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【エッセイ】東京の帰り道は遠回りしたくなる。〜自由の在り処を求めて〜



よく渋谷駅から富ヶ谷の自宅まで歩いて帰りたくなる時がある。
だいたい音楽やラジオを聴くのだが、ふと都会の喧騒に身を委ねて不自由な空を見上げては、
「いま東京にいるんだな」とか物思いに耽てみたりする。

道沿いのカジュアルバーでは今日もスポーツ観戦を口実に人々がお酒を交わしている。
今日はサッカーの代表戦だ。
皆の熱視線がモノクロを急かし、神経は完全にゴールネットとシンクロしている。
僕も視線を奪われる。

日の丸の重圧がギュッと胸を締め付けた。
僕は囲われた芝生の緑に必死に"自由"を探す。
東京の夜はまだ終わらなさそうだ。

ゴールポストを掠めたハイライトシーンが俯瞰の映像に戻った。
今夜はこのまま今の東京を探ろうと思う。



昔も今も、人々は東京に幻想を抱き夢をみる。
いまは"正しさ"が多いから、それが東京にあるとは限らないのに。
j-popが唄う東京の泡沫な渇いたメロディを相も変わらずに口ずさんでしまう。

きっとそれは、自由の歪さがいくら許容されようとも、我儘な選択と集中が生み落すカッコいい一つの正解に皆憧れてしまうからなんだと思う。
それは平等を唱えれば唱えるほど、あまのじゃくのように露見する。

選択しない自由さは、時に心身を慰めるが、諦めのような虚しさを抱かせる。
選択する自由さは、大人になる寂しさと引き換えにあらゆる営みを洗練させる。

いずれ選択の数は質を生み、責任を乗せる。     そしてそれは人としての器と強さにそのまま比例する。
例えば一人の実業家が日々行う億の予算を動かす選択と、一人のサラリーマンが結婚して家族を養う選択の重さは資本主義的に同等だ。
情報とお金の集まる都心と地方では、そういう一つ一つの選択の格差が広がり続ける。

インターネットの時代に〜、なんて言われそうだが、
"東京"というメタファーはもっとその背景にある自律的でリアルなマインドやスタンスを指している。
サイバースペースやらメタバースやらの話をしたいのならピーターティールにでも語ってもらえば良い。


そんな幾千もの選択肢が眠る東京は常にクロスゲーム状態だ。
着る服一つとっても、東京には世界中のブランドが集まってしまっている。
選ぶブランドには何百という分母が付き、地方で革新的だったはずの選択が東京ではありきたりになる。
それは聴く音楽でも、呑むワインでもそう。

服ならその服のコレクションテーマ、デザイナーの思想、社会と服の関係性までみる。
音楽ならサウンドが生まれた国、ジャンルの派生、プロデューサーのクレジットまでみる。
ワインなら自然派であることはもちろん、ファームの場所、誰がどんな想いで造ってるのかまで見る。

きっとこういうのを見栄と捉えるかが、"東京"を隔てている。こういう美意識はビジネスにも必ず共通する。

これらの選択は決して斜に構えた捻くれでも何でもなく、ピュアにオートマティックに行われる。     情報を浴び続けたフィルターはいとも簡単にそのサイクルを可能にし、それでなければいけない理由を決定づける。


思考を張り巡らせて差別化を繰り返す忙しなさに、慣れない人は嫌悪感を抱くだろう。
田舎なら喧嘩が強そうや親が元締めなどで済む自由の指針が情報に伴う身なりや言動の選択に変わるのだ。

それは不良同士のガンの付け合いのように空中戦を繰り広げ、ギャルのコミュニティのように一瞬でテリトリーを棲み分けさせる。

あぶれた人々は、ゲームやアウトドアなど、部活動のようにルールや役割のはっきりしたコミュニティを形成し直さざるを得ない。
そして「ライフスタイル」などという言葉を多用し、コロナ禍が齎したオルタナティブな付加価値を免罪符にする。

しかしそれは「生き方」などではない。
服や音楽やお酒は生活に自然に寄り添う文化・習慣であり、文化・習慣は人格を形成する。「生き方」だ。

地方特有の村社会地獄を不自由な蟻の行列くらいに拒絶した人々が結局同じようなことをして東京から逃げているではないか、と思うこともある。
芒洋としたコンクリートジャングルで0から選択を迫る東京はやはり残酷だ。

しかしそんな自由を僕は愛している。



代表戦を観戦する人々が「何故いま出さない!」「いま打てただろ!」と怒号をあげた。
僕はハッとする。

日の丸のシンプルなグラフィックは複雑さを嫌うように煌々とはためく。
怒号は選択の自由を拒絶しながら空風に攫われた。

終了間際、相手のオウンゴールで日本は逆転した。
人々は勝利に酔いしれ白い泡で乾杯し直す。

僕の脳内ではあらゆるハイライトが走馬灯のように駆け巡る。
そしてホイッスルを待たずに、歯を食いしばりながら寒空の下に身を投じた。

枯葉が寂しそうに地面を這い、足下を通り過ぎる。
僕は点滅する青信号を小走りで駆け抜ける。


すれ違う人々は、疲れた目を擦りながらぼやけた街灯を電線に浮かべ、昨日と同じステップを刻む。

スマホで疲れた首をゆっくりと伸ばすように反ると、ちらりと星が目に飛び込んできた。
冬が始まろうとしている。


また一つ、
見知らぬ曲がプレイリストに加わった。

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