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母、死す

私の最愛の母が2022年6月12日享年82歳で永眠致しました

この様なご時世で病院の病棟にも入れなかったので看取る事は出来ませんでしたが、見送る事は葬儀屋さんが世話してくれて遺骨になるまで一緒に見送ってくれました

ただ私にとっては後悔の全てしか無いこの2年半だと思います

母が精神を崩壊させ、施設へと入所して、その年の10月26日に脳梗塞で倒れ、一命は取り止めましたが大きなダメージになりました

ただ今年に入ってこの時勢、面会も中止になり、やはりもう一度、生きた母の顔を見たかったというのが自分の想いです

ただ自分としては母が旅立つのが早かったとしか言えません
ただ虫の知らせという事があるなら、それは想っていました
今日はなんかビリビリしているぞ、なんか嫌だなと思っていたら病院から電話があり、その時には既に心臓マッサージをしている段階ではありました

病棟には入れないのはわかっていましたが入院した時、私が来るまで心臓マッサージで持たせて下さいと言っていたのですが、予想を超える状態で母は天国へ行ってしまいました

母を葬儀屋さんで見送る時、母は天国への道を一人で歩いて行けるのだろうかと、思っていました

生きている間は、私について周り、父が死んでからは母の介護が私の役目だったのです

だから棺おけので中で眠りにつく母が天国へ歩いて行ける様に、父、祖父、祖母に早く母さんを迎えに来てくれと何度も天に向かって言ってました

ただ荼毘に付されるとは、こんなに簡単に終わるのかとは思いました

本当に火葬されたら肉体がありません

茫然自失です

ただ迎えに来てくれたらろうと思いました

そして母の遺骨と共に、無言の帰宅したのです

無言の帰宅は悔しかった

最初の始まりから約5年ぐらい経つのかと思いますが心理分析が出来てたのに母を守る事が出来なかった自分の能力のなさが無念だと思いました

まだ山川家は救われてはいない
なぜなら私が生きているからです

この先、私が生きる道は険しくなって来ます

ただ私はフィルムフォトグラファーとしての能力があります

いつか母と約束した芸術王になるという挑戦があるから天国に居る、家族に私をまだ呼ぶなと天に向かって言いました

私にもう少し時間をくれと
まだ私は写真を極めたいと
それが精神病で20年間ただ生きる事をやって来た人間です

15歳で心が崩壊して、その時生きるか死ぬかの選択を迫られた私は死ぬじゃなく生きるを選択したのです
ただし生きるを選択した自分の人生を楽には生きれないと、だから15歳の春、楽を捨てて20歳から20年修行して40歳で勝負に出ると

そして写真というものは昔から好きだったけど、状態によって写真活動が出来る状態ではなかったのです

ただ40歳になって購入してたカメラがあってなんとなく撮影してたら楽しくなり、そこから写真活動の道が始まるのです

独学で一歩一歩築き上げて今のフィルムフォトグラファーの地位を築き上げました

母は私のかけがえの無いファンであってくれたと思います
一生懸命写真活動を頑張る私を応援してくれました

母の支えなしではやれなかったと思います

ただ40歳からが、人生の仕上げの時期にも入ったとある程度考えていたのですが、山川家に暗雲立ち込めると
それは人間が人間を苦しめる世界
組織が個人を蔑ろにする人間達の暴力を母と私に奮って来るのです

それが全てです
自分はその時はまだ母と私を守れるまでにはなれてなかったのです

一番の犠牲者は母だと想っています
母が死ぬに巻かれているのは私の心理分析ではわかっていましたが、自分の攻撃を防ぐ事しか出来なくて母を守れるまでには至らなかったのです

それです
母を守れなかった自分の後悔と懺悔です

今更どうしようもない事なのです
最愛の母は既にこの世に居ないのですから

私はいつあの優しかった母と話せるのだろうと考えてはいるのです
死んだ事実はわかりますが、やはり受け入れにも時間が必要なのだろうと思いますが、母が死だ日また私は選択を迫られたのです
15歳の春の日と同じ生きるのか死ぬかの選択を迫られたのです

ただ私はまた生きるを選択しました

私には写真があったからです
写真は母との想い出だからです

そして芸術王になる事が私の全てだからです

新しい自分を受け入れる為にもう一度精神障害者フィルムフォトグラファーの闘いを綴っていこうと想いnoteで発信していこうかと心機一転書き始めようと思いました

私は母が死んだのでこの世で天涯孤独の身になりました

ただ写真活動のやってれば人との繋がりも作れるのかと想って人間不信の自分がこれからどこまでやれるかの闘いです

いつまでも母と写真撮影に行った事を胸に新たな道を歩んで行きます

ただ母と私を苦しめた組織を許せるか許せないかは別問題です
既に母の命は奪われたからです

これは殺人と等しいぐらいの行為を組織は個人を蔑ろにし苦しめた
そして母は犠牲になったのです

ただ分析心理学という体系を作り込んで生きて来たので自分を分析する事には長けていると思っています

ただ分析だけが全てじゃない
母と次に会う事が出来るのか
それは自分が死んで仕舞えばわかる事です

ただまだ死ねないのです

もう一度私は芸術王になる

母さんの息子が偉大なフィルムフォトグラファーになったと世界の人たちに見てもらいたい

母さん産んでくれてありがとうございます
また会いましょう

私はこの世で最後の務めを果たします

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