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高校生のための人権入門(23) 「正しさ」のぶつかり合いから抜け出すこと(その2)

はじめに

前回、パワーハラスメントがどのようなことが「きっかけ」となって、どのように進んでいくかということを見ました。今回は、パワーハラスメントが起きている時に、加害者と被害者の「心の溝(気持ちや思いのズレや断絶)」が、どのような働きをしているかを見てみたいと思います。

なぜ、「心の溝」は深まるか

第3回「パワーハラスメント」でも述べたように、パワーハラスメントは、(A)「強い立場」と「弱い立場」があり、(B)双方の間に「心の溝(気持ちや思いのズレや断絶)」があり、(C)「強い立場」の人が「弱い立場」の人に、自分の持っている力を使って非難、攻撃をすることで起きます。パワーハラスメントが起きるためには、AからCまでの三つの条件がそろわなければなりません。逆に言えば、この三つの条件のひとつでも欠ければ、パワーハラスメントは起きない、または続かないことになります。しかし、実際には(B)の「心の溝(気持ちや思いのズレや断絶)」は、必ずと言っていいほど、どんどん深くなっていき、それとともにパワーハラスメントもどんどん深刻なものになっていきます。なぜ、心の溝は深まるのでしょうか。

わたしと相手は、もともと別の人間ですから、多少の「気持ちや思いのズレ」は必ずあります。しかし、それが前回述べたようにもともとわかっていた「あの人は書類のつくり方が少し雑だ」というその人の性質が、ある「きっかけ」で、「あの人はやる気がない、言い訳ばかりするダメ人間だ」というその人の生き方や人格の問題に変わってしまった時点で、一瞬にしてわたしと相手の間に深い「心の溝」が生まれます。一度、「心の溝」が生まれてしまうと相手の言うこと、することのすべてが、わたしへの悪意によるものであるように思えてくるのです。相手のちょっとしたしぐさや態度、言葉のはしばしが、すべてわたしへの悪意であり、その人の「ダメさ」のあらわれのように思えるのです。同時に、相手の方でも、そっくり同じことが起きます。わたしが、何気なくしたこと、特に悪意もなくいつも通りにかけた言葉が、相手には何か嫌がらせや自分をおとしいれる罠のように見えてくるのです。その結果、毎日、絶え間なく、お互いにそのような相手の態度にいら立ったり、カッとしたりして、さらに「心の溝」は深まっていきます。

たぶん、すべては「誤解」から生まれている

実は、このようなことは、パワーハラスメントに限らず、われわれのふだんの人づきあいの中でひんぱんに起きていることです。そういう意味では、人間関係のトラブルのほとんどは、「誤解」が「誤解」を生んでいるのではないかとわたしは考えています。実際には、人は他人にそれほど関心は持っていません。みんな自分のことで忙しくて、他人にはふつう悪意も好意もほとんど持っていないのが、現実です。にも関わらず、なにかの「きっかけ」で、その人へのこだわり(憎しみや恋)が生まれ、それが場合によっては、どんどん深刻なものになっていきます。広い意味では、たぶんどちらも「誤解」なのです。実際の、現実の相手が見えなくなってしまっているのです。みなさんも後から振り返ってみて、あの人とわたしの関係はそうだったなと思うことがあるのではないでしょうか。

当事者には、見えないこと

ここで重要なことは、そのような「誤解」が「誤解」を生んでいる心のシステムが、パワーハラスメントの中にいる当事者にはまったく見えないということです。わたしと相手の関係を心配した第三者が、わたしに向かって、「あの人、そこまでダメな人じゃないよ。だって、こういうところもあるから」と言っても、わたしは受けつけません。「あなたは、あの人がまるでわかっていない」と言い返すことになります。また、第三者が相手の方に、「あの人、そこまであなたを憎んでいるわけではないよ。あの人、誰にもああいう言い方するから。」と言っても、相手の方は、「あなたは、あの人がまったくわかっていない」と言い返すことになります。善意で双方に話をした第三者は、結果として両方からバカにされて、「いいかげんにしろよ、もう放っておこう」とうんざりしてしまいます

「心の溝」を越えるとすべては悪意に見えてくる

このパワーハラスメントを生む「心の溝」について、わたしはこんなイメージを持ちます。深い谷をはさんでわたしと相手がそれぞれの崖っぷちに向かい合って立っています。わたしが相手に送るメッセージはすべて谷を越える間に、ねじれて悪意のあるメッセージになって相手に届きます。逆に、相手が送ってくるメッセージも、谷を越える時にねじれてすべて悪意のあるメッセージになってわたしのところに届くのです。このようなことが毎日のように何度もくり返されるうちに、わたしと相手の「心の溝」はさらに深くなり、相手のメッセージはさらに悪意のこもったものとなってわたしに届くようになります。実は、このような心のシステムが、第三者からならば、実にはっきりと見えるのです。しかし、当事者にはそのようなことが起きていること自体、まったくわかりません。わたしには、現に毎日、悪意に満ちたメッセージしか届かないのですから。

家族の中での「心の溝」

このような心のシステムは、職場の人間関係だけでなく、家族の間でも起きます。職場の場合は、最悪の場合、別の部署に異動させてもらうとか、その職場をやめるということで一応の解決をみることができるのですが、家族の場合はそうはいきません。本当にどうしたらいいのでしょうか。わたし自身、パワーハラスメントを生む「心の溝」をどうやって埋めていけばいいのか、今も思案しているところです。

家族の中の「心の溝」を埋めるためには

ただ、家族などの場合は、まだ初期の段階であれば、今、お話ししたような心のシステムのことを双方に(または、どちらかに)第三者が話してみることも、ひとつの方法になるかと思います。初期であれば、家族の場合は、基本的に仲良くしたいという気持ちをまだ双方が持っているので、このような心のシステムを知ることだけでも、当事者は少しは心が軽くなるのではないかと思います。つまり、「相手はわたしが思うほど、わたしを嫌っているわけではない。わたしに悪意を持っているわけではない。ただ、心の溝がそう思わせているだけなのだ。」と思えるのです。もう一つ、考えられるのは、心の溝にも、深い部分と浅い部分があります。「これは絶対ゆずれない」と思うこと(たとえば、相手の生き方に関わるような部分、「どの高校を受験するか」等)は、「心の溝」の一番深い部分です。そういう部分でのメッセージは、必ず相手にゆがんで伝わります。親の持つ善意(愛情)が、必ず親の悪意(「わたしの人生をコントロールしようとしている」等)として、子どもには伝わってしまうのです。そういう「心の溝」の一番深い部分ではなくて、「これはどっちでもいい」という部分(日常的なささいな部分、「今日、あの店に行ってみようか」等)のメッセージを、いろいろの機会にできるだけ多く送ってみるということが大切かもしれません。心の溝の浅いところであれば、メッセージがゆがむことなく、そのまま伝わる可能性が高くなります。その結果、ほんの少し心の溝は埋まるはずです。一番良くないのは、相手がこの頃なんでも悪くとるからと考えて、ふだんから相手に送るメッセージをどんどん減らしていき、しかし、来週は進路について三者懇談があるからといって、急に一番心の溝の深い部分の話(「どの高校を受験するか」等)を切り出すことです。家族の間の心の溝は、何年、何十年もかかって生まれてきます。だから、それを埋めるには、同じくらい長い時間がかかるかもしれません

次回「『正しさ』のぶつかり合いから抜け出すこと(その3)」に続きます。

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