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過去を知り 未来へ生きる!!(後編)対談者:映画監督 川瀬 美香様

今回のヒューマントークは、ヒューマントークVOL.36(2020年)の映画監督 川瀬 美香様との対談記事《後編》をお送りいたします!

前編では、テレビCMの制作会社・米ブロードキャストを経て、映画監督として独立される道のり、1作目の作品が完成するまでのお話を伺いました。

▼ぜひ前編よりご覧ください♪

後編では、2作目そして3作目『長崎の郵便配達』の制作に関するお話を伺いました。では、後編もご覧ください。

※対談の本文は、2020年12月に社外報『ヒューマンニュースレター』に掲載したトークを当時の文章で掲載いたします。

過去を知り 未来へ生きる!!

今回のヒューマントークは、ドキュメンタリー映画「紫」「あめつちの日々」を制作され、「長崎の郵便配達」を現在制作中の、映画監督 川瀬美香様にご登壇いただきました。 

映画監督 川瀬 美香 様
ヒューマングループ 会長 内海和憲(文中:内海)

内海:二作目は、沖縄の「あめつちの日々」を制作されていますが、それはどういうきっかけですか。

川瀬:植物染めで、紅花の花を摘んで染めるのに、昔は紅花が6キロでよかったのが、今では10キロ必要になったと聞いたんです。それはどういうことかと言うと、紅花自体の花の色素量が減っているという事なんです。染色の専門家の方々から、「大地が弱ってるんだよ」って教わったんです。目に見えている植物は昔も今も変わらないけれども、植物たちが持っている力が弱くなっていると。
 それなら土をさわっている人に聞いてみたら、また違う角度で何かが見えるかもしれないと思いまして、それでいろいろ探した結果、たどり着いたのが沖縄の土をさわってる方々だったんです。場所は沖縄本島の読谷村、アメリカ軍が最初に上陸して市民が一番影響を受けたところでした。
 そこの爆弾処理場の跡地に、読谷生まれの4人組が登り窯を作って、琉球時代の焼き物を焼いているというお話です。

内海:彼らは前からそういう仕事をされていたのですか。

川瀬:そうです。若い時から、首里で修業されていました。
自分の生まれた故郷で登り窯を作って、今はもう60代になられた方々なのですが、撮らせていただきました。

内海:沖縄の撮影は何年位かかったんですか。

川瀬:撮影期間は、1人で2年。仕上げで1年ほどかかりました。映画を見ると、そんなにかかっているとは見えないですが。

内海:その長い期間、何度も沖縄に通われたのですか。

川瀬:はい。通っていました。1ヶ月に1度、一週間くらい滞在して。
 行ってすぐ撮るっていうのは、画が安定しないんですよ。撮られる側も、慣れてくるまでに顔つきが変わりますし、しばらくいると馴染んでくる。全然顔が違いますから、その間は待つしかないんです。やっぱり緊張してたら本当のことを言えないですよね。

内海:時間がかかるんですね。

川瀬:まぁそれが画に映りますからね。

内海:「紫」「あめつちの日々」この2本の映画があって、次がいよいよ現在制作中の「長崎の郵便配達」というステップへ行きますが、この作品を作ろうと思われたきっかけというのは?

川瀬:これは、長崎原爆の被爆者、谷口稜嘩(すみてる)さんに、ある本を紹介してもらったのがきっかけです。
 ある本というのは、長崎で被爆した16歳の郵便配達員の少年谷口さんの体験をもとに、英国人作家ピーター・タウンゼント氏がドキュメント物語を書いた本ですが、谷口さんの目的は、この本の再出版の出版先を探しているということだったんですけれども、谷口さんが亡くなる寸前に映画にしようと決めたので、残念ながら谷口さんに見てもらうことはできませんでした。

内海:谷口さんとの出会いがあったから、この映画制作になるわけですね。

川瀬:はい、そうです。私が初めて作者ピーター・タウンゼントを調べようと思いまして、ヨーロッパにいるタウンゼント家を訪ねたときに、娘のイザベル・タウンゼントさんと初めて面会をすることができました。その時にこの人となら一緒に映画ができるかもしれないという勘がありまして、それが映画をやってみようという、大きな挑戦の理由になりました。

内海:今後はイザベル・タウンゼントさんがいらっしゃるフランスに行ったり来たりとなると、さらに費用がかかるような気がしますが。

川瀬:はい、ですので映画が作れるなんて絶対無理だと思っていました。

内海:映画を作る時は、やはりスポンサーがいたり、配給会社あって、まずはお金があって、その中で制作していくと思いますが、どうも川瀬さんの場合は、それはなくても、とにかくスタートするという感じがするのですが・・・。

川瀬:鋭いですね。おっしゃる通りです。普通やらないですよね。
これが撮りたいんだっていうのを自分で確かめて、それから撮る。
なんだかわからないけど、できるかも?っていう勘が働くときまで確認する。そんな感じです。

内海:「長崎の新聞配達」は制作中ですが、今の段階で何割くらいまで出来上がっていますか?

川瀬:八割位でしょうか。いい感じです。5年もかかりましたが(笑)。
八割位というのは、残り仕上げの状態です。この後半仕上げの予定だったところが、コロナで全部キャンセルになりまして、スタッフにもどよめきが起きました。コロナは日本だけじゃなく、世界中の人が同じ理由で同じ目にあってるということもあり、「長崎の郵便配達」の制作に関しては、フランスにいるイザベルと、お互い励まし合いながらやってきました。彼女は本当にタフで、私1人だったら嘆いていたと思うんですけれども、彼女にすごく励まされましたし、彼女はあきらめない女性なので、ここまで来れたと思います。

内海:彼女からすると、お父さんのピーター・タウンゼントさんへ想いというのがやっぱりあるんでしょうね。

川瀬:最初はそうでした。お父さんのピーター・タウンゼントはマーガレット王女と噂になっイケメンの男性という城を超えて、作家として成功しているという部分が世間にはあまり知られていない。それに対する彼女の想いっていうのがあったと思うんですけれども、最近はどうも変わってきていますね。父の取材テープを発見し、被爆の現状を知ったからこそ、どうしても長崎に行って、父のメッセージを紐解く必要があった。これを未来の人たちに伝える仕事があると。どうもその仕事に重点がいってるような気がしますね。

内海:だから絶対に完成させないとけないんですね。

川瀬:急いではいないんですけれどもね。

内海:最後に「長崎の郵便配達」をぜひ見てほしいという川瀬さんの想いを、メッセージでいただけますか?

川瀬:私は戦争体験者ではないので、どうしても実感がないものですから、こういった映画は作れないと今までずっと思ってきました。この映画を作るという判断をなかなかできなかったのは、それが原因です。ですが、今の時代に制作者の人間のはしくれとして、何かやらないといけないというふうに思った。それはピーター・タウンゼントさんが残した本を見たので踏ん切りがついたんですね。
 この映画は、新たな戦争の検証を掘り起こすような映画ではありません。父と娘の話であり、国籍の違うピーター・タウンゼント氏と谷口さんの友情の話であり、未来を変えれるような勇気をもらえるような映画です。事実は事実として知らなければいけないんです。
 これまでの伝統の映画を撮っててわかったことがありまして、過去を勉強すると、前に進めるということなんです。前回のドキュメンタリー映画2作で私が体験したことです。だから今回も、過去を冷静に知ると現代の人たちは、前に、未来に生きるんじゃないかと思ったんですね。それを実感していただきたいと思います。

内海:ジーンときますね。「長崎の郵便配達」と今までの「紫」と「あめつちの日々」も含めて、川瀬さんの応援団の1人としてサポートしていきたいと思います。本当にいい出会いをいただきました。

川瀬美香監督プロフィール(2020年12月現在)
映画作家
◆主な作品
 映画「長崎の郵便配達」制作中 2020年
 映画「あめつちの日々」撮影·監督 94分 2016年
 映画「紫」撮影·監督 77分 2012年
◆プロデュース
 映画「ちいさな、あかり」80分 2013年
◆TV
 NHK BSプレミアムHD 4K「失われた色を求めて」90分
 NHK 8K「輝くひかり」 30分
◆展示映像
 英国/Victoria&Albert Museum Channel
◆ART TRUE FILM Orignal WEB
 「手鑑 tekagami」(2020年秋スタート)
Art-true.com https://art-true.com
川瀬美香ブログ https://essay.tokyo


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