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じぶんを愛するということ

解決しなければならない問題はじぶんの中にある。
じぶんの心の穴はじぶんにしか補うことはできない。

そうわかっていてもそれに気づくことや、理解すること、ましてやそれを受け入れることはとてもむずかしい。それも悲しみや苦しみの渦中にいればより一層。

だってわたしたちには理不尽が多すぎる。月に一度訪れる下腹部の激痛、毎日変化するホルモンバランス、突然容赦なく心身をぺしゃんこにしてくる低気圧、休みたいのにバチっとキマり続ける自律神経。正直生まれてから一度も心が身体に追いついたことなんてない。じぶんではコントロールできない身体とそれに疲弊した精神を抱えながら二十七年が経過した。

これが生む最大の苦しみは、この感覚や不調はじぶん以外には分かり得ない、ということだ。持てる身体機能が違う異性との間ならなおのこと。それに対して、もう大人なのだから、自分のことくらい自分でコントロールしなよ、気合いが足りないんじゃない?と言われるのはもっとしんどい。そんなことくらいじぶんがいちばんわかっているし、それができるならそうしている。そっちの方が絶対に楽だもの。じぶんでもどうしていいのかわからない。それでもこのわからなさを抱えてただ生きるしかないのだ。

とは言いつつも、ずっとその状態でいるのは辛い。だから比較的元気なときに思考し、元気じゃないときに実践して得たライフハックがある。

じぶんがどうやってじぶんと距離を取ればいいのか。BADなじぶんもじぶんとして赦し愛してあげることができるのか。どうすれば今のじぶんの状況を他者にできる限りわかって(これは理解ではなく認知という意味で)もらえるのか。それは、無理なときは無理!と言うこと。苛々しているときは苛々している!と伝えるということ。

何かの事象に乗っかって八つ当たりしたり(これわたしよくやっちゃうんだよね。普段気になっている事象を引っ張り出して苛々と合体させるやつ)、なんで無理なんだろう?怒っちゃうんだろう。受け入れられない私が悪い…(内省。これもよくやってしまう)とか考えず、無理!しんどい!と感情をストレートに伝えること。プライドとか思考とかとりあえず横に置いてシンプルに他者に甘える。これしかない。

どうして悲しかったのか、苛々したのか。じぶんの穴を観察したり、本質に迫るのはちょっと元気になってからでいい。理不尽を抱えながらも生きていること、それだけで素晴らしい。加えて、毎日ちゃんと起きて仕事に出かけて家事もしてにこにこしてる人は本当にすごい。(私はそれができず自営になったので…)

だからまずはじぶんをじぶんで赦してあげてください。じぶんを愛してあげてください。じぶんのことパワハラしないでね。

すぐにはなかなか難しいことだけれど、一緒になんとかやり過ごして乗り越えてゆこうね。

ps.
それからこれは自身の実存ですが、わたしは他人のことなんて一生わからないし、わたしのことも他人は一生わかり得ない、と思っています。これはすごく苦しいことだけれど。でもそれでもわかりたいと思い続けている。想像したいと思っている。ぶつかりあうのはじぶんのことを他者にわかってほしい、他者がじぶんにわかってほしいと思うから起こることなのでとても尊いことだと思います。ただそれは互いにわかりあえないねってことを確認するだけの作業なので疲弊しちゃうのも事実。理解もできないし、理解もしてもらえない。それでもあなたを愛している。それでいいんじゃないでしょうか。

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