おもしろおかしく 人生の師匠

前回は数ヶ月間の入院生活について書きました。

今回は人生の師匠について書きます。この人と出会わなかったら私はクソなままだったと思う。







家庭教師の発掘 “聡明で大人の女性”


私は看護学校に受かるために家庭教師を探すことにした。

正直、稀なケースだと思う。『自力で勉強しろよ』ってツッコまれた覚えがあるけど、出来ないのよ。勉強が分からないというより勉強のやり方がわからない感じ。本当にバカな人じゃないと、この感覚は分からないと思う。

ネットで『家庭教師』と検索した。

教える側の教師の大半が同世代だった。
さらに加えて現役大学生。


…それってどうなの?私は社会人なわけで、相手も気を使うだろうし、下手したら中途半端に友達になって終わるのでは…?まずアホすぎて断られる可能性もある。


私は、家庭教師に加えて『 社会人対応 』『 学生NG 』で指定検索をした。

何人かいた。

私は英語がすごく嫌いだ。
英語からまず入ろうと、それに強そうな人を選んだ。


それが今後人生の師匠となる人。

『喫茶店で会いましょう、英語のテストをします』








お互い初めての人種 “教養のあるなし”


「こんにちは」

知らない大人と会うのははじめて。

あっさりしてそうな40代くらいの女の人。
例えると吉田羊さんをもっと強くした感じ。
詳しく聞くと英語関連の国立の教授さんだった。

何で私とコンタクトをとったのですか?看護学校?どこの?あなたの学歴は?大学の看護科ではなくて?

質問攻めのあと、メールで言われた通りNHKの英語のテストを受けた。

結果を見た先生は意外にも冷静。
そして真顔で一言。




『准看護学校の退学、取り消しにできないの?』




www

匙投げられたーーww

他の人に頼んでみます。と答えたが、
無視され先生はまた質問攻め。


どういう生まれでどう勉強したらこんなに基礎教養もなく社会人になれるのか。仕事は?家族構成は?誰に勉強を頼むのか?全ての教科を?あなた小論文の意味わかってる?受験する看護学校のレベルは?国立?国立じゃないの?えー。


(わかんねぇよ!!!だから頼んでんだろうが!!)
(全部、設問1からわかんねぇからやべぇのよ!)


『あなた、英語を私に頼んできたけど、他はどうするんですか?全部見ましょうか?』
『まぁ私は時間がないので、あなたが決めて。』
『金額も高いけど』


私が金づるに見えたのかもしれない。

こんなにもドストレートに言ってくる人は生まれて初めてだ。

ただ、受かりたい看護学校の過去問をみて了承してくれたのだ。

先生にとっては楽勝のレベルなんだろうな。


ここから私にとっての地獄が始まった。





教養ってなに? “常識の叩き込み”


最初のころは毎日先生が家にやってきた。

『40分で着きます、このURLのニュースを見てあなたの考えを小論文にして』
『分数からやり直しです。筆算はできる?掛け算は?』
『この単語さえ分からないのか?本当に高校卒業、中学卒業したの?』『小学生以下です』
『その行為はとても失礼なので直しなさい』
『今まで注意してくれる大人がいなかったのか?』『ダメ、これもダメ、何で知らないの?』


詰め込まれ、言葉で叩かれ、地獄だった。孤独だったし、なんなら受験まで半年もない。間に合わないだろこれ。脳が拒否してる。


そんな日々から数ヶ月経った。


情けない話だが、私は来年の受験にずらそうと考えていた。というか、先生に払う代金も底を尽きようとしていたし、まず自分が通用するレベルに達してない。


お金のためにスナックの仕事を始めることになるがそれも地獄すぎて、もう逃げたかった。客商売が向いてない。向いてないことをするのは本当に地獄だ。ママは売り上げについて、とてもうるさかった。場末なのに、場末だからか。

スナックのママとすっげぇ相性が合わなかった。


先生は、私が基礎の力までついたと思っていたらしい。
私自身は自覚が全然なくて、意味あるんか?これ。って感じにさえなっていた。


ここらへんから先生の印象は『勉強を教える先生』というより『世間を教えてくれる偉い人』になっていた。




自分がかけた呪い “保身的なこころ”


毎日ぐちゃぐちゃの小論文を書いた後に、先生とそのニュースのおさらい。もちろん世間や政治についても無知だ。先生は本当に根気良く教えてくれたと思う。まじでキレられたこともあった。礼儀やマナー。社会人としてのあり方も先生から教わった。


「中学校もほとんど行ってないし」とか、色々言ったが先生は無視。


海外の子どもよりあなたは恵まれてる。あなたは、勉強ができないとか以前に心に問題がある。
親のために、兄弟のために、何かあった時のために、そうやってお金を心配するのはなぜ?もう辞めなさい。弟さんは立派な企業に就職できたじゃない。あなたを見てると変な呪いみたいなのに掛かってるように見える、お母様はすべてに対して正義という訳じゃないです。大変だったとは思うけど、それはお母様の人生であってあなたまで背負わなくていいんです。


母親を責められたように聞こえたとき、涙が出た。先生的にはほかに伝たいことがあったようだが、違うように私は捉えたと思う。

先生は淡々と話を続けた。

あなたは日本では恵まれていなかった方なのでしょう。実際にあなたより賢い小学生だっています。でも地頭が悪いわけではないのはわかる。だから私とコンタクトをとったんじゃないですか?本当にバカそうだったら相手にしません、時間の無駄なので。ただ、あなたの頭のなかの邪魔になるものを捨てろと言っているだけ。『もしお母さんが。もし受かってもお金が』そういうの考えてる暇があるなら勉強しなさい。あなたはもう一年頑張れば国立にだっていける可能性がある。


…国立に拘りすぎだ。

ただ、この日があって私は考え方がちょっと変わった。

誰かのために、ではなく自分のために行動する。当たり前のことだが、それまでは挑戦しながらも保身の考えがあった。

それからは自然と基礎教科は自己学習、先生は面接と小論文に力を入れるようになった。


“小手先のテクニック”というより、“伝えるチカラ”みたいな感じ。


受験なんて賢い人が優先してとられるけど、看護って心でしょ?それが伝わらなければ意味がないよ、大体看護学校なんて(以下略


先生は看護学校や看護師が多分嫌いだ。
いつも皮肉を言ってくる。


面接は嫌いだ。

私は個人的に問題を抱えている。

前回に少しだけ触れたが、私は場面緘黙症の症状がまだ残っているのだ。

面接のような、数人の大人が集中して自分を見る場面がすごく苦手だ。

苦手を超えて動悸がするレベルなのだ。

先生にはもちろん伝えたが、まぁ無視。ちゃんと面接したこともないんでしょ?と。

そんなことを言いながら先生は面接官になってくれたが、初めての練習でドン引きしていた。



『ちょっと言いたいことを文字にして?』


文字にはできるものの言葉がでず。
(まじで治ってねぇじゃん!!!!!)


先生は精神的な問題は無視するタイプ。

「場数じゃない?お金はかかるけど本番を経験しなさい」


私は先生が指定した数校、社会人入試で受験させられた。


結果は惨敗すぎた。
声は出たが話は飛ぶわ、途切れるわ。
すべて圧迫面接だった。


他の人はスラスラと、詐欺師なんか?と思うくらい立派に言い遂げていた。


先生は結果を聞いてニヤニヤしていた、とても性格が悪い。



それから数ヶ月後くらいに本命の看護学校の入試がある。



今回の面接の惨敗感的に、やっぱり今年は諦めたほうが良いと思っていた。


受験申し込み前日くらいまで動けなかった。



受ける受けないはあなた次第でしょう
、と言っていた先生からたまたま電話があった。


先生、激怒。

『来年に回す!?バカなの!?』

押されて押されて押され。

私はギリギリで書類を集めた。
健康診断の書類なんて、もう間に合わないよと思った。

総合病院の看護師さんが受験用と気づいてくれた。その看護師が個人的に検査室にお願いしてくれたらしくすぐに結果を出してくれた。そしてちょっと説教された。余裕持って動くもんだろ、と。

頼んでないのにやってくれて、怒られた。

高校に成績表を取りに行った。
そこでも怒られた。

『自主退学なんて、バカなことをして!』
『ここから看護学校行った生徒なんていないよ!現役ですら無理なのに』

ボッコボコじゃん、わたし。


でも、本当に受験することになったのだ。


それからは自分との戦いだった。
先生は研究が忙しいとかなんかって、来なくなった。
たまに電話とメールで勉強してるのか、と問い詰められたが。


受験用のそれよりレベルの低い教材を解いて解いて解きまくった。ニュースは医療系のもの、新聞のコラムも全部読んで語彙力をつけろ。


先生に言われたことをぐっちゃぐちゃに、
そしてかなり不器用にやった。





試験とわたし “小手先よりも心”


一般入試試験当日。

緊張を超えて、無だった。笑
過去問のレベルはできるようになったけど、あとは知らん!

国語は合格範囲内。

数学や英語はみんなより明らかに解くのも遅いし、正解なのかさえわかんなかった。余裕がなかった。

小論文のお題は『スマホの情報について』
変な問題だった、いやいや医療は?!
とにかく9割は埋めた。

隣の人は半分くらいしか書けてなくて泣いていた。

最後に面接。
以前受けた学校より優しい感じだった。
一般入試は社会人入試と違って現役中心だからか?少なくとも圧迫面接ではなかった。

それでも言葉が詰まることはあった。
質問されると真っ白になる。


ただ、なにかが吹っ切れた感じがして、過去に入院したときに辛かったことや嬉しかったことをかなり爆発的に正直に答えたと思う。


『 小手先の技術じゃなくて伝える心 』

これのことか?
なんかスラスラっと出た気がした。

試験が全て終わった瞬間、げっそりした。
本当に疲れた。



母親には受験日は伝えてなかった。



本当に自分1人で戦ったのだ。




合格発表とわたし “小さな伏線回収”


それからは何日経ったか覚えてない。数ヶ月経ったかもしれない。


合格発表の日


結果はネットで合格発表を見ることができた。

が、見れなかった。

怖くて、動悸がして。

1時間くらいパソコンの前に座っていた。


結果、



合格だった。




びっくりした!初めて大きな声が出た。
男みたいな声が出た。

親より何より先生に連絡した。

合格発表から小一時間も過ぎていたので先生も心配してくれていた。


泣きながら、受かりましたと一言伝えた。


意外にも先生もちょっと泣きそうなフリをしてくれた。でも泣いてないと思う。

『旦那と今一緒にいる〜、合格するだろうと思いました』とあっさり。
『旦那からはカトさんを見捨てたのか?って聞かれたことがあったけどね、あなたは一人でやり切るフェーズに入ったから私がどいただけよ』


いやいや、そのとき私は諦めようとしていたぞ。だから『受験はしろ!』と異常にキレたのか。


あの時はよく分からなかった。
私のなかで、伏線回収。



とにかく、私は正看護学校に合格したのだ!
社会人が数人しか入れないところに入った!



それは自分にとって大きなことだった。
3年で卒業できるということは、元の准看護学校の人たちと同時期に正看護師になれる。年数の遅れさえとっていないのだ。



みんなに馬鹿にされたけど、それは実現したのだ!!




私はわたし自身に勝ったのだ!!


先生の鼓舞と言葉の暴力がなければここまで辿り着けなかっただろう。

その日はすごく泣いたし、飲みに出た。笑

数日後に母親には伝えた。

あんたが?ありえない?って顔だったが喜んでくれた。ひとまず人生の一歩を踏み出せるのだ。

そして、何もない状態から脱出できたのだ!

ひとまず、完!!!!




次回は看護学校での生活です。

日数でいうと半年くらいなものなのですが、一番人生のなかで地獄でした。逃げ出したいけど逃げたら私には何もない。どうしようもないやり場のない感じで本当に精神的に終わっていました。受験も諦めようとしていたくらい弱いメンタル。先生がいなければどうなってたんだろう。実際ネット上でも偉い人なのは滲み出てたので連絡するのさえ躊躇した。一歩踏み出して、勇気を出して良かったと思える瞬間だった。人生は自分が動かないと何も変わらないんだね。



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