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「芸術の書 断片 」 1・2 本多裕樹 

1、写実から抽象


 悟りという章でありますね。芸術において悟りということを言ってみようと思います。そこで、写実から抽象ということで言ってみたいと思います。写実というのは、具体的であるかもしれない、見た感じで、聞いた感じで、また読んでわかる世界であります。しかし、その中に抽象的なイデアの内容が内在していることがある。つまり、ハートと呼ばれているものかもしれない、抽象的な観念であることが言える。基本はイデアからはじまり芸術家がそれを再現する。そこに天上界との交流があります。具体的なモチーフを見て、作品にしていく事がありますが、そこにも、モチーフを見てイデアの世界を照合して、天上と地上の芸術家によって、作品の制作にいたる。あと、芸術家が直接、天上の世界をキャッチして、その映像や、音のイメージの塊などを解凍して、この世に作品として作って行く。作品のアイディアはすでに天上界にあるのです。それを描き、書き、作曲し演奏していきます。そして、そのイデアを再現する歴史が、芸術の歴史であったことです。

芸術は感性で感じる世界です。その感性の中に知性、理性、悟性というものも内包していますが、感性の純粋になったとき、感性で神を感じていくようになります。それは、いわば狂気の状態になる。狂気は狂気として存在するのでなく、天上から、神のイデアを強く感じそれを爆発させるほどのものです。感性というのを、やはり正直に生きていればそのような感動があるのです。芸術家がそれを爆発させる事がある。それはエネルギーが、抽象観念がすごい量の光りが降りている時です。演奏家であれば、その状態は神が降りたと言えるでしょう。歓喜と言える悟りであります。そこには、写実と言われるものにもエネルギーが宿り、抽象観念においても爆発していきます。神からのエネルギーの量が芸術作品に大きな影響を与え、感動へと変わって行きます。その原質は、抽象的な物質、イデアマテリアルであると言えます。それは眼に見えないアイディアであること、霊感であること、芸術の知性である感性であることです。写実と抽象は、相互同じ可能性の観念であるということです。それに感応して、それを芸術家が具現化していき、この地上の人々に感動をもたらしていくのです。感性で感じた世界がそのまま作品に表出していくことになります。






2、感動


 芸術には感動はつきものです。そして、その感動は感性で感じ、その作品に心境に照応することになります。作品の感動が、その作品の悟りへと感激するのです。そのことはよく芸術鑑賞にあることです。それでは、なぜ感動するか。それは懐かしき太古の記憶、天上にあった感動が思い出があるのです。あと、物語などである起承転結、正反合による弁証法、音楽の演出方法に詩的な構成があったときに、美を感じ、心揺さぶられるものが出てくる。そういう感動がある。そういうストーリーや構成において感動する。詩や音楽に出てくる人の行動や川のせせらぎの音に美を感じていく。つまり、美になにかしらの感動を感ずるのです。あるいは、情熱ある絵画に感激する。その場合は美の光がすごく強い絵であることはいえます。あと、作品からその人の心、人生観が心揺さぶるものであるがゆえに感動していく。この感動の根源は心にあると言えます。心は心を知り感動するのです。胸の内にあるものを打ち上げれば、それは相手の胸に感動をもたらしていくのです。芸術は精神から生まれます。精神は心です。ハートです。そのハートは生命にとって大切な力です。平和をもたらす力であるとともに、表現の力になっていきます。ハートが燃えるとき情熱となり作品の質を高めていきます。そして、光の情熱が強ければ強いほど、作品の光が強く放っていくのです。情熱には愛があることです。愛はそのまま情熱であり、感激であり、感動なのです。あらゆる美に感動するとともに、愛そのものに感動し、幸せになっていくことを知るのです。感動とは、抽象的で目に見えない力にあるということです。それは不滅な実在なのです。不滅な実相なのです。神の光である愛、美、真なるものなのです。神の光は多様な色をもっていますが、その抽象的な観念においてそれはあるということです。

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