何度も孵化する

 そして夜にくる。そう、夜の時間。
朝日の見えない夜の籠る時間に戻る。
 サラリーマンの男性は、コストコに売却されていたライトブラウン色のクマのぬいぐるみを抱き締め、しくしくと赤ん坊が啜り泣くように泣いていた。泣いて、クマのお腹を摩りながら呟く。

「孵(かえ)りたい。 ココに。」

____ココ。下腹部。

 啜り泣く。啜り泣く。孵りたい。
とことん救われない。人間関係の異常発生、会社でのトラブル発生、気候の注意報発生。
 人生とは何だろうか。山あり谷ありの人生と聞くが、それは只の綺麗事に過ぎないのではないのか。止まらないのは残業か、人生か、それとも滝のように流れるこの涙か。

「あぁ…ひっ」

 喉が抉られるかの様に噦(さく)る。
ぼろぼろ溢れ出す涙は止まる事を知らずに流れてくる。止まらない、ああ止まらない。
深夜の夜は恐怖でいっぱい。くらやみ、 おとな、なきごえ、ねこ、えっと。あとは何。何がある。この日常になにがある。

「ぼくって…なに」

 掠れた声でそう呟く。
なに。 なに。 なに。 なに。 なに。
何度も声に出して呟く。意味もなく酸素の中に消えていく二酸化炭素。それが2文字を発するだけで空気中の酸素の中に紛れ消えていく。 少しも残らず。
 消えず、残らず、増えず。

「ねむりたい」

 眠ろう。そのまま。 赤ん坊が眠るように。
眠ろう。そのまま。大人が眠るように。

 そう温かい声であやされるように暗示をかけられながら、誰かに、かけられながら。サラリーマンは朝を迎えるためだけに目を閉じた。

 明日、朝日を浴び、孵化する。

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