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20211218新発田朝祷会メッセージ「神と共に生き抜く」(マタイ1:18-25)

 日本各地に「朝祷会」(ちょうとうかい)という働きがあります。教派を越えてキリスト者が集い、祈りと朝食を共にする集いです(朝祷は朝食・祈祷の略です)。現在150ヶ所近くで行われているそうで、新潟県内では新潟市(毎月最終土曜7時~)と新発田市(3~12月の原則第2土曜7時半~)で行われています。(詳細が気になる方はお問い合わせください)

 出身地新発田で行われている朝祷会に奨励者(ゲストスピーカー)としてお招きいただき、アドベントにちなんだお話をさせていただきました。とは言え、前半はこれまでの自分史(キリスト教用語で「証し」と言う)ですが。
 讃美歌は2曲歌い、開会では時節に合わせて「荒野のはてに」、奨励直後には「主我を愛す」を歌いました。(前掲の歌集を使用)

 朗読された聖書箇所はこちらからご覧ください。

 今回のヘッダー画像は当日朝の新発田駅前(朝祷会会場付近)。ちょうど、前夜から今シーズン初となる本格的な積雪でした(もう融けましたが^^;)。会場のクリスマスツリーもご紹介します。

  以下、当日の原稿です。何ヶ所か()書きで事後コメントを加えているところもあります。

 おはようございます。そして、多くの皆様には「ご無沙汰しております」という挨拶も添えさせていただきます。このようにお招きいただき、ありがとうございます。神学校合格から入学の頃は、所属教会や入学式で何回か「証し」という形でお話することはありましたが、ご依頼をいただいて馳せ参じるという形は今日が初めてとなりました。そのような機会を地元の新発田からいただけたことは本当に大きなことだと感じております。
 今年3月の朝祷会には何とか出席して、4月に新潟聖書学院神学科(4年課程)に入学することをご報告させていただきました。ただ、元々夜型という生活リズムが災いして、それまでの朝祷会は年に1~2回出席できればいい方というほどに出席できていませんでした。そんな状況では折々に分かち合えるはずのことも分かち合えませんでしたので、最小限の自己紹介や経過報告のようなお話をまずさせていただきたいと思います。ちなみに直近のご報告をさせていただくと、ちょうど昨日で年内の授業が終わりました。そして、明日の午後は今年度出席している教会で子どもクリスマスがありまして、そこでもショートメッセージを担当することになっています。そのためにもお祈りいただければ幸いです。
 なお、言い訳のようで恐縮ですが、説教学等の授業はまだ受けていない身であることを予めお断りさせていただきます。しかしこの原稿は、新発田キリスト教会(出身教会)の牧師であり学院で舎監等の働きをされているH.Y先生から事前にご確認をいただいています。

 私は間もなく30代に入ろうという身ですが、その大半の期間を新発田で過ごしてきました。小中学校はたまたま固有名詞は同じ公立、高校大学は敬和という説明のしやすい経歴です。両親ともクリスチャンで、私は当時白山駅の近くにあった日本同盟基督教団 新潟福音教会に小さい頃から連れられて通いました。そして小学校2年生のクリスマスに、女池インターの近くに移転したばかりの新しい建物で最初の洗礼式の時に洗礼を受けました。実はその洗礼記念日が明日で、今年はちょうど日曜日に重なっています。
 私は高校も公立にするつもりでいたんですが、中3の11月、その年度最後のオープンスクールに親しい友人が行くというので、軽い気持ちでついて行きました。それまでの計画はそこで一気に覆り、1月の入試を受験して敬和高校に合格することができました。こんなに些細なきっかけをも神が用いられるんだなぁと驚かされた、原体験のようなものだったと思います。実は、私は中学校で宗教的な面も作用した軽いいじめに遭っていました。敬和高校での3年間は、そのような私にとって回復のための重要な場面となりました。
 この時期までは信仰面でさほど大きな困難・波を経験せずに来ましたが、自分でも気づかないうちに、敬和大学に入った頃からマンネリ状態に陥っていたことに後かから気づきました。信仰生活や教会生活に、だんだんと喜びを感じられなくなってしまったのです。現在受けている後期の授業の中にヨハネの黙示録を読む授業があるんですが、その表現を借りるならば3:1「生きているとは名ばかりで、実は死んでいる」という状態だったと言えます。大学のチャペルアワーや教会の礼拝等は奏楽奉仕があったので、傍から見れば普通に出席を続けていましたが、その内実は先程言った通りだったのです。それでもギリギリのところで守られたのは、奏楽奉仕と、在学した大学がミッションスクール(キリスト教主義学校)だったことに他ならないのではないかと思っています。
 私は敬和高校で本当にいい3年間を過ごさせていただきましたので、クリスチャン教員としてミッションスクールで教えることが神から与えられた使命だと考えるようになり、大学で教職課程を履修して中学社会科・高校公民科の免許を取得しました。あわよくば母校に戻れればと願ってもいました。それに加え、大学の先輩が2年続けてJ大学の大学院に進学されました。そのうちのお一人とは知り合いだったので、大学院の様子を時々お聞きする中で「専門的なところでもう2年学ぶのもいいことだろう」と思い、さほど祈りも考えもせずにさらなる進学を決めたのでした。
 2014年春に大学院に入学してからは大学の敷地内にある寮に住みましたので、これが初めて親元を離れる経験となりました。その時期もまだ信仰のマンネリ状態は続いていましたが、大学院の2年目、2015年秋に2つの出来事を通して信仰の回復が与えられるようになりました。一つは、毎週通っていた日本伝道福音教団高田聖書教会で礼拝だけでなく木曜祈祷会にも定着したことで、もう一つは、奏楽のお手伝いに行かせていただくようになった日本基督教団 新井教会での礼拝体験でした。新井教会の礼拝は午後に行われていますので、先述の教会の礼拝に続いて一日2回の礼拝となりました。新井教会にお邪魔するようになったきっかけは、敬和高校の先生方が県内の日本基督教団の教会へ出向いて行われる「敬和デー礼拝」でした。その時は現在教頭をされているA妻先生がお越しになったんですが、敬和がここでもキーポイントとなったのです。回心を巡って起きたいろいろな出来事をさらにお話したい気持ちは山々ですが、時間の制約もありますので話を次に進めさせていただきます。
 回心という大きな恵みが始まって数ヶ月、大学院2年目ですので論文の提出・審査の時期になりました。そして、私は審査不合格という結果となったのです。担当教員と話し合った結果、留年して3年目に再提出することに一旦はなりましたが、寮の入居期限は延長できなかったので2016年3月に新発田に戻りました。そして再起を図ったものの、一度提出してしまったためか燃え尽き症候群のような状態になってしまい、9月末付で大学院を中退することになりました。
 それから障害者採用のフルタイム求人数件に応募したんですが鳴かず飛ばずで、定職に就けないまま12月のアドベントの時期を迎えました。アドベント第4主日の12月18日、まさに5年前の今日ということになりますが、私は午後に新潟市内で用事があり、私は元々視覚障害があるために運転免許が取得できないものですから、交通機関を使うと所属教会の礼拝に出た後では間に合わないので、日本基督教団新潟教会(新潟朝祷会会場)の礼拝に出席しました。そこで朗読されたのが、先程お読みいただいたマタイによる福音書1章18~25節でした。
 N倉牧師による説教を聞く中で、私はそれまで感じたことがないほど強い神からの迫りかけを感じました。それが教会に直接仕える、すなわち牧師になることへの促しであることには比較的すぐに気づくこととなりました。当時の私は、回心の始まりから1年余を経ていましたので教会生活の喜びを取り戻していましたが、あくまでも「普通に仕事をしながら、その上で可能な範囲で教会に仕えていければ」と信徒の立場で考えていましたので(母が新潟福音で平日事務室のバイトをしていたので、そういう教会スタッフという可能性も頭にはありましたが)、神からの迫りかけは当然ながら予想もしなかったものでした。しかし、説教を通して気づかされたヨセフの姿は「当時の律法に従う形で『世間に受け入れられる』普通の行動を取ろうとしていた状態から、『神の目に適う』行動へと導かれていった」というものでした。

 さて、マリアの妊娠を知ったヨセフは、人間的に見れば孤独な戦いを余儀なくされていたのではないかと思います。これは、救い主を身ごもった喜びを親戚のエリザベトと分かち合うことができたマリアとは対照的で、仮に親しい友人が相談相手として近づいたとしても、ヨセフには口外することができなかっただろうと思います(マリアの苦しみも当然あったことにも触れたかったですが時間の制約上割愛)。当時の律法では、婚約関係の外で妊娠した場合は死罪に処せられると定められていたからです。否が応でも自分だけで考えないといけないと思い、その結果マリアと密かに縁を切るという決断を下したヨセフに、夢の中で主の天使が正反対のことを命じました。マリアへの受胎告知との場面とは逆に、ヨセフの反応は全く記されていませんが、旧約における預言の成就であるという重い事実はきっとヨセフを大きく励ましたのではないかと思います。インマヌエル、「神は我々と共におられる」という約束は、今の私達にも語られている計り知れない恵みの約束です。
 この約束は、一時的にではなくその後もヨセフを変わることなく支え続けたのではないかと思います。マタイ福音書は、続く2章の冒頭で占星術の学者たちがイエスの元を訪れて礼拝したことが記されていますが、その後イエス一家はエジプトに避難しました。これは「ユダヤ人の王」として生まれたイエスを脅威に感じたヘロデ王が、イエスを殺すためにベツレヘムとその周辺の2歳以下の男の子を皆殺しにしようとしたからであり、あの時と同様に主の天使が夢に現れてヨセフに告げたことでした。この出来事も旧約聖書での預言の成就であることが証明されていました。そのエジプトから帰還しようとしてナザレに落ち着いた時も同じようなことが起きました。
 マタイ福音書1~2章では、冒頭の系図を含めて多くの人々の生き死に、すなわち歴史が描かれていますが、その端々に神の預言の実現が宣言されています。アブラハムからイエスまで、そしてイエスから今の私たちまではどちらもだいたい2000年余なんですが、そのような長い歴史を経ても神の約束は変わることなく私たち一人一人に実現するのです。(ここでペトロ一1:24~25を引用したり、証しの一部を再言すればよかったですが)
 ヨセフは、イエスが10代後半~20代前半の頃に亡くなったと考えられています。再びマリアと比較すると、マリアはイエスが十字架にかかった際に間近でその様子を見つめていました。これは、単に死に目に立ち会えたということだけではなく、イエスの十字架上での死の瞬間に救いの御業が完成したという場面を目撃したという大きな出来事だったのです。イエスが十字架上で遺した7つの言葉の中には、弟子ヨハネに対してマリアの世話を依頼する一言も含まれていました(ヨハネ19:25~27)。また、その後の記述を見ると復活のイエスにも会っていたと推測できます。それに比べると、ヨセフはイエスが一人前になって伝道活動を始めるのを見ることもできずに亡くなってしまいました。こういう事実を見ると、私達はどうしてもマリアとヨセフの間に明暗を感じてしまいます。
 しかし、私たち自身のことを考えてみても、日々明暗様々な出来事が起きているのではないかと思います。私たちが「暗」と思える状況に置かれた時、どのような在り方をすべきか、どのような在り方を神が望んでおられるのか―この問いに対する答えが、神への信仰に基づいて行動したヨセフの姿から見えてくるのではないかと思います。それは、静かに、自分の思いを手放してただ神を信頼するということです。旧約聖書の哀歌3章25~26節には「主に望みをおき尋ね求める魂に 主は幸いをお与えになる。主の救いを黙して待てば、幸いを得る。」とあります。
 一方、ただ静まっているだけではなく、神から示された時には心からの行動に移すことが大切であることは、ヨセフの姿を見れば明らかです。

 今年のアドベント(待降節)も残り1週間となりましたが、この時期はすでに訪れたキリストの降誕と合わせて。やがてキリストが再臨されることをも覚える時期だと言われます。初代教会を含めて、2000年近くに渡るキリスト教の歴史ではキリストの再臨が近い、あるいはいついつだと言って信者や教会が混乱に陥り、仕事が手につかなくなったり敢えて放棄したという数々の史実が残されています。異端と言われるグループのことも考えるなら、さらに多くの事例が見つかります。しかし、イエスが教えられた再臨を待ち望む姿勢は、目を覚まして祈り、信仰の灯を燃やし続け、神から与えられた賜物を最大限生かす生き方です。(マタイ24~25章参照)
 キリスト再臨の前には数々の患難が予告されてもいますが(マタイ24章前半)、再臨の後には神の国の完成という輝かしい出来事が待っています。そして、私たちが生きるこの日々もそのための大切なプロセスです。私が属している同盟教団の牧師の一人である廣瀬薫先生は、神の国を「すべての人が生かされて喜んでいる世界」と表現しておられます。これは決してキリスト教徒だけのことを言っているのではなく、文字通りの「すべての人」です。最後にこの言葉から教えられてまいりたいと思います。ちなみに、この先生は長岡市のご出身です。(教皇フランシスコの来日テーマ「すべてのいのちを守るため」にも通じるところを感じましたが、言及はせず)
 すべての人が生かされるために私たちができることは実に多様で、それは教会の外にこそ大きく広がっているニーズだと思います。今年も行われているサンタプロジェクト(サンタプロジェクトにいがたのfbページ参照)も当てはまると思いますが、この活動は私が敬和大学に在学していた頃に始まりました。私がこれに具体的に関わっていた訳ではありませんが、開始から10年余が経って草の根で各地に広がっているのはすごいことだなぁと思わされます。ある方にお聞きしたところ、3つの県の15ヶ所ほどで行われているそうです。
 命を守るという生き方は、ヨセフの生き方そのものだったと言えます。マリアとイエスの命を守ったのは、生まれる前だけでなくヘロデ王の手が忍び寄った時もそうでした。また、ヨセフの仕事だった大工仕事は、家だけでなく家具や食器のようなものも作っていたそうです。さらに、イエス誕生の知らせが最初に告げられたのは、当時の社会で最下層に追いやられながらもひたすらに羊の命を守り続けていた人々だったことも思い起こします。(ルカ2章前半参照)
 人の目にはどんなに些細に見えたとしても、あるいは人から称賛されなかったとしても、真心からの愛の業を神は必ず見ていてくださいます。命を守る仕事、エッセンシャルワークの大切さはコロナ禍の中で日々痛感させられるものです。マタイ福音書25章の後半では「天国に招かれるのはどういう人なのか」についてのたとえ話が語られていますが、結論として「最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」とイエスは語りました。また、その前に記されているタラントンのたとえでも「少しのものに忠実だった」しもべを神が大変喜んでくださっています。
 ちょうど喜びという言葉を言いましたが、先の言葉の後半部にも「喜び」が出てきます。この部分については、神がすべてのものを創造された後に言われた「極めて良かった」(創世記1:31)という一言が神の喜びそのものだったことを覚えたいと思います。その後人類は罪に支配されるようになってしまいましたが、そこから私たちを救うためにイエス・キリストが神であるのに人としてこの世に生まれてくださいました。このクリスマスの出来事は神が一方的に与えてくださった愛の結晶と言えます。その神が、たとえ私たちの方が神から離れたと思うような時にも共にいてくださるのです。
 私たちは、神が与えてくださるまことの愛に生かされてこそ心からの愛をもって人に仕えることができると思います。また、この世の様々なものが様々な喜びを提供し、もちろん私たちもその一部に与ってはいますが、その中で神が与えてくださる喜びこそが真の喜びであり、まず私たちがその喜びに生かされながら喜びの知らせを高らかに宣べ伝えていく一人一人でありたいと願います。
 神が私達一人一人に愛をもって働いてくださる―どこに神がいるのかと思ってしまうような時にも、神がやがて必ず助けの手を伸ばしてくださることを信じ、神が何を望んでおられるのかを静かに尋ね求めながら、来る新しい一年も歩んでまいりたいと思います。

【祈り】
「わたしたちは、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたのです。」(エフェソ2:10抜粋)
 主イエス・キリストの父なる神、御言葉を賜ったことを感謝致します。私たちは日々様々な事柄に遭遇し、心が揺れ動きやすい者ですが、この時期に改めてあなたが与えてくださった独り子イエス・キリストを通してあなたの愛を思い起こさせてくださることを感謝致します。
 今日は特にヨセフの信仰に目を向けました。どうか、私たちもその信仰に倣い、与えられている役割を忠実に果たしていくことができますように。そして、それが周りの人々の、そしてあなたの喜びとなることを願います。
 今日集われたお一人お一人の上に豊かな祝福がありますように。また。この地に建てられている諸教会と、あなたの名によって建てられている教育機関・諸施設をあなたが豊かに守り支えてくださいますようお願い致します。
 言い尽くし得ぬ願いと感謝を、主イエス・キリストの御名によって御前におささげ致します。アーメン

 当日ご出席くださった山田耕太学長が、大学HPのブログでご紹介ください蒔いた。感謝です。
 この記事を読んでくださったお一人お一人が良きクリスマスと新年を迎えられることを心よりお祈り致します。こんなクリスマスの一面もあるんだという昨年の記事も貼らせていただきます。


より多くのアウトプットをするためには、インプットのための日常的なゆとりが必要です。ぜひサポートをお願いしますm(_ _)m