「心の傷を癒すワーク」HSPほどnoteに書ける題材が多い理由
2023年の2月にnoteを始めて、約半年。
日常で「今度、これを書こう」「明日はこれを書こう」などと色々考える。
書くことを何も考えないまま、起床後にパソコンの前の椅子へ座った途端にインスピレーションを得ることも。
幸いなことに、まだ「書くネタがない」という状態に陥ったことがないのだが、ネタに困らないのはHSP気質だというのも関係しているだろう。
外側からはわからないが、内面は結構せわしない。
動揺しやすいこともあり、一日の中で、感情が揺れ動き続けていることも度々ある。
HSP気質は、あくまで繊細な人に対する広義的な解釈だと思っている。
僕は、対人関係で「これは言わないでおこう」「ここには触れないでおこう」と思い、ストッパーをかけることが多い。
相手との信頼関係が構築されると、配慮しすぎることがなくなることもあるが、ほぼ全員から「そんなに気を使わないでいいよ」と言われるほど、僕が関西弁で言う「気ぃ使い」の「気にしい」であることは間違いない。
その上ビビリだ。いわゆる臆病者というやつである。
これらの性質は対人関係で、どんどん前へ出て主張を求められる状況ではマイナスに働くものの、書くことに関してはプラスに転じやすい。
ライター、作家といっても、外向的な人もいれば内向的な人もおり多種多様なのだが、内向型のライターは、自分と似たような性質を持つ人が少なくない。
僕は「配慮の塊」みたいな人が紡ぎ出す文章が好きで、「そういう細かい着眼点があるのか」「その角度から物を見たことがなかった」などの発見がある。
書く上での制約が全くないとは言わないが、書くことで、書き続けることで自由を手にできた。
普段、配慮しすぎて言えないことは、どんどん自分の内側へ澱のように溜まっていくのだが、それがやがて醸成され書く題材となり、文章として昇華される。
なので僕の場合、何でもかんでも面と向かって言えるようにならない方がいいのだ(もちろん言うべきことは、しっかり伝えた方がいい)。
中には「直面するのは苦しい」と感じる題材もあるが、それも時間の経過とともに「そろそろ直視できるかも?」と変化し、やがて書けるようになることも。
書くことは、時に苦しくもあるが楽しい。
書くことは、自己慰撫であり自己憐憫であり自己理解であり自己受容であり自己開示であり自己解放である。
そして書くことは最大の癒しだ。
人に言えないこと、開示できないことをたくさん抱えることは決してネガティブに捉える必要はない。
生きづらさや不器用さは、書き物をする上でポジティブに働くことの方が多い。
興味深いことに、人の気持ちを揺さぶったり、心に響く内容は、その人が抱える心の傷と関与していることがある。
文章はその人の心理状態が反映されるものなので、鬼気迫る文章、読み手の心に深く突き刺さる文章というのは、どれも書き手の本気が詰まっている。
書き手は、ちょっとやそっとでは消し去れない、辛い過去や傷ほど大切にした方がいい。
映画監督のヒッチコックは幼少期に、数分間、留置場に閉じ込められた際の恐怖がトラウマとなり、それは彼が生涯かけて描き続けるモチーフになったという。
傷やトラウマは、書き続けることでゆっくりと癒される。
傷自体を否定するのではなく、どうか自身の一部として大切に受容してあげてほしい。
僕は書くことで救われてきたし、自分自身を救ってきた実感がある。
書く材料がたくさんあるということは、たくさん悲しい思いをしていたということかもしれない。
色々書いてきて思うのだが、やっぱり書くことは楽しい。
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