昭和ゼロ年代の価値観

自分は自動車雑誌を読みますし、音楽も良く聴きます。自動車雑誌や音楽にある「方言」が好きだからです。任意の一つのものを説明するのに、ここまで多様な表現がなされるということにいつも驚かされたいのが理由です。しかし、自動車雑誌にも音楽にも「昭和ゼロ年代」という概念がいつもつきまとっているような感覚を感じています。

昭和ゼロ年代というのは、西暦に変換すると1925年から1934年の時代、西暦から25を引いた数字が昭和の数字だから当たっていると思います。関東大震災があって、日本が国際連盟を脱退して世界と刃を交えるようになる前の時代です。ここで生まれた人達は1940年から1945年の間に疎開をしたり、学徒出陣をしたり、戦争という出来事を子供時代として体感しています。この時に10代だった人達は大正デモクラシーの開放的な社会を子供時代に体感しています。ですから、昭和ゼロ年代は「戦争」というのがファクターです。戦争に対して兵役がありまして、兵役を受けていなければ彼らは認めません。戦争というのを「自分の興味や関心に全く没頭できない時」や兵役を「完全に好きなことが全くできない時」と例えたらわかりやすいでしょうか?それを考えたら自動車雑誌も音楽もかなり年齢層の高いものになると思います。

昭和ゼロ年代には、平成ゼロ年代は「親がいないからって、好きなことばかりやっている」と映るのかもしれません。昭和ゼロ年代にとって親というのは鬼と同じくらい恐ろしいものだったからです。
昭和ゼロ年代からしたら令和ゼロ年代は「病気の人間を尻目に好きなことばかりしている」「病気であることを理由に好きなことばかりしている」と映るのかもしれません。

昭和ゼロ年代の人達は戦争が終わったら、尋常小学校より上級の学校に通わずに集団就職する人も多くいました。尋常小学校なら今で言うと中学校くらいで中学校=義務教育課程なら教科書を自分のお金で買うというのはあまりないはずだと思います。だから大学に行ったりして、自分のお金で講義に使う教科書を自分で買うような人達は彼らにとっては「ブルジョアジー」と捉えられている部分があると思います。

色々な仕事を体験してきましたから、「体を張る」ことにかなり気をかけています。張る、という言葉は賭博用語で「担保にする」という意味で体を担保にかけるということは決死の意志という意味です。

そういう人々の機嫌を自動車雑誌は特に損ねたくないのでしょう。

昭和ゼロ年代は学術や芸術芸能、学芸という言葉を嫌います。学術的な目的で市民の手の及ばない高級車を公費で購入したりしていると考えているからです。

昭和だけではないとは思いますが、昭和はコンティニューも難易度変更もリトライも今よりなかった時代なので、今の時代のようにコンティニュー無制限、コンティニューに対してペナルティがあまりなく、難易度変更もスタート地点以外でもできる時代は「ぬるい」と昭和ゼロ年代は思っているかもしれません。そうしたら「原級留置作ってやろうか」と言われるかもしれません。

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