おいで

 「明日会おうか」

夕方5時の放送が流れる田舎の夕。
虫の声も人の聲もまるで話し掛けられてるかのように聴こえてくる。プレゼントされたスマートフォンを耳につけながら、夕陽を拝む。
そのスマートフォンからは本当に自分に向けて話しかけてくる電話越しの懐かしい声があった。

「あした?兄さん、明日こっちくるの?」
「うん、明日。 そっち行くからさ」

久しぶりに会える兄の声。胸の奥から夕陽よりも暑くなったかのように感じた。 喜びを実感しながら黙っていると兄はクスクス笑った。

「久しぶりに会えるね、ドキドキするよ」
「僕も。おばあちゃんも会いたがってたよ」
「おばあちゃんも?認知症進んでたんじゃなかった?俺の事、忘れてない?」
「忘れてない、毎日写真見せてた。スマホも、僕の自己紹介も毎日した」
「偉いじゃん」

毎日欠かさず兄の顔をおばあちゃんに見せた。「誰だい?」と言われたときは涙を堪えて「兄さん、僕の兄だよ」と否定せず話を続けた。
決して治るものじゃなくても進行をそれ以上させたくない一心で、懐かしのお手玉。おじいちゃんに鍛えられたけん玉術。花札。何でもした。
そうしたらおばあちゃんは僕のことを忘れなくなった。いや、忘れられなくなった。
そうだと思う。

兄の声は分かり易く高揚していた。 その声に身体が痺れる。誰かが喜んでくれているのはとても嬉しい。 虫の声さえも自分を賞賛してくれているかのように感じた。

「兄さん」
「うん、うん。 待っててよ、明日すぐ行く。 田舎だからって油断して戸締り放棄するなよ。何があるか分からないからさ」
「気を付ける、兄さん。 また連絡してね」
「明日朝連絡するよ、待ってて」

___プツ。

電話が切れ、スマホを持っていた手がぶらりとブランコが揺れるかのように垂れ下がる。 放棄された思考。何か考えていたようで考えられない。ああ、早く会いたい。そう思いながら帰ろうとおばあちゃんの居る家の方向に足先を向けた時だった。


ぽ。 ぽぽぽ。  


? ……。ゆっくり振り返る。

なんの音?  

好奇心に敵わないのですぐ後ろを向いた。

そこには身長がバスケットボール選手よりも高く、白いワンピース、黒くてストレートな足まである長い髪、白い帽子をかぶった女性がすぐ近くに流れる川の方を向いて立っていた。   
風がふくと共にワンピースがひらひら舞う。
その姿に目が奪われた。  

女性は川の方を向いたままでこちらを見向きもしない。というより帽子を深めに被っているため本当のところどこを向いてるか分からない。

僕はまた好奇心に襲われて、ゆっくり近寄った。ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、カタツムリよりも、ゆっくり。 ゆっくり。近づいて、1歩戻り、また近づく。 そして、話しかけた。これも好奇心で。

「あの」

…。 ぽ。 ぽぽぽぽっ。

こっちを見る様子はない。
なんだろう、この不思議な感じ。
辺りは夕陽に照らされてるはずなのに何故こんな。こんな深夜にいるかのような。

「えっと、 すみません」

声掛けて、すみません。
という訳の言葉。なのに何故か、この言葉を誰も何も言ってないのに否定された気分になった。女性が、否定してきたかのように感じた。

ぽぽぽぽ ぽ ポ…

風が吹く。 帽子とワンピースがひらりと舞う。
みえそう。目元が見えそう。好奇心の獣が現れる。近寄りたくて仕方がない。

逸らせ。見るな。

風が吹く。帽子とワンピースがひらりと。
___見え、た。

「…っあ」

全身の血の気が引くように感じた。お母さんに怒られた時、罪悪感、反省、そしてちょっとした反発心に襲われたのを思い出した。あの時はなぜ怒られたんだっけ。 怖くて心臓が引っ込んだ。涙も引っ込んだ。 怒られた理由。なんだっけ。 強く否定されていた気がする。何を否定されたっけ?思い出しても無駄か。ていうか、なぜこの感覚が今ここで思い出されたんだろう。

何故。

「あっ…の………」

ぽぽぽぽ。ぽぽ。 








気付いたらおばあちゃんのいる家に辿り着いていた。 おと。変換。音、音が聞こえた瞬間に自分の足に力を込め、鬼ごっこで鬼から逃げるように、 かけっこで負けないように。 たくさんたくさんたくさん走った。振り返らなかった。振り返ったらダメだと本能から言っていた。 走って、息が切れても走って。 そしたら家にたどり着いていた。ドキドキしている心臓、落ち着かない。 思い出す、
誰かを愛してる時もこの感覚があった。ドキドキ、胸を跳ね飛ばそうとしている。
 
早くおばあちゃんの顔を見よう。安心しよう。呼吸しよう。そして兄が来ることを伝えよう。その一心で、玄関のドアに手をかけた時。 物凄い速さで扉が開いた。 驚きのあまり尻餅をつく。 目の前には血相を変えたおばあちゃんが汗を垂らしこちらを見ていた。見ているかのようだった。

「あんた、会ったんさね?」
「えっ…?」
「無事、帰ってこられたんさね?後ろ、見た? 目は?目は合った?いや、いい。いい、早く入らんね。 はやく。」

いつも落ち着いて、子供のように無邪気に笑うおばあちゃんは今は血相を変え、少し前の大人のおばあちゃんのようになっていた。強く手を引かれ家の中に引き摺られる。 おばあちゃんっ 声をあげようとも声が出ない。 おばあちゃんはその様子に気づいたのか言葉をかけてきた。

「仏様が、子供危なかと。 声をかけてきて、あたしハッとしたさ。 そういえば今日は、いい夏で、しかもあんたがいる。 あの方が来るのもちゃんと予想しとくべきだったさ」

何を言ってるのか全く分からない。
喉に声が詰まる。喉が気持ち悪い。魚の小骨が挟まってるかのようにつっかえている。言語化不可能。

「少し、部屋におってもらうさ。 大丈夫。明日の朝迎えに来る。 けど約束して欲しいさ。 絶対声が聞こえても引き戸を開けちゃ駄目だ。 あたしが自分で開ける。 だから開けたら駄目さ」

わかったか?
 
圧をかけられてないのに圧をかけられてるかのような言葉の重さ。足音を揉み消さない程度に静かに頷いた。



夜を迎える。
場所は御札が1面に貼られた部屋。
盛り塩も部屋の角隅々に置かれている。
気づいたらここに来たわけじゃなく、おばあちゃんが案内してくれた部屋がここだったのだ。

「…不気味」

どうしてこうなってしまったのか。
電話して、ただ女性に声をかけて、おばあちゃんに閉じ込められて。兄さん、兄さん。 なんでこうなってるんだろう。なんでだろう。

寂しさで涙が溢れ出す。
蹲(うずく)り、嘔吐(えず)く。
助けて欲しい。 この恐怖を取り除いて欲しい。 ひとりは嫌いなんだ。その一心で、部屋の真ん中で蹲っていた。 しかし、その寂しさを惑わす声が響き渡ってきた。

「起きとるさね?ごめんなあ閉じ込めて」

おばあちゃん。
声を出したいのに声が出ない。
恐怖と緊張と、いろいろと。
声が出ない原因はたくさんあった。
相槌を示すかのように爪を立て畳を引っ掻く。
その引っ掻きを聞き、声の主はあらあらと声を立てた。

「声も出せないのか、心配だ。 今すぐ助けてあげよう。 この引き戸、開けてくれんかね?」

分かった。そう言うように相槌がてら畳を引っ掻き、引き戸に手を伸ばした。

_______明日の朝迎えに来る。 
けど約束して欲しいさ。 絶対声が聞こえても引き戸を開けちゃ駄目だ。 あたしが自分で開ける。
だから開けたら駄目さ

分かった?

会話内容がフラッシュバックした。声が出そうになる。 引き戸を開けてはならない。そう自分の本能が訴えていた。 

トンッ トン

 「どうしたんさ、開けてくれんかね」

トンッッッ トンッッ

「ここは寒いさ、そしてあんたが心配さ。」

ドンッ ドンッ

「開けて、顔を見せておくれ」

あなたは、誰? そう言いたくなった。
もしかして、あの時の女性?そうしたらどうしてそこにいるの? 声をかけただけなのに。 少し見惚れただけなのに。見ていただけなのに。そして僕だけじゃない。黒い瞳。あなたも僕を見ていた。

あなたは僕を瞳の奥の水晶で捉えていた。
獲物を取るかのように捉えていた。
そして僕もあなたを見ていた。

意図的に僕はあなたを見ていた。
無意識ではなく、"意図的"だ。
あなたの気が僕に向くように訴えながら見ていた。







昔。



僕は最愛な母を手のひらで首を絞め殺した事がある。母はその時、僕に怒っていた。 理由は知らない。それくらい母も寂しかったと思う。 僕に何度も愛してると言っていた。だからお返ししようと思って、僕も愛してると手を伸ばしたら怒られた。怒られたけど、愛していたから。僕の愛を証明したくて手をかけただけなんだ。

父は僕を批判し、兄は僕に怯えていた。
兄は僕に愛されたくないと言った。そして僕は強制的に別居状態。警察に通報されて、少年院に入院し、数年かけ退院。
その後田舎の母のお母さんの家に住むことになった。父は僕におばあちゃんは認知症が進んでるからお前が世話をしろと言ってきた。
父は僕を見下した。 お前の愛は偽物だった、もう少し成長してから帰ってこい。この野郎。と言っていた。
兄は僕を慰めた。 可哀想、でも次はきっと普通に戻れるよ。大丈夫、ゆっくりね。と言っていた。

常識の掛けが外れていた。
それは僕ではなく彼らが。


そして僕はその時思った。
人間は脆いから愛しても意味ないなって。
家族から愛されなかったのは僕が合わなかったからなんだって。そしたら少し楽だった。 
人間なんか愛さない。そんな時見つけた都市伝説の辞書。



まさか本当に出会えるなんて。
退院するとき田舎に住むと知ってゾクゾクした。僕と目が合ったのを知った瞬間ドキドキして逃げ出してしまった。これで追いかけてきたら僕に気がある。そう思ったらニヤニヤが止まらなかった。

引き戸を開き、相手の大きくなった身体と目を見る。
愛されるその日を迎えた彼は今まで1度もしなかった顔をした。どんな顔だったかは分からない。誰も見た事がないからここに綴ることが出来ないのだ。
引き戸の奥へ手を伸ばし、一言こぼした。


「さあ、僕を連れてって。 あなたの元へ」

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