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生きとし生けるものいづれか歌を詠まざりける

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生きとし生けるものいづれか歌を詠まざりける

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Parlez moi d’amour

「聞かせてよ、愛の言葉を」 がらんと広く 静まりかえった部屋に 衣ずれのように レコードはまわり 古ぼけた歌声が 遠慮がちに流れ出す 聞かせてよ、愛の言葉を 誰もが求めているんだ その言葉を 自分だけに向けられた 愛の言葉を ああ それなのに 愛が失われて初めて、 僕たちは、ようやく その言葉の意味を知る 愛し合っているときには、 知ろうともせず、 知る必要もなかった、 愛の言葉の意味を 聞かせてよ、愛の言葉を もう、何も力を持たない その言葉を 今なら安心して笑えるか

    • あなたがいるから

      いつもの朝の風が ちょっぴりひんやりきらめいて いつものコーヒーが ちょっぴりふんわり香るのも いつもの信号が ちょっぴりわたしを待っててくれて いつもの人混みが ちょっぴりわたしに優しいのも いつもの青空が ちょっぴり明るい孔雀色で いつもの夕陽が ちょっぴり切ない黄金色なのも いつものベッドが ちょっぴり孤独をあたためてくれて いつもの夜が ちょっぴり明日に近づいていくのも ぜんぶ、あなたがそこにいるから

      • 花瓶なんかじゃない

        もう、止めにして頂戴 欠片を寄せ集めてみたって わたしは疾くに砕けてる 過去の役割を求めないで もう花瓶なんかじゃないの わたしが若く粘土だった頃 何にだってなれたのに あのひとの手捌きに応えて 自由自在に形を変えて やがて化粧を施され 炎がわたしを大人にした 気づかない方が良かったのね わたしは、もう此処から動けない 与えられた形のまま ずっと立ち尽くしているだけ 今のわたしには、もう出来ない あのひとの手に応えることも わたしは全ての形になりたかった やわらかに、し

        • 踏んだらタンゴ(2)

          踊るつもりなんてなかった

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        Parlez moi d’amour

          秋蝉

          空も川も雲も風も 金木犀に満ち満ちて どこか遠く 蝉が一匹 力強く鳴いている 人は生き方を 選べるだろう 花は置かれた場所で 咲くだろう でも、秋の蝉は 変われない 巣穴を掘ったり 蓄えたり そんなふうには 生きられない できるのは、ただ 現在の生を歌うことだけ 寒かろう 寂しかろう そんな同情は案外 他人から見た印象で 実際のところ、本人は 今この季節が夏だと 思い込んでいたりする 蟻はきっと 笑うだろう 夏蝉もきっと 哀れむだろう でも、秋の蝉には わからない 生き

          秋蝉

          Entre tu amor y mi amor

           好きなアルゼンチンタンゴの曲の中から、"Entre tu amor y mi amor" (あなたの愛とわたしの愛の間には)という一曲を。タイトルからして、そこはかとない二人の距離感が漂っていますが、はたして二人の愛の間にあるものとは…気になりますよね。歌詞を訳してみました。 あくまでも個人的印象なのですが、歌詞の意味を知ってから聴くと、曲から受けるイメージが演奏によってかなり変わります。  まずは正統派、①アルフレド・デ・アンヘリス楽団による演奏(1959)。歌手フア

          Entre tu amor y mi amor

          踏んだらタンゴ

          1. 路地裏の3人組

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          踏んだらタンゴ

          Lagrimas y Sonrisas

          好きなアルゼンチンタンゴの曲の中から、ワルツ "Lagrimas y Sonrisas"(涙と笑顔)という一曲を。ロドルフォ・ビアジ、フアン・ダリエンソ、アルフレド・ゴビ…名だたる楽団のInstrumental の演奏が人気ですが、そういえば何で「涙と笑顔」というタイトルなんでしょう。ふと思い立って調べたところ、歌詞が見つかったので訳してみました。  曲調としては、ちょっと翳りはあるものの全体的に華やいだ印象なのですが、そんな明るい曲に悲しい歌詞が乗っていると、ああラテンだ

          Lagrimas y Sonrisas

          Alfonsina y el mar

          "Alfonsina y el mar"(「アルフォンシーナと海」)という曲の歌詞の私的翻訳。 タイトルの女性Alfonsina Storniは、アルゼンチンの詩人。ラ・プラタ川がすっかり大西洋となったあたりの海辺のリゾート地、マル・デル・プラタで、1938年、入水し自ら命を絶ちます。 彼女の遺作となった詩を基に、Félix Lunaが作詞、ピアニストAriel Ramírezが作曲。以来、世界的に多くの演奏者によって演奏され続けている名曲です。 作曲者Ariel Ram

          Alfonsina y el mar

          哀しきモビール

          夜の階段の踊り場の 蛍光灯のまたたきに 浮かび上がる紋白蝶 薄明かりに 照らし出された翅脈は 真昼の月の表面のように 冷たく硬く、 白く輝く いつか、自由だったころの 一瞬を切り取られた姿で か細い蜘蛛の糸に吊るされ 隙間風に揺れる 哀しきモビール 花から花へ、渡り歩き 仲間に誇った、その翅は 今はただ、一対の 脆く、乾いた 自らの墓標 小さな弦月 それからひと月は過ぎたろうか 風もないある夜に それまで耐えていた その亡骸は わたしの目の前に ぽとりと墜ちて そん

          哀しきモビール

          ビー玉

          吐くほど泣いて 涙も枯れて 鳴咽とともに せり上がり のどの奥から こぼれ落ちる 透きとおった ビー玉ひとつ かつん、 またひとつ こつん、 硬質な音を立て 床に跳ねかえり それからまた ふたつ、みっつ かちりかちり、 そこからは 数えきれないくらい ざあざあ、 ざらざら、 両手に受けきれず溢れ 胸を突き破り のどをこじ開け 叩きつける雹のように こんなにもわたしのなかに 仕舞い込まれていたのだと 驚愕するほどに 気がつけば 床の上には 行き場のない ひと山のビー玉 冷

          ビー玉

          今日の月を、見ましたか

          拝啓、 愛しいあなたへ 今日の月を、見ましたか 盛夏の夕暮れ 茜色に漂う雲がひとつひとつ 群青に沈んでゆく西の空 針ほどに細く 爪ほどに薄く ふれた指が 切れてしまいそうなほどに 鋭く、切実な、 今日の月を 一夜明けた明日には、もう その酷薄さは 決定的なまでに 失われていることでしょう 針ほどには細くなく 爪ほどには薄くなく ふれた指を なめらかに慰撫する、その光で 優美にたたずむことでしょう だからこそ 今日の月を見るたびに わたしの心は あなたを呼ぶ この月 この

          今日の月を、見ましたか

          夏草

          落ちてゆく もう取り戻せない 狙ったよりも確実に 図ったようなタイミング 電車とホームをすり抜けて 軽い摩擦を指に残して 白い傘が、落ちてゆく ああ、よくある話さ 傘も、わたしも どこにでもあるビニール傘 税込525円 手を離した瞬間から 所有権を主張する事すら 躊躇われるほどの量産品 わたしは先を急いでいた ちくりと感じた痛みを抑え 電車に身体をねじ込んだ どうせ特別な傘じゃない どこでも手に入れられる もう、わたしの傘じゃない 失くしたものは、思い出さない そうして

          夏草

          夜空を喪くしてしまったひとたちへ

          近頃、ぼくは 夜な夜なほっつき歩いては こっそり取りかえているのだ 地上の黄金を夜空に散りばめ 夜空の星を川面に散りばめ それはいったい何のため いったい何の役に立つ そう聞くひとたちには それはけしてわからないだろう ぼくだってわからないのだから そんなことをしている場合じゃない 他にやるべき事があるでしょう そんな正しさに満ちた視線に 耐えられるほどに ぼくは強くはいられないから 声には出さずに問いかけるんだ あなたは、それでいま、幸福ですか 馬鹿げた詩

          夜空を喪くしてしまったひとたちへ

          ある雨の日に

          午後のぬるい雨に打たれ 藤の花散る つつじの花散る 烏揚羽も濡れ落ちて 黒いアスファルトの光沢となる わたしも雨に打たれながら 答えのない問いを繰り返す 期待されるから応えるのか 応えるから期待されるのか 誰も どちらも持たないままに 生きられるほど強くはないのに 風は草いきれしそうなほどに ぬめり、うるみ、あおめいて ぼうぼうと髪を吹き乱す 何をすべきかはわかってる なのにわたしは立ちすくんでる 答えは見つけるものではなく わたしがつくりだすもの ただ、今

          ある雨の日に

          歩く

          歩く ずんずんと 黙りこくって 衝き動かされるまま 全身が足になったように 当てもなく 歩く ぐいぐいと 向かい風切って 涙溢れるまま 怒りと悲しみと悔しさに 身を委ねて その一歩に 押し殺された嗚咽を 声にならない慟哭を その一歩に 飲み込んだ言葉を繰り返し もぎ離そうと身をよじり やがて 赤い橋を渡ると そこは夜の森 小さな湖に沿い ぐるりと続く細い道 月のない夜の 空と雲は 黒ほどにも青く 灰ほどにも白く 木々の枝も陰影として 真昼の色を脱ぎ捨てて 聞こえ

          歩く