思い出せ

    蛇口を捻ったのは5秒前だった。深夜を迎えたのに無性に喉が渇き、カラカラになった喉を潤す為に苦手な水道水を身体の内部に通した。

潤った喉を確認し、蛇口を捻って部屋へ戻ろうとした時、ポチャンという音が速いことに気が付いた。

ちゃんと蛇口を捻ったはずなのにと少し疑問を感じながら音のする方向へ見て、暗いリビングの周りを少し見渡した。何も変わらない風景、ただ今は暗闇へと飲み込まれているだけ。

まるで深海にでも潜っているかのように。

蛇口を固く捻り、部屋に戻る。
その後にわかったことは、自分自身は昨日の深夜に蛇口を一度も捻っていないということだ。

___

「夢なんじゃねぇの?てか、よくわかんねえ」

 朝ご飯を囲む食卓。
母と父のいない食卓を弟と兄のふたりで囲む。お互い身長はさほど変わらず男子高校生の平均ぐらいまであり、まるで双子のように自分で感じる。弟は短髪、兄は流行りのマッシュと髪型の形は全く違うのだが。

兄は食パンを食わえながら昨日の深夜の話をした。弟は牛乳を飲みながら話を聞いて何故か少しニヤけた後にジトリと嫌な目でこちらを伺う。

「夢。夢なのかな。でも起きたとき喉潤ってたんだよね。水を飲んだ後かのように。」
「ふーん」
「……俺、おかしいこと言ってる?」
「さあ。あ、時間、行ってくる」

    弟はそう言うと半分残ったパンを無理矢理口の中に挟み、行ってきますと手を振りながら家を後にした。空になった家は昨日のことが5分前かのように思い出されていい気分がしなかった。

「……夢かな」

世にも奇妙な物語と言っても過言では無い話。捻ったはずの蛇口は捻ってない事にされてよく分からない思考になる。

「眠、とりあえず、行くか」

     覚醒していない脳がふらふらと思考を巡らせている。 今考えるより目先の行動をしようと思い、牛乳を一気飲みほし家を後にした。

父と母は幼い頃からいなかった。 近所の人によると殺されたらしい。 犯人は分からなくて証拠も掴めなくて、 それを知ったとき弟は目の奥に色々なものを込めこちらを見ていた。手をぎゅっと握られ、犯人に恨みが向いてることが分かった。

今も、弟は犯人を追いかけているのだろうか。両親の、為に。そう思うと、今を見てくれない、自分を見てくれない弟に思わず腹が立った。


 

暗転。

またこの感覚だ。目を開け、昨日蛇口を捻った時と同じような暗闇の感覚を認識する。ついさっき帰宅して、就寝したはずなのに。寝ぼけているんだろう、そう理解して目の前のシンクに目をやった。

 その時、ガラガラと部屋からリビングへ繋がる引き戸が音を立てて開き出した。シンクにやった目を音のする方へ向けると、そこには弟が目を擦りながら物凄く不機嫌な目付きをして部屋を見回していた。 

「……どうしたの?」

おとうとがこちらをみる。
見る。 観る。 視ている。

不機嫌な顔つきなのに、口が弧を描くかのようにつり上がっていた。

「なあ、兄貴」

弟は右手に何かを持っていた。 何を持っている、直視するのが怖い、認識するのが怖い。 ゆっくり片手に目をやる。 目を、やる。尖った、その物を。

気づいたら自分の右手にも同様に何かを持っていた。 なんだこれは。嫌な汗が額をこぼれ落ちるその時、_____「兄貴!!!!!!!!」


 大きな声を目を覚める。 頭が酷く痛く、まるでキツツキに頭に穴をあけられているかのような感覚だった。右脳が痛い、右脳に穴をあけられている。 大きな声が聞こえたがそれは夢の中だったようで、周りには誰の姿もなかった。震える。夢見が悪いのはいつもの事だが日々悪化している気がするのだ。

「痛い、弟は……どこ……」

無理やり身体を起こし、息をしている自分の肺の動きに安直をこぼす。 ベッドから体を出し、部屋の扉を開けた。 無音のテレビの前で、弟はソファに座り机の上に置いてある雑誌に目を通していた。

「……なに、みてる?」

 顔を上げ、こちらを見てくる。 

「起きた?今日、魘されてたね」

弟は雑誌を閉じるとこちらに寄ってくる。嫌な感覚だ、何かを思い出す。でも思い出したくなくて頭を握り拳を作り叩いていると弟は優しく手を包み込んでくる。

「やめろよ、乱暴すんな」
「……ごめん、凄く、頭が痛くて」
「そう、休んどけば?」
「ううん、一緒にご飯を食べよう」

優しさに頭が上がらない。けどたった1人の弟を放って置くことも出来ない。 弟の顔を見ると、なぜだか涙が滲み出てきた。たった1人の弟。 愛してやまない弟。 弟がいるから今を生きているような感じだ。 愛しさと苦しさを涙で溢れさせる。

「どうした、そんな嫌な夢見た?」

心配の言葉をかけ、頭を撫でてくる。その手は、居心地は、暖かいのに冷たいようで。嫌な感覚に反吐が出そうになる。

「変な夢……だった……」
「そっか」

そっか、ついに、思い出すか。



「美味しい?」

兄貴の言葉に、ひとつ頷く。ニュースは見たんだろうか、それともまだみてないのだろうか。 疑問に思いながら兄貴の顔を見る。

「今日、寒いね」

微笑みながらこちらをみてくる。
愛おしそうに俺を見てくる。

たった1人の兄、胸の奥が締め付けられる。

欲望が掻き立てられる。兄貴を引き金に掻き立てられていく。そんなことを知らずに兄貴はこちらを見ている。 


その顔を、その心を何度、何度。
何度何度、幾度なく。




殺したいと思ったか。



蛇口の話を聞いたとき、幼い頃に起きたあの"事件"を思い出していることに気づき、思わずニヤけがこぼれた。 深海に籠ってるかのような感覚だった、それは当時の兄貴も同じことを口にしていた。 


__水を飲もうとして、リビングにいったの。でも、蛇口、ひねれなくて。困ってたの。そしたら、あにきって弟によばれて、めをあけたら、おとうさんおかあさん、たおれてたの。


たおれてたの、じゃねぇよ。
見てたんだよこっちは。
母の甲高い叫び声も、父の静止する声も。
兄はそれを無視して、右手に持った包丁を。

振り落とす。
静止無視。
振り落とす。
耳が痛い。
振り落とす。
振り落とす。

こちらを見て、心配するあんたの顔。
気持ち悪い。

クソ野郎。 でもいい、思い出すならいいんだ。その時をずっと待っていた。 自分が殺したことを早く自覚しろ。そして、その後は苦しみながら死んじまえ。お前なんかこの手ですぐ殺してやる。

腹の奥底に溜まった殺意と夢の中で何度も殺した兄の幻想。 毎秒殺す日をリプレイし、どう殺処分するかを考えていた。 

ついに、くる。


朝ご飯を囲む食卓。
母と父のいない食卓を弟と兄のふたりで囲む。
兄の、弟への愛情の湧いた執着と。
弟の、兄への増悪の湧いた執着と。
今日も歪んだ日を共にしている。

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