辺境反縮逃中記 1日目~2日目(2020年2月23日~24日) 「パスポート」

(前のブログの2020年03月14日の記事を転載)

 空港についたら、重たすぎてパスポートを投げ捨てた。

 ものは不自由である。「既自以心爲形役」(陶淵明)ともいうじゃないか。紙切れなんかに俺の生き先を制限されることは、とても不快なこと。パスポートを捨てたら妙に落ち着いてきた。なんなら意地張ってこのまま帰らないでやりたい。現実的にはできないのだが、そんな気持ち。今後も、旅に出て帰らないことがあれば、その理由は恋ぐらいしかないだろうから。

 雪。雪のせいだ。恋に落ちるのは雪のせいで、帰りたくなくなるのだはまた雪の司るお仕事。何もかもが白くて、漠々していて、まるで俺を閉じ込める監獄のよう。こんなとこでパスポートをもっているのは、とてもダサい真似。

 俺は光る何かを持っている。なお輝く恋もしている。それがどうした。何もかも吸収してしまいそうな雪の白色は、そんなことはもうどうでもいいといっているかのように。ひたすら世界を、形跡を、俺の歩んできたすべての足跡を消そうとしているかのように。ある旅路、俺の歩いてきた足跡を、誰かが見て欲しい、たまにはその大きい足跡に、自分の足を合わせてみてほしい。そういう気持ちは、世の中で道を迷った人の願望。あわよくば、見知らない方向から、別の足音がだんだん大きくなってきてほしいという気持ち。それが恋であれば、それすべてを消して、あえてその方向には振り向かず、別の方向に転換してしまうという潔さも、また恋を呼べない理由もなかろう。ああ、言葉を捨てに北海道に来たのは正解だった。言葉がなんだ。すべてが、粋と雪のせいだ。何もかもが光っている地、北海道へ。

 逃げようと思って飛行機をとったら、荷物が醜すぎて泣いてしまうのも、雪の作用だ。ぜひとも、北海道に行くときには靴は二足、荷物は軽く。足を埋めて、信号なんかは無視して、世界に残されたたった二人で突っ走れるように。ああ、北海道行ってくるよ。誰かが好きになってしまって。俺の風も、君の風もすべて何もかもがこの地に向かい、合流しそうだ。海の向こうから到来するかもしれない微かな香りの可能性、あるいは予感は、ああ、それではあなたはおわりだ。それも恋なんだから。

 雪で凍った道を滑ってまっしぐら。それも恋でありかつ雪のせいだ。そこでできることはあまりない。ただただ、俺も真っ白になることぐらい。頭を真っ白に染めることぐらい。白髪をむかえてもいいところ。脳みそのなかを空っぽにしてもいいところ。誰かに届かない手紙を送ってもいいところ。北海道。ちなみに、一個嘘ついたけど、さすがにパスポートは捨てて、じゃなくて無くした、だけどね。

 涙が足りないとき。感情の露弊物がうまく出せなくて、体内に涙が満ちるとき。だから窮屈で、体内に降る雨をどうしようもなくて、進むも退くもできないときに、北海道にいきなさい。帰ってきたら、溶けた雪のように、涙が出てくるのだ。

***

 宿についたら宿泊者記録を記す紙がおいてあった。パスポート番号をかけなければいけない。

 パスポートを探した。見つからん。しまった。どう探してもないわ。絶対どこかに落とした。税関は無事通過した。確かフリースかコートのなかのポケットに入れたはずだけど。落としたならコートに入れたはず。コートは途中でコインロッカーに入れたからフリースよりは落とした時点を特定できてよかった。

 そのところで、親から電話が来た。いつ帰ってくるんかと、明日にはくるのかと。

 は?だって昨日、一応入国審査で問題になるかもしれないから、変更することがあっても一応帰りは29日にとっておいたわけ。そもそも沖縄もいって何週間は回るつもりだったのに。コロナ心配はわかるけど、だって今地元の方がやばいやん。そもそも、家のゴタゴタが煩わしくて。しかもこんないい都市離れられるわけない。病気もくそも全部いやだと思いながら、聞き流して電話を切った。

 いっそ、パスポート捨てたことにしよう。国民でなくなりたい、パスポートなんかそんな象徴。パスポート捨てれば俺の退路がなくて家にしばらく帰らなくてもよくなるだろうと。

 もちろん、さすがに俺でもちょっと焦って、ソワソワしてきたのは、ここだけでの秘密としよう。それを秘密とするために、電話を切って書いた文を上に、若干加筆した状態で載せておく。そして、俺はさきほど買ったノートに、筆ペンで落書きをはじめた。

 ハガキを送ろう。できれば俺の命が、魂が、すくなくとも目線でも、好きなあの人の足元にとどいてほしい。そんな気持ちで。ハガキには何を書けばいいんだろうを、長く考えながら。

 書いては雪に埋もれて、書いては紙に埋もれて、真っ白に帰するあなたの名前を、抗うかのように必死に書き続けた。そんな夜だった。めんどくさい。パスポート探しの旅には、明日出よう。

***

 Aさんとのやりとりで。

 恋多き人と言われた。

 言われたことも考えたこともないけれど、本当にその表現自体は正しいと思いながら。

 それがすごく新鮮で、わかってくれたことが嬉しいと思いながら。

 されどもその事実は呪いであるとも思いながら。

 前世に誰も愛せなかった罰かと思いながら。前世に誰にも愛されなかったことは、それは紛れもなくきっと大罪なんだろうなと認めざるを得ないと思いながら。だから恋は大罪なんだろうなと痛感しながら。

 前世に愛した顔で人は生まれ変わるとしたら、今の俺は一体誰の顔で、そもそも俺はカオナシの人間ではないと思いながら。そしてまたある有名なアニメ映画のキャラを思い出しながら。

 ならば、今生恋多き俺は、一体来世では誰の顔を生まれ変わるかを真剣に悩みながら。あの数多き君たちの顔のなか、どれになるだろうと思いながら。恋多き人にそもそも来世はあるのかと思いながら。

 ああ、雪が降る、雪が降る。俺はまたどの顔でこの世を降ってくる。

 今死ねば君の顔で生まれ変われるか。

 ドッペルゲンガーは互いにあってしまえばどちらかが死ぬという。

 今死んで君の顔で生まれ変われば、君に会えなくなる。やはりそれは、罰だという考え。

 来世俺の顔で生まれ変わる人は誰だろうか。

 だから俺は憎い俺の顔を愛すしかないと思いながら、それも十分罰だと思いながら、前世からの業だと思いながら。

 だから、恋多き人という「褒め言葉」を積極的に抱きしめていきながら。

***

 今から交番行ってくるよ。

 と、シャワー浴びてきてまるで誰かに声をかけるような思いをしたら、今度はメガネが見つからん。ああ、真っ白すぎる。メガネはなければ余計にさらに探しにくい。理不尽すぎる。恋もそんなもんだ。

 パスポートの件もそうだし、ああ、ポンコツすぎる。恋ってもともとこんなにポンコツなのかな。愛は乱暴、恋はポンコツ。ダサいな。それでもポンコツと悪者が、手をつないでいった道の先でまた道を迷って、メガネをなくしてもまたそれは妍しいのかなと思った。

 あ、そういえば、最近ずっとブーツほしかったし、昨日例の同期とあった直後、靴を間違えて靴下が濡れたという文句を俺は漏らし、彼女は帰りのとき自分のブーツを見せながら「そうそう。札幌はブーツなんだよね」と言った。それで、よく人の靴を見ていた。本当に革靴やブーツが圧倒的に多い。

 昨日は、恋するあなたの足があれほどほしかったので、俺の襤褸な足をずっと見つめていてほしかったので、今日はまずブーツを買おうと思った。これから迷うというのに、迷ったら旅路が恋路ともなるというのに、恋路となってしまっては相当迷うだろうに、こんな靴じゃだめだと。

 そういえば、昨日同期と、すすきのの地下道を歩いてたらその話をした。

 さき最初の店向かうとき、ここ通ったんだけど、札幌は靴屋が多い気がする。

 あ、たしかにそうかもしれない。

 偏見かなと思った。だからずっと注意深く観察したら、やっぱり多い。ああ、いい街。ここなら、やはり俺の背後を任せる。ここなら俺の足を埋めてもいい。

 ブーツを買いに、札幌駅のABCマートに。すすきの駅の地下をまた通っていたら、いろんなお店がある。ストンマーケット、ワールドコレクション、刃物屋に箸屋まで、名前さえふわっとしている店もいるのに、それがここまでほっとすることか。

 ブーツを買った。ついでにいいものがあって、普段からほしかったローファーも買った。足が六本になってしまった。いつでも入れ替えられる足があることがこれほど心強い。

 ブーツを買ってまた下に降りれば、楽器屋さんがあった。そこに、ちいさめの三味線が陳列されていた。やけに触ってみたくなる。いい音がした。軽くてちょうどいいサイズ。旅行にももっていけそうだ。ずっと楽器をもって、音を盗んで旅に逃げることが夢だったんだ。なんなら、これをもって稚内にいけば、もっと効果的に泣けそうな気もした。

 値段が書かれていない。まあこの都市にあと1週間はいるから、通りかかるたびに足のようにずっと見つめよう。

 また駅に戻って、もし駅・駅周辺かコートを入れたコインロッカーにうっかり落とした可能性があるので、JRの忘れ物センターに行ったが、ないらしい。警察に行って、ちょっといろいろ手続きも踏んだけれど、まだ届いていないらしい(そういえば、日本でパスポート無くして警察行ったのはこれが二度目)。これは困った。どこだろう。実は、新しく買ったブーツ、足首よりすこしうえのその入り口のへんのところが痛くなってきた。この旅は足との闘い。足で苦労するんだろうなと。とにかく座りたいけど、生憎とにく座るとこもうまっている。正直不安でソワソワしてきた。空港で落としたはずはない。確率的にバスか道端だろうけど、道端は一応探しようがない(そのうえに雪がつもったらなおさら)。それなら領事館で発給してもらうしかない。とりあえずバス会社に電話をしなければいけないんだが…。バス会社がわからないし、とりあえずどこか落ち着いて静かなとこで電話をしよう。カフェとかかな。昨日、紀伊国屋の二階にスタバがあった。そこ行こう。

 紀伊国屋につけば、すぐやる気がなくなって。落ち着けそうにない。静かでもない。というか、そもそも電話できないかもしれないじゃん。公衆電話この時代になさそうだし、同期に頼むにも今仕事中だろうし、そもそも頼み事苦手だし…。ただ、本屋の前のベンチに座って、外を眺めていた。そもそも電話は苦手だわ。足も痛いわ。無駄に出ては、無駄にまた宿のマンションに帰ってしまった。足が痛いわ。

 しかも、空港から札幌市内までのバス路線を運営しているのは、3社もあるようだ。出発時間で調べたら、どうやらH社っぽい。電話かけたら、ローミングサービスがいけたか、かかった。いろいろ説明をしたら、確認するので10分ぐらいあとで電話かけ直してくださいと。そして電話をかけ直したら、あったそうで。すぐお伝えはできないようで、いつ取りにこられるかと。明後日。問題ないそうだ。一件落着。強がりたいところだけれど、ほっとしたこともまた否めない。

 変なとこで強がる意地っ張りだ。強がりはしても、それがぎこちなくてすぐばれてしまう、感情の貧乏なやつだ。強がらなくてもいいんだよ。恋でも。

 まるで出勤でもするかのように、そこに行けば好きな人でもいるかのように、特にやることも決まっていなくても、すぐ外出て札幌駅に行く癖がついてしまった。例の同期は、26と28が空いているといったので、26には一応札幌にいようか。じゃ札幌から離れるなら明日か。いきなり遠いところは怖い。小樽。明日は小樽に行こう。小樽がどんなところかもわからずに、あんなに綺麗で俺の全身全霊を魅了してしまうほどに、俺の人生に憑依して影を落とすことになるとはわからずに。ただ、8月に北海道旅行を計画していたときに、本で小樽はそんなに遠くないと見ただけで、なんとなく、一日ぐらいは、と思って、小樽に行こうと思った。

 マンションを出て札幌駅に向かう。地上の道で。ああ、あれがテレビ塔か。はじめてみた。あれ?あの赤煉瓦の建物はなんだろう。なるほど。旧道庁か。昼の札幌の地上は、端正な顔をしていると思いながら、札幌駅に向かった。向かったものの、なんのやることもない。たわいなく、ぶらぶらする。紀伊国屋にも行ったりする。ただ札幌はいるだけで、見つめるだけでいい。まだ二日目の札幌。またこの都市に人見知りしている。すこしだけ、心を下ろして落ち着いて、まずは恥ずかしがらないように、もっとこの都市の顔を観察して、なにもしない旅行として、もうちょっと札幌ちゃんと親しくなろうと思った。でも、悪い感じはしない。この子は、とてもいい子そうだ。かわいらしい部分もある。愛想のいいかもしれない。ああ、ぞっこんだ。べたぼめだ。恋をしてしまったら、そうやって仕方なくなってしまうのだ。そういえば、昨日ぱっとラーメン共和国なるものをみた。北海道はなんとなくラーメンのイメージがあることに気づいた。あ、ラーメンでも食べに行こう。福岡のラーメンスタジアムでラーメンを食べたように。客引きをする店員さんたちの声を聴きながら。頑張ってんだろうな。俺も頑張ります。札幌と仲良くなりたい。あなたとそうしたように。ハガキはどうしようかな。明日は小樽いくんだから、今日はすこし早めに寝ようね。おやすみ。

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