見出し画像

おためし「ふるさと納税」政活(前編)

2024年は失敗覚悟でちょっとかわった活動してみようということで、賛否両論ある制度「ふるさと納税」に注目してみました。

念のために、ご存じではない方のためにさらりとおさらいしましょうか。「ふるさと納税」とは、日本国内の地域を任意に選んで納税できるような"感じ"になる仕組みで、当初は「生まれ故郷などに納税し、恩返しできる」イメージで作られた制度です。

ただ、選んだ地域に納税(正確には寄付)したぶん、その人が本来払うべき所得税や現住地に入る住民税は減額されてしまいます。そのため、「地域住民がみんなでお金を出し合って、みんなのためになることを実現する」という税の意義や共同体の基本を否定する制度となっています。

もっとも、日本は国策として都市一極集中を進めてきた経緯があり、見捨てられてきた地方へのケアが必要なのは確かです。企業が払う法人税による収入が都市に偏り、都市はますます便利になって若者を中心に人が流入する一方、地方では過疎化・労働力減少が加速してきましたからね。

「後手」に回り続ける日本政治の象徴

その問題は明白であるにもかかわらず、根本治療はせずに、地方に対して表面的に良い顔をしようと作られた制度がふるさと納税です。制度創設当初は返礼品競争が過熱することまでは想定していなかったようですが、結果的に現状は「魅力的な返礼品を用意して他の地方と競い、税を奪い合え」というところに落ち着きました。

名前も知られていない地域や、労働力がなくてがんばりようもない地域はこの税の奪い合いにおいて絶対的に不利ですから、実態としては都市部を応援し、山間部などをはじめとした過疎地は死ねと言っているようなものです。

もはや「殴って、殴って、血を吐き全身が紫になるまで殴って、死にそうになったら水を飲ませてあげる。ただし、明るく元気な声で"お水をください!"と言えばね(笑)」というような状況にされているんですが、これが「地方に思いやりのある政治」みたいに誤解されて今に至ります。

ただ、都市一極集中が常に悪いというわけではありません。

西洋の侵略を恐れて近代化を目指した明治維新の直後とか、戦後の焼け野原からの復興の時代に、発展の"核"となる地域を作り、国全体を引っ張るという考えは妥当なものだと言えます。ただ、「いつまでやるんだ」という話です。

さすがに最近はあまり耳にしなくなりましたが、かつては「資源のない日本は、アジアのハブ・港として流通の要となろう。目指すはシンガポールだ」などと言ってさらなる一極集中を推し進めんとする政治家たちがいました。自民党にも、民主党にもです。

シンガポールの面積は小さく、東京23区より少し広い程度。しかし1人あたりのGDPは日本の2.4倍もあり、富裕層が多いイメージがあります。良いところだけ見れば「シンガポール、スゲー」となりますが、一党独裁で、報道や言論の自由も制限されるこの国は「明るい北朝鮮」と呼ばれます。日本は、きっちりシンガポールに寄せてこられたことがよくわかりますね。

そして、都市化と一極集中は人口減少につながります。

日本が目指したシンガポールの出生率は今や、1.05です。(2022年)

この数字を見せられると、つい「5%増か……わずかだな」と思うかもしれませんが、違いますよ! 女性ひとりが生む子どもの数の平均値ですから、2.0を維持しないと人口減少社会になります。"1.05"はその約半分であり、腰が抜け、顎が外れるレベルの低出生率です。

おっと、顔が青いですね。お水飲みますか?

もっともシンガポールの人口はそれでも増加傾向にあります。なぜかというと、シンガポールは移民の国であり、全人口に占める移民の割合は43.5%もあるからです。

勘の良い方は、ここでピンと来たのではないでしょうか。近頃、政治家が「日本をシンガポールに」と言わなくなった原因のひとつは、日本国内における外国人差別感情と排外主義の高まりによって、移民政策の推進を口にできなくなったことにあります。

官僚機構は前例踏襲で古い古い政策をひたすら続け、指揮・監督の責任を負う議員たちは黙って寝たまま。失敗すれば批判されるが、なにもしなければ選挙も安泰だと、夢の中でただ時間が過ぎていくのを待っているのが日本政治の現状であり、基本的にはもうダメです。

もちろん、日本政府はまったくなにもしていないというわけではないんですけどね。

日本政府は、顔が紫色の地方に対して「基地や原発を作れば仕事が生まれるぞ」と囁きます。「それなら……」と受け入れる地域住民のみなさんの選択をここでは否定しませんが、基地や原発の危険性がなくなるわけではありませんから、周辺住民、特に若い世代がその地域を離れるのは当然の選択であり、地方の過疎化はより深刻になります。

もちろん、それでも地方が急に消失したりはしません。今、政府は「使用済み核燃料の受け入れ先」という交付金つきの"返礼品"をオススメしていますからね。

ふるさと納税の目的外使用

そこで考えたのが、今回のテーマとなる「ふるさと納税の悪用」とでも言うべき目的外使用です。もはや返礼品をもらって、高所得者ほど得をすることが目的となったふるさと納税制度ですが、任意の土地に納税できるというのは国民ひとりひとりが主体となって実行する一種の政治活動のようなものにできるのではないかと思ったのです。

具体的には、経済的理由で自衛隊基地や米軍基地、原発その他の危険施設を受け入れる選択をしてしまいがちな地域へのふるさと納税です。

とはいえ、ここでは安全保障政策やエネルギー政策を頭ごなしに否定するわけではありませんし、逆に肯定するわけでもありません。考え方や価値観は人それぞれでいいんです。ただ施設建設・存続の賛否とは別に、それらが高い危険性を持つことからは目を逸らさない必要があります。それには賛成も反対も、右も左も関係ありません。

「基地は必要」「原発は必要」という考えを持つ人は、国全体のためにそれらを受け入れてくれた地域に感謝と負担をかけるお詫びの気持ちを込めて納税してみるのはどうでしょうか。

逆に「基地は不要」「原発は不要」という考えを持つ人は、経済的に困窮して"危険施設の受け入れ"が検討されるような地域に納税することで危険施設の受け入れという選択を少しでも遠ざけるのはいかがでしょう。

noteのような言論プラットフォームでこういうことを書くのは少しおかしいかもしれませんが、あーだこーだと言葉にするだけでなく、なにかできることがあるなら、やってみようというわけです。

次回はそういった前提を踏まえて、これまでスルーしていた「ふるさと納税」を試しにやってみたレポートをお届けします。

(つづく)









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?