クチナシ|回復してきた街の機能と生け花に躊躇した話
今日スーパーに買い出しに出たら人の出はもうすっかり戻ったような賑わいでした。今月中には非常事態宣言も解除されるだろうし、緩やかに街の機能も回復してきたようです。一番そう感じたのは、再開していた花屋さんを見かけたときでした。非常事態宣言が出るまえから早々に閉じていた花屋さんが時間短縮で再開されたのでした。植木鉢で苗を育てる前まで、わたしはよく切花を買ってきて花瓶に挿していたので、せっかくだから久しぶりに切花を買って帰ろうかなと寄ってみて、結局は切花ではなく、店先に並んでいたクチナシを買っていました。
そのクチナシは沢山ついている蕾のなかで一輪だけ白いきれいな花を咲かせていました。家に着いてから鉢の間に並べてみたら、上品な白の色がとてもきれいで、これを一輪挿しにしたら綺麗だろうという思いにさせました。私はこれまで苗の花を育てたことがなく、庭先に咲いた花を切って生けることに憧れていたものの、実際にそのようにしたことはまだありませんでした。隣に置かれた紫陽花もとても綺麗に咲いているのですが切花にしようなんて考えは浮かびませんでした。試しに咲いている紫陽花の花をひとつずつ触れてみたのですが、やっぱり切ろうとは思わなかった。けれどこのクチナシは引きつけて、力があり、存在感が強かった。鋏をとりに行って戻ってきたとき、とても緊張しました。本当にこれで良いのか躊躇いました。
クチナシの剪定について調べてみると、クチナシの花は咲き切ったあと伸びた枝に花芽をつけるので、一度切ってしまうともうその枝に花は咲くことはないことがわかりました。一つの枝に大きな新芽を複数つけますが、すぐそばに芽がついていましたので、一輪挿しにするならその新芽がついたまま切る必要がありました。ここに咲いていてすでにこんなに綺麗なのに。ここに置いておいたら、来年もまた花を咲かせてくれるのに。けれど一輪挿しにしたらきっと本当に美しい。いろんな想像が頭をよぎって、結局は枝を遡って、根本近くで切りました。
過去にいちどだけ、華道の体験に参加したことがあります。本屋さんのなかで開催されるようなイベントでした。そのときの先生は、花を生けるというのは、そこに一瞬でも「生」を留めるためなのだ、という話をしていました。「目に留まる存在」になることで、そこに一瞬を閉じ込める。
クチナシは香りが強い花です。切花にして半日たついまも、部屋中に行き渡るほど甘い香りを残します。花は「生」と同時に「一度だけ」のことを教えてくれる。そういう力があるのだと思います。
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