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労働について

「労働は、ただ労働でしかない」とわたしは思う。

つまり労働は、賃金をいただく手段であって「仕事」でもましては「使命」でもない。自己肯定感を高める場所でも社会的地位を生み出す場所でもない。

ただこれは好きなこと、納得した生業を労働としていないにんげんの意見だ。就職活動に失敗し、流れ着いたこの場所に這いつくばって丸3年。「1秒でも早くおわりますように。」と何度もそう唱え会社の扉をくぐっているにんげんの意見。こう考えてしまうのは、じぶんのほんとうのこころを守るための本能みたいなものなのだと思う。

大学時代、就職活動が始まるもっと前。
「あなたは(コピー)ライターに向いていない」当時コピーライターを目指していた私が恩師から言われたその言葉は、恥ずかしながら5年以上経った今もなお、鉛のように私の心に重くのしかかっている。そして、その言葉に呪いをかけられたかのように、昨年私は制作者というフィールドを降りることを志願し、編集者というフィールドで生きている。

この三年。日々業務をこなし、すり減り、なんとか獲得した休日でうるおい、ジェットコースターみたいに過ごしてきた。ただそんな落差にしんどさを覚えつつも、最近は休日にふらっと旅に出たり、会いたい人や愛する人と時間を重ねる中で徐々に自分のやりたいこと、つまり人生において大事にしたいこと、貫き通したい信念、譲れない物事みたいなものが明瞭化していっている気がしている。具体的にいうと、しんどいがベースの業務の中でも、自分が気づかないうちに熱中してしまっている案件や事象があって、それを丁寧に抽出するとじぶんのやりたいこと、生きたい人生が見えてくるのだ。そういった副産物が得られることは当時就活に失敗し、絶望の中にいた私には想像できなかったことだから労働には感謝もしている。

さて、その抽出したもの。具体的にどんなものかというと、「愛する人(じぶんも含めた)が個として尊重され、誰ひとり嘘をつかず、心から笑え豊かになれるコミュニティやコンテンツを創出すること」。その時間や事象が私のやりがいで、生きたい生き方なような気がする。

そして、「湖畔のそばで豊かに過ごすこと」。これが今の私の将来の夢。

風の重さに身を委ね、木洩れ陽に目を細め、鳥の声に耳を傾ける。まぶたを閉じておひさまをいっぱいに感じる。その側にコーヒーの香りとアコギがあれば完璧だ。

「あなたはライター(制作者)に向いていない」

その言葉に傷つき、今もなお傷ついているのは、当時もそして今も、じぶんは言葉を綴ること、うたを歌うこと、音をつなぐことを心から愛しているからだと思う。それらは物心ついた時から愛していて、じぶんの生活の、からだの一部みたいなものなのだ。生み出すことはくるしいけどその何倍も気持ちいい。だからこれからも生み出すことは切っては切れない存在で、愛すべきものなのだ。ただその行為が生きてゆくための糧になったことはない。そうなれば一番いいのだけど、その術は今のところまだ見つかっていない。きっと見つかったときがじぶんの人生が報われた時で、そのときはきっと湖畔のそばで豊かに生きているのだと思う。

そしたらまた労働について、もしくは仕事について、生業について、書きたいと思うのだろう。

それまでもう少しここで頑張ろうと思う。

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