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喜ばせるだけが、愛じゃない。

「だれかのために」と、たくさん頑張ることを否定してるわけじゃないんです。愛し方の否定をしてるわけでもありません。


真剣にだれかのことを考え「どうやったら喜ぶかな」と、頭を悩みに悩んだその過程は、それだけでも尊く美しい。


きっと、それだけ考えたということだけでも相手は喜んでくれるだろうし、相手が望むことをしてあげられたら、なおさらよろこんで貰えることでしょう。


ただ、そのことだけを常日頃から考えていても、しんどくなっちゃうことってあると思うんです。


例えばそれは、沢山たくさん、考えれば考えるほど相手のことが分からなくなったり…


「喜んでもらいたい」がいつの間にか「喜ばせなければ」という、無機質で冷めたモノに変わってしまっていたり…


ありません?そういうこと。ぼくはありました。
学生だった頃や、大人になっても、ね。


だからぼくは、ある時から喜ばせることだけに注力するのではなく「悲しませない」ことも同じ分だけ意識するようになりました。

「喜んでもらいたい」と「悲しませない」
半分はんぶんの割合。


それだけで心も体も軽くなって、少し生きやすくなったことを今でも覚えています。


悲しませないのも、愛し方のひとつ。


相手が気づかずとも、淡々と「悲しませない」を積み上げていく。それも愛なんじゃないかって。


されたくない事はしないし、して欲しいことはする。


世界って意外とシンプルなんじゃね?

なーんて思ったりした、21時51分。






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