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食べることは、生きること

自分が食について、そして食事の時間について日々考えていること、思ったことの覚書。

 「腹が減っては戦はできぬ」とはよく言ったものだ。人間、何をするにしても空腹の状態では十分に力が出せない。

同じようにイギリスの作家、バージニアウルフも言う。“One cannot think well, love well, sleep well, if one has not dined well.” -ちゃんとした食事がなければ、考えることも、愛することも、眠ることも、十分にはできない。-と。

そして自分もまた、「食べることは強力な魔力にかかることだ」と幼いころから信じている。

思えば食べることは私を幾度と救ってくれた。

勝負の日の朝、胸いっぱいの中かろうじて飲み干したコーヒー、真夏の深夜、もう限界!と仕事を放り投げ食べたビールと餃子、大失恋した日、大泣きして食べたミスタードーナッツのドーナツ。すべての食が今の私を構築している。

今でもコーヒーを飲むと自然に心が穏やかになるし、行き詰まった蒸し暑い日には餃子をビールで流し込みたくなるし、ポン・デ・リングを食べるとあの日のほろ苦い思い出が頭をよぎるから、私の中にその味も食事の時間もしっかり在るのだろう。食事はただ栄養やエネルギーを蓄えるためだけでなくそんな「思い出装置」的な役割も担っていると思う。

そしてもうひとつ、食事が担う大事な役割。それは「セーブポイント」としての役割。ご飯を食べた後ってなんとなく元気になる。プラスの塊がくつくつと身体の中に湧き上がる。そしてそれはじーんと頭のてっぺんからつま先まで染み渡ってゆく。冬の日の朝、毛布に包まっているときの安心感や暖かさのような、夏の暑い日にシュワっとはじけて身体中に染み渡る炭酸水のような安定感と爽やかさ、そして無敵感。底なしの悲しみに蓋をしてくれ、時に癒してくれる。それが持続する間、少なくとも私は、無敵で、ハッピーな人になる。なんでもゆるせるし、なんでもできる気がする。

食べるものはなんでもいい。高価なものや、栄養価が完璧に計算されたもの、身体に優しいものという縛りはなくて、とにかく「食べること」「食ベる時間をもつ」が大事。(矛盾してしまうが、もちろん栄養たっぷり!おいしい!だとなおよい。そしてこれを言ってはおしまいなのだけれど、おいしいを気兼ねなく分かち合える人がいれば、もうそれはパーフェクト。)

「食に貪欲だよね」という言葉をもらったことが今までに何度もある。その言葉に対してなんと返すのが良いのか最適な答えがいつもわからない。結局今でもその言葉に正しく応えられる言葉は見つからないままだけれど、私にとって食べる時間を持つことは、生きること、生き延びる手段なんだ、としか言えない気がする。(「貪欲」という言葉に対しては、褒め言葉だと思っていて、あいもかわらず不器用で遠回りばかりだけれど、生きてしまうならとことんどこまでも貪欲であり続けたいし、貪欲さを日々洗練させてゆきたいと思っている。)

だからこれからもたくさんのいただきますとごちそうさまを重ねたい。豊かな食を持ちたい、豊かな人生を重ねたい。

そしてこれを読んでくれている方にも伝えたい。悲しいことがあったとき、どうか何か口にしてほしい。できればあたたかいものがいいな。それから布団に潜り込んで目を閉じて深呼吸をしてほしい。そうすればじきに、強力な魔力にかかるから。きっと大丈夫だよ。


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