寝息が愛おしい。 隣ですやすやと眠る兄を目の前に、深夜3時の月の光に照らされる弟は光悦な笑みを浮かべていた。 頬に優しく触れると兄は嫌そうに眉間に皺を寄せる。それすら何とも愛おしいものか。 人の死を5回目の前にした。事故、殺害、病死。骨になる前の人間の形をみて何度も嘔吐いた。 受け入れられない現実と、今世の別れとの対面。涙ではなく、吐物が溢れ出した。 食事に手がつかない。味わう前に吐いてしまう。兄はそんな弟を心配し、自ら食べやすい食事を学び提供してくれるようにな
物語が始まる前。 ひとつの席にひとりの人間として座り、周辺に人がいないのを確認してスクリーンと向き合った。 前から観たかった映画。仕事や家庭事情が重なり観れなかった映画。やっとの思いで観にきていた。 照明が落ちた瞬間から既に楽しみで心が躍っていた。こんな感覚に浸り映画を楽しむのも久々だったのだ。深呼吸をひとつし、瞬きを意図的にする。 「お前ら全員殺すぞ!」 叫ぶような声。始まりがこんなのでいいのかなんて思ったり思わなかったり。ただ音声に異常があるのか叫ぶような
__ 「柔軟剤をさ、少量呑んだんだよね」 電話の向こうからザザッとノイズが聴こえる。ザザザ。 ザ……__「は?」幼なじみの一言に低い声が出る。 「やばいよ。柔軟剤さ、香りいいけど口の中に広がると良い香りが充満して逆効果。吐き気を誘う。ほら、香水強い人が近く通ると臭いじゃん?あれ。正しくあれ。」 そんな事が聞きたいんじゃない。そう思いながら深夜1時を差している時計の針を見て見ぬふりして部屋の電気を消さずに部屋から飛び出す。 足音を大きく立てて、寝ているであろう人物に
神様。 ああ、神様。 周りの景色が同じものに同化していくこの瞬間。環境の変化で心境のペースが崖のように崩れ落ちるこの瞬間。地球が回転している間にも自分の脳みそもぐるりと回転している。 知らない顔が目の前に。何人も。恐怖心で汗が額を溢れ落ちそうになった時に、やっと今は4月なんだと自覚した。4月。始まりの月。 「今年はさ、同じクラスになれなかったな」 何処から聞こえてきたか分からない声に耳を澄ませ、その後に手汗がじわじわと滲んでることに気づく。どうしよう、想像以
日々を終えることが苦痛だった。 泥沼に浸かるように脚が重くなる。瞼を開けばみえてくる世界はいつも同じ景色。変化が訪れることを知らない景色だった。 今日だけは脚が靴を履いてるときぐらいは軽い。あと一歩進めば道がない、そんな所に立っているからだろうか。隣で遠くのこちらより少し高いビルを見つめる彼の顔をみる。 「…本当にいいの?」 彼はこちらに視線を移すと、ほんのり笑う。 「いいよ」 心中なんて太宰治の小説以来の単語だ。苦痛で仕方がない事を彼に話すと、彼は「じゃあ
終わった。ハッキリそう認識した。 雲行きの怪しい空を真下から眺め、唸るような風の声を耳を済ませながら目を閉じる。課題も、終わってないな。やばい、課題出した教師、めっちゃ怖いのに。なんて考えながら風を浴びる。 何となく、頬に当たる風が心地いい。 風に当たって涼しい、気持ちいい、なんて思ったことはあるが頬に当たって心地いいなんて初めての感覚だった。 イヤ、何度かはリンゴのように赤くなった頬に涼しい風が当たり気持ちいいと口に出したことはあるかもしれない。けど、心地いいは初
そして夜にくる。そう、夜の時間。 朝日の見えない夜の籠る時間に戻る。 サラリーマンの男性は、コストコに売却されていたライトブラウン色のクマのぬいぐるみを抱き締め、しくしくと赤ん坊が啜り泣くように泣いていた。泣いて、クマのお腹を摩りながら呟く。 「孵(かえ)りたい。 ココに。」 ____ココ。下腹部。 啜り泣く。啜り泣く。孵りたい。 とことん救われない。人間関係の異常発生、会社でのトラブル発生、気候の注意報発生。 人生とは何だろうか。山あり谷ありの人生と聞くが、そ
部屋の隅で雨の音を味わう。 食事をゆっくり咀嚼するかの様に雨の音を耳の奥へと連れていく。 今日も雨が降っている。 「いただきます。 」 モグ。 モグ。 部屋の真ん中に置かれた広いテーブルとひとつの椅子。その椅子に座る中学生の少し髪が肩ぐらいまである長さの男は、礼儀正しく顔の前に手を合わせ挨拶をした。 挨拶をすると手をテーブルの上に動かし、冷蔵庫の中に入っていた昨日の残りの肉じゃがをゆっくり食事した。 「……今日、雨、みたいだよ」 部屋の隅で声をあげる。 か細くて
蛇口を捻ったのは5秒前だった。深夜を迎えたのに無性に喉が渇き、カラカラになった喉を潤す為に苦手な水道水を身体の内部に通した。 潤った喉を確認し、蛇口を捻って部屋へ戻ろうとした時、ポチャンという音が速いことに気が付いた。 ちゃんと蛇口を捻ったはずなのにと少し疑問を感じながら音のする方向へ見て、暗いリビングの周りを少し見渡した。何も変わらない風景、ただ今は暗闇へと飲み込まれているだけ。 まるで深海にでも潜っているかのように。 蛇口を固く捻り、部屋に戻る。 その後に
「明日会おうか」 夕方5時の放送が流れる田舎の夕。 虫の声も人の聲もまるで話し掛けられてるかのように聴こえてくる。プレゼントされたスマートフォンを耳につけながら、夕陽を拝む。 そのスマートフォンからは本当に自分に向けて話しかけてくる電話越しの懐かしい声があった。 「あした?兄さん、明日こっちくるの?」 「うん、明日。 そっち行くからさ」 久しぶりに会える兄の声。胸の奥から夕陽よりも暑くなったかのように感じた。 喜びを実感しながら黙っていると兄はクスクス笑った。 「久
AIの発達が進んでるから、 小説は無くなるんじゃないかな。 低い声が耳の奥を貫く感覚に片耳イヤホンから流れていた音楽はちょうど停止した。 ちょこちょこ綴っていた文章と進まず立ち止まる主人公。自分の手で決まる主人公の運命に優越感に襲われた日もあった。 小説の中に現在進行形で存在している僕は、小説の中で何度も人を殺したことがある。 言わば、殺人鬼的存在のモブだ。 ある時は家族、ある時は友達、ある時は子ども。少年法や刑罰を受けることなく事が進み、無罪判決で日常を進