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過去を知り 未来へ生きる!!(前編)対談者:映画監督 川瀬 美香様

今回のヒューマントークは、ヒューマントークVOL.36(2020年)の映画監督 川瀬 美香様との対談記事《前編》をお送りいたします!

2022年に全国公開となったドキュメンタリー映画『長崎の郵便配達』の監督・制作を行った川瀬様。

前編では、テレビCMの制作会社・米ブロードキャストを経て、映画監督として独立される道のり、1作目の作品が完成するまでのお話を伺いました。

ぜひご覧ください!

※対談の本文は、2020年12月に社外報『ヒューマンニュースレター』に掲載したトークを当時の文章で掲載いたします。

過去を知り 未来へ生きる!!

今回のヒューマントークは、ドキュメンタリー映画「紫」「あめつちの日々」を制作され、「長崎の郵便配達」を現在制作中の、映画監督 川瀬美香様にご登壇いただきました。 

映画監督 川瀬 美香 様
ヒューマングループ 会長 内海 和憲(文中:内海)

内海:今日はリモートでお話しさせていただきます。よろしくお願いします。まずは、川瀬さんの生い立ちからお話してもらえますか。

川瀬:はい。よろしくお願いいたします。私の生い立ちですが、福井県敦賀市で生まれ、野山とか海とか走り回っている野生児でした。それから東京の大学に進学して、東京で仕事をするようになり、現在に至っています。

内海:今は映画監督をされていますが、その前はどういうお仕事をされていたのですか?

川瀬:大学を卒業する前からテレビCMの制作会社にアルバイトをしていまして、大学を卒業してからもその会社に6~7年間ほど勤めました。その後一旦ニートになり、世界を放浪してアメリカの映画会社に入りました。

内海:アメリカの映画会社というとロサンゼルスですか?

川瀬:本社がロサンゼルスで日本配属です。4年間ほど勤めたあと、独立して事務所を作りました。

内海:テレビCMの制作会社では、どういう仕事をされていたのですか?

川瀬:制作です。まったくの新人で、挨拶ひとつできない状態で、通常制作の助手の助手からスタートするわけですが、私は助手の助手の助手からスタートするくらいだったんです。相当仕事ができない。近年まれに見る仕事ができない人と思われていましたね。郵便物や届物とかを運んだりとか、そういう仕事を長くしたあと、それからやっとプロデューサーの助手や、監督の助手をすることになりました。

内海:CM制作の中で思い出に残ることはありますか。

川瀬:たくさんあります。やっぱり一番初めに勤めた会社ですから、仕事のベースがそこにありまして、上司の関係、先輩方との関係、仕事の進め方など、全部そこで教えてもらい、先輩やクライアントに恵まれまして、とても大事にしていただきました。
 制作のハプニングなどは数えられないくらいありましたね。始末書の川瀬と言われるくらいでしたから、始末書や反省文など会社に出す書類はたくさん出しました。自分の中にフォーマットがあったくらいでしたから(笑)でも今思うと、今の時代では考えられないくらい、大胆な挑戦をさせてもらい、良い経験をさせてもらいました。

内海:良いものを作りたいという思いからでしょうね。その経験は、今活かされていますか。

川瀬:そうですね。度胸だけついてしまったという感じですかね。日本企業から外資に行ったそのギャップも大きかったですね。日本企業で教わったやり方がアメリカの企業では一切通じなかったですし、良い面も悪い面も両極端で、凄く良かったです。

内海:アメリカの会社を4年勤められて、それからすぐに映画監督をされたのですか?

川瀬:すぐではないんです。仕事のあてがあって独立したわけではなく、カメラ一個持ってフランスを放浪したり、自分の仕事のビジョンが見えるまで時間がかかりましたし、それを長編の作品にしようとした時に、自分が何を捉えられるかを模索する時間も必要でした。約6~7年ほど時間がかかりましたね。
 自分で撮りたいものが見えるまでは、監督がしたかったわけではなくて、ただただ長編映画を作りたかったんです。自分が何ができるかというときに、ようやく見つかったのが「紫」だったのです。そういう意味では思い出深い作品です。

内海:ドキュメント映画「紫」を作るきっかけは、どういうことからですか。

川瀬:美しい本を見つけまして、日本の植物染めと書いてあったんです。植物染めと聞きますと草木染めのイメージで、色がくすんだような印象をお持ちだと思うんですけれども、その本に掲載されていた植物染めの色は、イメージを明らかに覆しているビビットな色で、圧倒的な美しさだったんです。それはもう衝撃的で、その染色家、吉岡幸雄さんが京都にいらっしゃるとわかり、工房を訪ねたんです。工房で本物を見せていただきました。宝もののように水からザバーっと色が上がってくるのを見て、これが日本の伝統の色だと感激しました。自分の中に誇りが生まれたというか、こんなに凄いものがこんなに近くにあるっていう感動も含めて。

https://murasaki.essay.tokyo/

内海:紫色を出す作り方っていうのは結構古いんですよね。

川瀬:1200年前からですね。奈良時代。染色家の吉岡さんたちは、古文書を解読して色を作られている方々でしたね。伝統とどれだけテストしたんだろうという彼らが挑戦に使った時間を含めた美しさですよね。すごい人間力。それを見たら誰だって撮りたくなりますよ。普通の人だったら。

内海:しかし、撮りたいと思っても撮れるというのはまた別ですからね。それをチャレンジされたわけですね。

川瀬:はい。1個の中古カメラと、2本のレンズを会社で買って、担いで通ったんです。

内海:この映画の制作は、どれくらい時間がかかったんですか。

川瀬:大体3年位です。カメラが回っていない半年間はずっと工房で見てましたし、半年後ぐらいからようやくカメラをを持ち込んで、その間に彼らの活動するいろんな土地に一緒に行ったり、展開を一緒に学ばせていただいて、工房にある貴重な資料を自由にに見せていただいたり、お弟子さんと一緒にご飯いただいて、ずっとそこにいましたね。

内海:出来上がった作品を見られたときに、どういう思いになられましたか?

川瀬:今だから言えますが、一番苦労したのは今までずっとコマーシャルだとかアメリカの映画だとか、表向きの映像を作ってきましたので、表向きの美しさを追求する撮り方を捨てるのに、すごく時間がかかったんです。
 「紫」を撮影するときは、子供が初めてカメラを持って喜んでる、自分の目を通した対象物を見て喜んでいるように、技術とかではなく、自分が見ている気持ちが映るようなものが欲しかったんです。でも不思議とそういう気持ちに自然になれました。気持ちが映ってる映像にトライできたという、自分にとっては新しいものでした。

内海:まず一作目「紫」を作られて、仕事の手ごたえを感じられましたか。

川瀬:いいえ、手ごたえと言うより必死でしたね。だって完成したときに会社の金庫の中に1円もなくて、皆さんに配るチラシを60,000枚も用意しないといけないってわかって・・・。どうにか皆さんに助けていただいてここまできましたが、手ごたえを感じるまで、そこまではまだ到達していないんです。

内海:今でも上映されていますか。

川瀬:はい、上映会はもう10年経っていますが、今でもやっています。

後編へ続く・・・

川瀬美香監督プロフィール(2020年12月現在)
映画作家
◆主な作品
 映画「長崎の郵便配達」制作中 2020年
 映画「あめつちの日々」撮影·監督 94分 2016年
 映画「紫」撮影·監督 77分 2012年
◆プロデュース
 映画「ちいさな、あかり」80分 2013年
◆TV
 NHK BSプレミアムHD 4K「失われた色を求めて」90分
 NHK 8K「輝くひかり」 30分
◆展示映像
 英国/Victoria&Albert Museum Channel
◆ART TRUE FILM Orignal WEB
 「手鑑 tekagami」(2020年秋スタ、ート)
Art-true.com https://art-true.com
川瀬美香ブログ https://essay.tokyo

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