時代を引きずっている中高年が多いですし、東京卍リベンジャーズ等のヤンキー漫画なども読んでいるのは中年男性です。若者はこのような中高年オジサンを見て、「うわーダサい」と感じているわけです。


もちろん、田舎や九州や沖縄や広島などの地方のイオンモールなどには、多少はヤンキーっぽい人も残っているかもしれませんが、もはや絶滅は時間の問題です。

しかし、一方で日本のヤンキーや反グレではなく、これからは移民が「暴力的な反知性主義」の中心になっていく可能性はあるので注意が必要です。

民度の低い移民は、社会問題としてますます深刻化しています。彼らは、法律やルールを無視し、暴力や犯罪行為を犯すことがあります。彼らの行動は、周囲の人々に恐怖や不安を与えるだけでなく、社会全体に悪影響を及ぼしています。

彼らの多くは、家庭環境や教育の不備、経済的な困難など、さまざまな背景を持っています。彼らは社会からの孤立感を感じ、暴走行為を通じて認められたいという心理的な要因があることも考えられます。このまま放置すれば、彼らの犯罪や暴力行為がさらにエスカレートし、社会全体に深刻な影響を及ぼす可能性があります。

共生社会を目指すためには、「厳しい基準による移民の制限」と「移民との対話や交流」の両立が欠かせません。彼らと対峙することなく、単に排除や罰するだけでは解決にはつながりません。彼らに対しても、人間としての尊厳を尊重し、改善の機会を与えることが求められます。 移民問題は単なる個人レベルの問題ではなく、社会全体で取り組むべき課題です。


増える「オタク型の反知性主義」。お気持ち至上主義者の気持ち悪さ

一方でヤンキーの代わりに増えているのが、ネット・SNSを中心に活動するオタク型の反知性主義者です。

「オタク」と言っても別にアニメが好きとかそういう話ではありません。スマホをポチポチしてSNSでお気持ちをつぶやく馬鹿な人達という意味です。

例えば、以下のような方々が挙げられます。

■フェミニスト

■反AI絵師

■れいわ信者

■貧困左翼


彼らはとにかく自分のお気持ちが第一で「自分が見たいものしか見ない」「客観性や論理的思考力が足りない」「法律論が理解できない」「情報リテラシーや科学リテラシーが低い」「一次情報を自分で確認しない」等の特徴があります。

現実やファクトを見ようとせず、自分に都合の良い情報を自分に都合よく解釈して信奉するのです。カルト宗教の信者と変わらないといえるでしょう。


感情論に頼ることで生じる社会的影響は深刻なものがあります。

感情論が引き起こすリスクは、感情によって客観的な判断や論理的な分析が歪められ、結果として誤った決定を下す可能性がある点にあります。感情に左右された判断は、損失や後悔を招くことがあります。例えば、怒りや恐れによって感情が先行し、その感情に基づいて行動や意思決定を行うことで、冷静な状況判断やリスク管理がおろそかになり、思わぬ結末を招くことがあります。

感情論に基づく意思決定やコミュニケーションが増えることで、冷静な論理よりも感情が先行し、偏った判断が行われる可能性が高まります。これにより、対立や誤解が生じやすくなり、社会全体の協調性が損なわれる恐れがあります。

感情論に頼ることが社会的影響をもたらす背景には、人間の本能や文化、個人の経験などが複雑に絡み合っています。特にSNSやメディアの普及により、感情を刺激する情報が瞬時に拡散される環境が整い、感情の影響力が増していると言えるでしょう。


冷静な判断を行うためのポイントは、まず感情と客観的なデータや事実を分けて考えることです。感情的な反応を抑え、冷静な状況判断を行うためには、事実やデータに基づいた情報を正確に収集し、客観的に分析することが重要です。

また、冷静な判断をするためには、感情に左右されない視点を持つことも大切です。自分の立場や感情だけでなく、他者の視点や状況を考慮し、客観的な全体像を把握することで、冷静な判断ができるでしょう。 さらに、冷静な判断を行うためには、感情や主観的な考え方を一旦置いておき、物事を客観的に分析する習慣を身につけることも重要です。

感情に流されず、論理的な思考を重視することで、冷静な判断が可能となります。 感情論に流されることなく、冷静かつ客観的な判断を行うことは、リスクを最小限に抑え、良い結果を得るために欠かせないスキルであると言えます。


反知性主義は境界知能や発達障害や社会不適合者の受け皿?

僕は「暴力的な反知性主義」と「オタク型の反知性主義」には共通点があると考えています。それは、発達障害や境界知能や社会不適合者の方々ほど反知性主義を支持しやすいという点です。

人の文明は高度に発展し続けていますが、その世の中の流れについていくには知性や知能が必要になります。現代では「普通」の基準がどんどん上がっていっているのです。つまり、頭が悪い人は置いてけぼりになってしまうのです。

昭和のヤンキー文化は頭の悪い人の受け皿になっていた面もあると思います。頭が悪くて世の中の高度な話についていけなくても、ヤンキーという文化に所属することで、居場所と人との関わりと尊厳を得られていたのでしょう。

しかし、現代ではヤンキー文化はもう消滅しましたし、そもそも現代人にはヤンキーのような筋力や根性もありません。そのため、現代の頭の悪い人は、ヤンキーの代わりにSNSの反知性主義に集結しているのでしょう。


このような反知性主義に対抗するには、理性と教養を育む必要があります。知性を高める努力を怠らず、疑問や課題に真摯に向き合い、論理的思考を鍛えることが重要です。また、自己の意見や信念を形成する際には、客観的なデータや事実に基づいて考えることが必要です。

また、一人ひとりが日常生活の中で教養を育むことも重要です。本や論文を通じて知識を深めたり、さまざまな文化活動に参加することで、個々の知性を高めることができます。さらに、ネット上の情報に対しては常に疑問を持ち、情報の信頼性や偏りを見極める目を養うことも必要です。

また、教養を育むためには人と対話することも大切です。議論や意見交換を通じて、自分の考えを整理し、他者の視点を理解することができます。さらに、異なる文化や背景を持つ人々と交流することで、自らの世界観を広げることができます。

さらに、メディアや政治の偏向に注意を払い、情報を客観的に見極める力を養うことも大切です。また、自ら情報を収集し、分析する能力を高めることで、批判的思考を養うことができます。


社会全体で教育の重要性を再認識し、理性を育むための教育制度の改善が必要です。教育現場での価値観の浸透やカリキュラムの見直しにより、生徒たちが批判的思考や論理的思考を身に付けるよう促すことが重要です。

大切なのは一辺倒な教育をする事ではなく、頭が悪い人も理解できるように根気強く教える優しさと、それでも理解しない者や意欲の無い者は切り捨てる厳しさの両立です。

反知性主義は、社会全体の課題であり、個々の取り組みだけでは完全に解決することは難しいかもしれません。

しかし、個人が意識的に知性を高め、持続的な学びを重視し、客観的な思考を身につけることで、少しずつでも反知性主義に立ち向かう力を育むことが重要です。それが、より理性的で論理的な社会を築く手助けとなり、知性を大切にする文化を広げていく礎となるのではないでしょうか。


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