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風の導く方へ、変化の中で

生まれて初めて髪を染めた。

結論から言うと、髪を染める経験は自身の人生において、よい経験のひとつとなった。

比較的厳しい家庭で育った私は、美容整形など言語道断、エステや脱毛、ピアスを開けること、髪を染めることすら一切できなかった。社会人になってからその縛りはかなりゆるくなったのだけれど、大学入学の際、かなり大きめなバトルをした上で決めた「一生黒髪(兼ノーピアス)宣言」は半ば意地のようになり、それからと言うもののずっと外見の清純さ(書いていて寒気がする…)を守って生きてきた。生まれつきアトピー性皮膚炎を患っていて超敏感肌であるということも踏み出せない要因のひとつだった。いつも化粧品をはじめ、シャンプーや基礎化粧品を選ぶのもやっとで、このごろ毎日お世話になっている手指消毒用のアルコールも「痛ったーい!」といいながら手にかぶれ傷を増やしている。

そんな私が今回髪を染めるのに踏み切ったのは、「髪染めたいんだよね〜」という私に根拠なく「絶対似合うよ!」と言った友人知人たちの言葉。その言葉に全乗りしてみようと思った。つまり、ノリで染めた。

当日はひさしぶりにドキドキしながら美容院へ向かった。担当してくれている美容師さんは私が中学生の頃からお世話になっていて、いつも的確なアドバイスと完璧な仕事ぶりを発揮してくれる。絶大な信頼を置いているプロだ。

「二回のブリーチ(髪から色素を抜く作業)をしてからカラー入れるね〜」と説明を受け、いざ。

あのね、ブリーチってめちゃ痛いんだね…肌が激弱なのもわかってくれているので頭皮につかないギリギリでやってくださったのだけど、一回目のブリーチはなかなかに痛く挫けそうになったね…なにはともあれ何とか乗り越え、シャンプー、二回目のブリーチ(なぜか二回目は楽勝だった)、シャンプー、カラー(こちらに関して言えば無痛)とテキパキと進んでゆく。徐々に自分の髪の色が変わってゆくのはとてもたのしく不思議な体験だった。色を入れるまで意識したことがなかったのだけれど、髪を染めるのは写真の現像作業と似ている。この色を抜いて、この色を入れるとこうなるから…と考えていくのは普段自分がやっていることと非常に近く面白かった。

そんなこんなしているうちに完成。それがこちら。

染めたばかりの様子

最初に鏡をみた感想は「わ、別人。誰だこれ。」という間抜けなものだった。正直こんなに印象が変わると似合っているのか似合っていないのかもわからない。はて???という感想で、それでも何だか、いや、とってもうれしい!という気持ちは確かだった。

街を歩くとき背筋を伸ばして歩きたくなったし、朝、鏡をみるたびちょっとうれしくなった。突然、自己肯定感が爆上がりしてしまった。そうか、髪型を変えたり、お洋服を新調することは、明日を生き延びるためのエンジンになるのか。この年でようやく「おしゃれ」の真髄に触れたような気がした。TPOさえわきまえていればどんな髪型、服装をしたってかまわないとおもう。身だしなみさえ心得ていれば、おしゃれは個人の自由なので…という思いは今も変わらない。それでも時間や労力、ときに自身の体調を差し出して得た自分は、自分と一生付き合ってゆかなくてはいけない自分を肯定できる自分になるということなんだ。

今はシルバーに染めた髪がちょっとずつ柔らかなゴールドへ変化してゆく過程を毎日たのしくみている。この過程、革の経年変化みたいで愛おしい。丁寧に髪を洗い、今までより多めにオイルを塗り、乾かす。ドライヤーの時間は言われていた通り、黒髪の時と比べ、二倍くらいの時間がかかっている。それでも愛おしくて仕方がない。育成している気持ちに近い。しばらくはこの時間のおかげでたのしく夜を迎えられそうだ。

染めた日から三日後の様子

自身の自身に対する評価だけではなく、他者の反応も面白い。「一生黒髪宣言」をしていたわたしが突然ハイトーンの髪色になるわけだからつっこまれないわけがない。このツッコミが人によって多種多様で面白い。そしてありがたいことに自分が思っていたより他者評価は好感触で、たくさん褒めていただけて(ありがとう)単純にうれしい。

高校生の頃からずっと髪に色を纏いたくて、いつかそのときがきたら金か銀!と思っていた。今回それを十年越しに実現することができた。できない(身体的原因も含め)と思っていたことができたこと。この経験ができたことは大きい。背中を押してくれた方々ありがとう。たかが髪の色、なんだけれどお恥ずかしながら毎日ときめいています。

たまにはノリ、に全乗りすることも悪くない。人生まだまだ長いのだから。たとえ回り道になったとしても、風の導くまま歩く時があってもいいのかもしれない。そのときやれなかった(やらなかった)こと、いつかまた選択の機会が訪れたなら今度はやってみても(選びなおしたって)いいのかもしれない。わたしたちは変化の中で生きているのだから。

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