笹原宏之『日本の漢字』(岩波新書、2006)

「日本の漢字」を扱う軽い読み物と見せかけて、実は「東アジアの漢字ネタ総網羅集」という膨大なかつ読みやすい面白い本だった。オススメ!あとがきも秀逸。数年前までも、「あとがき愛好家」の心情がまったく理解できなかったけれど、最近になってやっと自分もなりつつある気がする。ともあれ、なかなか根気強く本を読めないぼくがすっと読めたってことは、相当読みやすい保証マークつけてもいいくらいなんですよ。


「自分の周りの国のことばと漢字は、発音、意味とともに理解できる、少なくとも辞書を引けば理解できる、それは教養というものであろう。さらに、自らの日本語の存在が当たり前になっているとすれば、それも自覚的に、かつ客観的に見つめ直すしかない。そうすれば、日本の漢字は、他国の漢字とは異なる存在であり、それを日本の文字として尊重するとはどういうことなのか、身をもって実感できるはずである」(202頁)


「しかし意味は分からないが文字の醸し出す雰囲気だけを楽しむことは、こと漢字の場合には、本来持ち合わせていた語を表すための表意性が失われてきたことにつながるのではなかろうか。漢字を固定したものととらえ、何かで決められた漢字を「答え」としてたくさん覚えたり、パズルにして楽しむといったことによる空前の「漢字ブーム」が到来していると言われて久しい。日本語への関心もマスメディアを通じて高まってきた。その一方で、本を読まなくなり、文字離れが加速しているという。漢字を文脈から切り離し、一つの「正解」だけを知っているかどうかにとどまっていないだろうか。漢字のイメージ偏重が、それらの行き着く果てではないことを望みたい。
 また、茨城県にあった勝田市はしかべ町は近年さらに「ひたちなか市はしかべ」と変えられた。このような現在の一見やさしい表記の地名から、私たちは過去にその地に住み、そこに名付け、意味をもたせた先人の思いについて何を読み取れるであろうか。子供の名前を考えるときになってやっと漢字を自覚的に扱おうとし、結局イメージのみを重視した命名を行おうとするのを見ると、外国人のTシャツを笑うことはできなくなるのではなかろうか。
 日本の文字は、中国をはじめとする世界の文字のいわば鉱脈の中から、日本人が日本語を書くためにふさわしい形を求めて、足りないものを造って補い、余分なものを切り捨てるなどして彫琢してきたものである。その字体も省略と整理を施しつつ、意味も日本語に適応するように調整しながら磨き上げてきた。ものである。むろん日本語自体も変化し続けたが、文字についてもそれに対応する工夫がまた先人たちによって重ねられてきたからこそ、今に至るまで残り、日々日本の文章にちりはめられているのである。その生命力の根源は、ことばを適切に書き表そうとする漢字の持つ意外なほど柔軟な対応性である。よくもあしくも個々人、地域、社会という多様性を生み出してきた「根」からも、表記に最も適したものを吸い上げることで表現に幅を与え、枯渇することなく活力のあるものとなってきた。
 活字離れや手書きの機会の減少が進む中で、漢字を丸暗記やパズルなど遊びの対象にすることは、漢字の特質である表意性さえも忘れさせかねない。漢字を反射的にえられる直感的なイメージだけでとらえることの危うさは、諸章にふれてきたように名付けだけにとどまらなくなっている。日本人がみずからの文字についての観察を放棄し、思考を失うときが来れば、また、過去から続く営為をふり返ることもしなければ、的確な選択も創意工夫もなされなくなり、日本の漢字は過去の遺産となるしかないのであろう。」(215〜217頁)


「大きな書店で最大の『大字典』を買うが、「龍」は三つ重なった字までしか載っていない。ついには、中学生なのに祖父母の援助と母の許しを得てその三倍の漢字を収めるという『大漢和辞典』を購入し通覧までするが(略)『異体字研究資料集成』も揃えたが、やはり見出せない」(221頁) →ここで驚愕


「一方、漢字をよく覚えている「漢字博士」とかクイズで勝ち残って「漢字王」とよばれる人はたくさんいるのに、漢字研究者は極めて少ない」(223頁) →さきの名前のくだりに次いで、身に染みるほどわかる

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ちなみに、命名に関してなんだけれど、まったく同感。
特に女子の名前(男子の名前は昔からのしきたりとかもまだまだ色濃いから一旦差し置いて)に、字の意味はあまり考えず、発音だけで「奈」とか「菜」とか(ほかにもいろいろあって一例でしかないけれども)、なんでそんなに名前につけたがるんかね。女の子だからといってすぐ花の名前にするのもいかがなものかと思うし。
ごく個人的な感性なんだけれど、命名においてはまず


①良い意味(特に人にとって)の漢字
②発音の響きや言葉(元の語彙)の意味
③度をすぎない遊び心(読みも漢字も、難しすぎず陳腐すぎず、若干変わった部分も含み、そして既存の名前の規範に収まらず、しかしおかしすぎず)
④気持ちや願い、託したいもの、価値観(まあ広義では①に含まれるけれど)
⑤変なあだ名つけられいじられることがなさそうなもの(広義では③に含まれる)
⑥少し高尚を利かせて、何かしらの由来・典拠があるもの。
この条件を全て満たすものが良いかと思ってる。
そういう意味でいい名前(日本人名)の候補結構持っているので命名はお任せあれ!僕は子どもどころか結婚すら危うい人間なので、かわりにストック使ってください(え?)


+⑦まあ姓名判断的にもよければいいんだけど、そこまでは流石に難しいと思う。迷信的なところもあるし、わりかし屁理屈なところもあるからな。

こんなのってもはやシャーマニズム的な呪術の域だよね)

そういえば数年か前に、テレビで命名を職業とする人が出演し、「実は「陽」の字は女の子の名前に使うとあまりよくないんです、男性器の意味もあるので」みたいなことを言ってて、流石に呆れた。いやいやいやいやあなた漢字の素養ゼロなの?と。あとその字で最初にそれを思い出すあなたの脳みそもいかがなものかと。そんなに名前に運命とか期待するのだったら、その分子どもをいかに立派に育てるかを考えた方がよいかと…。

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