稲葉 遥|Haruka Inaba

企画と編集。日々の思考を綴ります。

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最近の記事

じぶんを愛するということ

解決しなければならない問題はじぶんの中にある。 じぶんの心の穴はじぶんにしか補うことはできない。 そうわかっていてもそれに気づくことや、理解すること、ましてやそれを受け入れることはとてもむずかしい。それも悲しみや苦しみの渦中にいればより一層。 だってわたしたちには理不尽が多すぎる。月に一度訪れる下腹部の激痛、毎日変化するホルモンバランス、突然容赦なく心身をぺしゃんこにしてくる低気圧、休みたいのにバチっとキマり続ける自律神経。正直生まれてから一度も心が身体に追いついたことな

    • 風の導く方へ、変化の中で

      生まれて初めて髪を染めた。 結論から言うと、髪を染める経験は自身の人生において、よい経験のひとつとなった。 比較的厳しい家庭で育った私は、美容整形など言語道断、エステや脱毛、ピアスを開けること、髪を染めることすら一切できなかった。社会人になってからその縛りはかなりゆるくなったのだけれど、大学入学の際、かなり大きめなバトルをした上で決めた「一生黒髪(兼ノーピアス)宣言」は半ば意地のようになり、それからと言うもののずっと外見の清純さ(書いていて寒気がする…)を守って生きてきた

      • 写真展『まなざし』 を終えて

        私が写真を日常的に撮るようになった原点は祖父にある。記憶の中の祖父はいつでもどこへゆくにも、自宅の中でさえカメラを持っていた。祖父はとてもマメで厳しい人で。だけど、本当に愛にまみれた人だった。祖父は、撮った写真はフィルムだろうがデジタルだろうがすべてプリントし、アルバムに貼り付け、その隣に、写真を撮った日付とその日の出来事、それについて思ったことなど、必ず一言添えてファイリングしていた。教師というなりわいであったこともあってか文章を書くことが(書く字も含めて)とても上手な人で

        • 労働について

          「労働は、ただ労働でしかない」とわたしは思う。 つまり労働は、賃金をいただく手段であって「仕事」でもましては「使命」でもない。自己肯定感を高める場所でも社会的地位を生み出す場所でもない。 ただこれは好きなこと、納得した生業を労働としていないにんげんの意見だ。就職活動に失敗し、流れ着いたこの場所に這いつくばって丸3年。「1秒でも早くおわりますように。」と何度もそう唱え会社の扉をくぐっているにんげんの意見。こう考えてしまうのは、じぶんのほんとうのこころを守るための本能みたいな

        じぶんを愛するということ

          記憶にはいつもミュージアムショップがある

          名古屋市科学館のミュージアムショップが閉店する。 それは寝耳に水の出来事だった。 名古屋市科学館のミュージアムショップとの出会いはもう二十年以上前のことだ。まだ旧館だったころ、入り口付近に設けられていたミュージアムショップに売られているものはどれも魅力的だった。幼少期のわたしはそこで散々迷った挙句、ぐねぐね曲がる蛍光黄色の星型鉛筆を祖父に買ってもらった。さっきまでプラネタリウムでみていたお星さまを手に入れたみたいでとってもうれしかった。それ以来、科学館を訪ねたら最後にミュ

          記憶にはいつもミュージアムショップがある

          うららかな春の日と微熱

          うららかな春の日。 おひさまのよくあたるベランダで、真っ赤なまあるいりんごを半分だけ切ったものを食べて、ガラスの花瓶に活けられたお花を愛でている。 うららかな春の日。 時計は午前11時を指し、カレンダーは火曜日だと教えてくれた。 ど平日の暖かな日にわたしは風邪をひいた。 身体を壊すように、心を壊すことがある。それはいつも突然で、兆候もなく、知らないうちに自然に元には戻れないまでに崩れてゆく。 多分そんなこと全ての人にあることだし、その壊し方や程度を比較するのはナンセ

          うららかな春の日と微熱

          口下手にこそ花束を

          花が好きだ。 道端に咲く花も、何かの記念日にもらう大きな花束も、お別れのとき身体のまわりいっぱいに並べられる花たちも。 お花は強くて優しい。ただそこにある、だけなんだけど。誰の期待を受けなくたって時が来たら咲いて、成長し続ける。健気で、努力家で、謙虚で。花や植物のように生きたいと日々思っている。 今日は旅先で出会ったお花にまつわる素敵な光景を共有したい。 2019年9月。わたしは約一週間イギリスへひとり旅に出た。そこでの一週間は、本当にたくさんの刺激と発見があったのだけ

          口下手にこそ花束を

          最愛の人へ

          「おばあちゃんはきょうちくとうの花がだいきらいなんだよ。」 毎年やってくる夏休みの課題。中でも最大にして最強の敵は読書感想文だった。当時、文字を書くことも読むことも好きではなく、むしろ嫌いだった私が、こんな風に読書感想文の最初の一行をしっかりと覚えているのには理由がある。 夾竹桃は夏のちょうどお盆前くらいに満開を迎える紅色の花のことだ。そして祖母の出身、広島市の市の花でもある。齢85歳、広島市出身の祖母。彼女は原爆の被爆者だ。その話はまた別の機会にするとして、そんな祖母が

          食べることは、生きること

          「腹が減っては戦はできぬ」とはよく言ったものだ。人間、何をするにしても空腹の状態では十分に力が出せない。 同じようにイギリスの作家、バージニアウルフも言う。“One cannot think well, love well, sleep well, if one has not dined well.” -ちゃんとした食事がなければ、考えることも、愛することも、眠ることも、十分にはできない。-と。 そして自分もまた、「食べることは強力な魔力にかかることだ」と幼いころから

          食べることは、生きること

          目が覚めると世界が半分になった《後編》

          《前編を読む》 どん底からわたしを救う光はある日突然現れた。 わたしを救い出したのは、中学高校時代の同級生。彼女はこの病院で栄養士をしていた。 入院してから一週間が過ぎた頃、私の入院を聞きつけた彼女が仕事終わりにお見舞いに来てくれた。学生時代、生徒会長をしていたこともあり(私は謎の使命感と責任感で同学年の生徒の顔と名前はだいたい覚えていた)お互い名前と顔は知っていたが、ちゃんと話しをしたのはこのときが初めてだった。私の母校は東海地区のミッション系の女子校で、いわゆる勉学

          目が覚めると世界が半分になった《後編》

          目が覚めると世界が半分になった《前編》

          2018年も終わりに近づく、12月28日。 仕事前にふらっと訪れたかかりつけの眼科で医師が深刻な面持ちでこういった。 「今すぐ大きな病院へ行ってください。今日中、いや、あと30分以内に。すぐ手術してください。紹介状急いで渡しますから。」 二週間ほど前から見え辛かった左眼。仕事の疲れか気のせいでしょと思っていた我が左眼はそのとき網膜剥離を起こしていた。 かかりつけ医にそう告げられ有無も言わさず大きな大学病院に運ばれた。まさに【超特急】の対応で問診を受け、車椅子に乗せられ

          目が覚めると世界が半分になった《前編》