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雨上がりのカライトソウ|ダブル・コンティンジェンシーとその経路をたどること

昨夜は雨。なんなら今朝も降っていたけれど、見てください。朝起きたらカライトソウの新芽の部分、まだ開ききっていない葉のぎざぎざ部分の先端に水滴が乗っていました。きれいですね。零れ落ちそうと見ていたらそのとおり、風が吹いていくつか流れ落ちていきました。開ききっていない新芽に、いまだけに見られるものなのかもしれません。調べてみると、「溢液現象(いつえきげんしょう)」というようですね。

水滴を見ていると、液体力学の美しい形を思い出します。

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gif動画:wired|ミルトン・ヴァン・ダイク賞を受賞した「シャボン玉」

流体力学を見ていると、「まったく別様だったものが、ある条件を満たしたときに偶然現れてくる形がある」という理論を思い出します。これを数理学的に理論化したものが量子力学で、哲学的に理論化したものが社会システム理論なのかなと私は理解しています。(大学時代は、社会システム理論を扱うゼミにいましたが、もちろん、専門家ではありません。量子力学についてはまったくの想像です。この先で記載している内容も含めて、どうかためらわずに、コメントください…)

「コンティンジェンシー」という用語をご存知でしょうか。日本語では「偶有性」と呼ばれる、社会システム理論の用語です。社会システム理論はとにかく難解で読解には苦労するのですが、私の理解では「ある形に成る(秩序が成立する)ための不確実な相互(互いがどのように動くのか規定することが出来ない)状況」と認識の輪郭を与えています。

例を出してみます(私は理論が提示されたとき、いつも例を考えながら理解を試みます)。過去、光は波動だと考える派と、粒子だと考える派でずっと答えが出ないままでした。近年に出された結論は「観測条件によって波動か粒子か規定される」です。つまり、光はある条件下でしか光自体の形を問えないのです。あるときは波動に成りで、あるときは粒子に成るなのです。けれど、その条件内容が不確実に規定されるため、どちらかであるとはっきり予測はつけられない。

もうひとつ例を出してみます。ビッグバンの誕生として、考えられていること。ビッグバンのはじまりは、光ともエネルギーとも呼べない「なにか」の物質が集まり、衝突しあって出来たと言われています。衝突を繰り返し変化しながら(つまり、形に成ったり解けて成くなったりを繰り返しながら)いまという条件のもとでは銀河という形に成っているという説です。これによると、明確にビッグバン以前と以後は区別できません。考え方によっては、たまたま今は銀河という形に成っているけれど、いつか解けて銀河で成くなることだって、考えられるということです。

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動画: GIFER

こんな風に言うと、壮大なロマンのような話ですが、これを宇宙から社会にもってくると、コミュニケーションの秩序の話になります。友だちと話していて「今日はお互いの気分や話したい内容がかみ合って、盛り上がったな。いい雰囲気に成ったな」とか、「雑誌を読んでいて、ある作家の展覧会に行きたく成ったな」などです。いずれも成らない可能性だって、十分にあった。たまたま、成った。別様の可能性も有り得るなかでその形(秩序)に成った/成らなかったということが「コンティンジェンシー」の意味だと、理解しています。

私はこの日記のモチベーションを最初に書きました。

そういう意味では、私はある形に成った、もしくは成らなかった瞬間に輪郭を与えてみたいし、その事象を覚えていたい。ということなのかもしれません。

コンティンジェンシーは欲望について考えるときに助けになってくれる理論なのかもしれません。シュレディンガーの猫とチシャ猫が同じものであるように、それを望めば有るし、望まなければ無い。私がこのnote書きたいのは、望んだものが叶ったか叶わなかったかという結果ではなく、どこからそのように成ったかです友達と話をしていて、いい雰囲気に成ったことも覚えておきたいけれど、それよりも「よい雰囲気を構成した要素や条件は何だったのか?その時私は何を考え、もしかしたら気を配り、状況はどうだったのか」という、いい雰囲気につながった事項や条件のほうを意識してみたい。そのときいい雰囲気に成ったこと、それは同時に、そうではなかった可能性もあるということなのだから。コンティンジェンシーの考え方が示すことは、問いは、「結果よりも出発点にある」ということなのかもしれない。

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