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思考をアウトプットする意味と価値 -自分の思考を大切にする-

こんにちは、hiroです。

突然ですが、私はこれまで自分の考えをアウトプットする意味を見出せませんでした。いろいろな人がいろいろなところで、アウトプットは大切だと言っているし、そのメリットも理論的には理解してるつもりです。しかし、これまで何度もチャレンジしてみましたが、1回も継続したことがありません。その理由は恐らく次の3つです。

①極度のめんどくさがり
②極度の飽き性
③極度に受動的

元々、考えることは好きでしたが、自分が考えて楽しければそれでいいというタイプな上、上記①~③のような性格です。やる気を出してみても続かない。そもそも思考をアウトプットするところまでたどり着かないのです。


得意な文章でダメなら、好きな写真で表現してみようと思ったこともありますが、それも続きませんでした。何かを人に対してアウトプットするということをどうしても継続できないのです。

方法を変えてダメなら、性格を変えるしかない。そう思って人と積極的に関わろうとしてみましたが、致命的に受動的な性格のため、人から何かを頼まれれば頑張るけれど、自分からは何もしない。いつもそのような状況で終わります。

これについてずっと悩んでいて、自分には無理だろうと半ば諦めていたのですが、先日衝撃的な出来事がありました。

思考をアウトプットするとは
自分の思考を整理し
記録することである

この発想によって、アウトプットの意味が自分の中で180度変わりました。私はこれまで、思考のアウトプット=他者に対する行為だと思っていましたが、そもそもその前提が間違っていたのです。

**アウトプットとは、自分に対する行為である **

アウトプットは他者を対象にする行為ではあるけれども、行為そのものは自分に対するものである。思考のアウトプットをこのように意味付けられた結果、相乗的にいろいろな物事を継続してできるようになりました。要するに、これまではアウトプットを自分の行為として適切に意味付けられていなかっただけだということです。アウトプットすることの自分にとっての価値を正しく理解できていなかったということですね。

何に価値があると考えるかは人によって異なります。それがお金という人もいれば、時間あるいは社会貢献という人もいるでしょう。それが私にとっては思考が広がること、深まることだった、ただそれだけの話です。思考のアウトプットを自己に対する行為として捉える。それに気付くのに、とても長い時間がかかってしまいましたが、それが分かった以上、こうしてアウトプットすることが楽しいとすら感じられます。

何かをするということには、
必ず意味があり、価値がある。

当たり前のことですが、私たちは意外とこの事実を忘れて生活しています。忘れてしまうほど忙しいだけなのかもしれません。まずはその忙しいという事実を留保し、1つ1つの自分の行為の意味と価値を改めて考え直してみることから始めたいと思います。

この記事が何の役に立つか分かりませんが、もし物事が続かない人、表現が苦手な人がいれば、参考にしてみて下さい。


↓ 思考のアウトプットにおすすめの本です。


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