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言い過ぎ

柔らかな物言いをする人は少ない。

だから人の言葉に繊細な心遣いを感じるとその人がとても魅力的に思える。こちらからすれば有り得ないほど攻撃的な言葉を何の気なしに放つ人は何人もいる。受け手からすれば無数にある言い方の中からよくそれを選びましたねという感じなのだが、彼らにしてみればその言い方しか頭に浮かばないのかもしれない。かといって、受け手は傷つくのが運命だなんて絶対に肯きたくない理論である。

なぜ、言葉も選べない奴らのために私たちは傷つかないといけないのだろう?
奴らを傷つけることはできずに一方的に撃たれるだけの毎日など自分の命よりも要らない。だからみんな見えない電車に飛び乗るのだ。アイツらみたいな奴がいない、どこか遠い場所へ逃げさせてほしい。

目は口ほどに物を言うし、行動は嘘をつかないからわざわざ分かりやすい言葉を使わなくても心の内なんてだいたい分かるのにな。本当は分かりたくなどないけど、嫌でも分かってしまう。それで十分心に傷はつくからそれでいいのに。

やっぱり言葉を選べない奴を泳がせておくことはしたくないと思うから、言い過ぎていることを何とかして分かってもらうしかないのだと思う。どうすればそれを理解させられるのか、一生考えても答えは出ない。理解できるならもとからもうちょっとマシなんじゃないかと思うし。でもそんなことを言って諦めると羽を伸ばして生きられないから奴らに少し期待をかけて奴らの言葉を阻止してみることにする。

人は怒っていると溢れるように言葉が出てくるし普段なら言わない言葉も歯止めがきかなくなって放ってしまう。誰か1人でもそれを止めることができたら、と思うのである。
すごい勢いで喧嘩してて相手が腕で頭を覆っているのをみて自分が今にも殴りかかろうとしてたことにはっと気づく的な。そうなったらとても理想的だね。

仕事で失敗して周りに迷惑をかけたことを心や命をもって償わないといけないなんてどう考えてもやり過ぎている。失敗したから言われるのは当然、みたいな鬼みたいな文化は今すぐ消えるべきである。本当にその言葉に相当することをされたのか、お前の怒りバロメーターがバグってるだけなんじゃないの???という疑問をできれば第三者が投げかけないと、本当に誰かの心が死ぬことになる。大げさだ!なんて思っている鬼たちは、甘すぎる。言葉の威力を理解出来ていない。昔政治の先生が権力を持つと人は必ず暴走すると話していた。言葉の刃が突きつけられる状況には権力がありすぎるように思う。

言葉を選べない奴が我が物顔であぐらをかいているところをもう見たくないから、絶対に止める、絶対に言わせない。という強い強い気持ちでいようと今日の攻撃を受けて思いました。

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