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コラムエッセイ #2

陽がほんの少し落ち着いた17時過ぎ
最寄りの駅に向かうと
当たり前だが沢山の人で溢れかえっている

スーツを着ていて
おそらく仕事から帰ってくる人

友達や恋人と遊んで帰ってくる人

夕ご飯の支度に必要な食材を買う主婦

駅前のベンチで
濃いめロング缶のお酒飲んで
騒ぐおじいちゃんたち

その人たちのストーリーが
そこにはあるわけです。

そして、その人それぞれの
ストーリーを勝手に想像し、
楽しくもあり、反面羨ましいわけです

週末となれば、
家族連れが街に繰り出します

小さな子を抱えた親
手を繋ぎ歩く親
子の歩幅にしっかり寄り添う親
ハトが佇んでいるだけで喜ぶ子を
そっと見つめる親

僕が言いたいのは
その人それぞれの愛の行方、
そして自分への期待感なんです

楽しそうに会話し
楽しそうに歩くカップル
手も繋いでいます

スーツの人は
誰かを守るために
電車に乗って会社へ
いっているかもしれない

カップルたちは
楽しかった1日が
終わってしまうことに悲しみ、
帰りが名残惜しいのかもしれない

スーパーへ駆け込む主婦は
家族のために美味しいごはんを
作ってあげたいのかもしれない

駅前のベンチでお酒を飲むおじいちゃんは
一人でいたくないのかもしれない
誰かといたいのかもしれない

その「かもしれない」を
考えるのが好きなのです

全部当たっているとは
思わないけれど、
少なからずは、というところ

その人たちにとっては
それこそが紛れもない
「日常」であって
一方、僕にとっては
「非日常」でもあるわけです

簡単に言えば、
ないものねだりというやつです

自分で自分を満たせない僕は
現在にある環境を軸にして
想いを馳せている

ああだったらいいな
こうだったらいいな

たらればの世界の住人です

けれど
いつの日が思い描いた未来が
「日常」になるように

自ら手繰り寄せる必要がありますね

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