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香川県民、カザフスタンでうどんを食べる

「カザフスタンにはラグマンっていううどんみたいな食べ物がある」

と大学の図書館であの女性は教えてくれた。私は当時ハタチになったかなっていないか程度の年齢だったが、彼女は長年のキャビンアテンダントとしてのキャリアの後に大学生活を過ごしていた。

彼女とまともに話したのはこれが最初で最後である。実際、なぜラグマンの話になったのか、それどころか彼女の名前も一文字も覚えていない。ただ、これ以降、私の中でカザフスタンはうどんの国として認識されるようになっていた。

といっても、カザフスタンが「うどんの国」になったところで、その事実は今に至るまでの8年間で私の人生に何の影響も及ぼさなかった。風が吹けば桶屋が儲かるなんてことわざもあるが、カザフスタン人がうどんをゆでても、私に懐には一銭も転がり込んでこないらしい。

ただこの8年で一つ変わったことと言えば、私は今、うどんの国で生活をしている。つまり、故郷大阪を離れ、香川県民になっていた。

そして2023年2月、私は今、カザフスタンに居る。少し長い休みを利用して、ウズベキスタンを旅行しよう思ったのだ。ただせっかくなら近くの国にも寄ってみたい。そうしたときに目に飛び込んできたのが、海の向こう側、否、大陸の向こう側といってもいいのかもしれない。そんなところにある「うどんの国」だった。

カザフスタン・アルマトイ空港

カザフスタンの商都アルマトイには、大きなバザールがある。食料品や衣服はもちろん、虫やネズミの忌避剤の専門店や水道の蛇口を大量に売っている人もいる。アルマトイの中心部は物価も日本に似通っていて、洗練された町であったが、このバザールには雑多な賑わいが溢れていた。

グリーンバザール入り口

余りにも広いバザールで疲れを覚えた私は、一軒の飯屋に入った。とりあえずコーヒーでも頼もうと思ったのだ。店員に現地の言葉でどこの国から来たのかなんて確認をされたり、まさかのインスタントの甘ったるいコーヒーが出てきたりとしていると、一人の白人男性が私の隣のテーブルについた。

店員の現地語で何かやり取りをしたあと、驚くように「君は日本から来たのかい?」と英語で話しかけられた。パッと見た限り60歳前後かという彼はフランス人らしい。そしてかれこれ13年間、フランス式のパン屋をこのアルマトイで営んでいるとのことだった。

そして彼はこう尋ねる。「ラグマンは食べたのか?」と。

実はというと私はこの日も朝からラグマンを探していた。ただ全く分からないロシア語や現地語の前に成すすべなく今に至る。
彼曰く、この店のラグマンは絶品らしく、ほぼ毎週ここで食事をするらしい。そのため、せっかくなのでこの店でラグマンを呼ばれることにした。店員のおばさんになんとかラグマンと伝えると、彼女は笑顔を返してくれた。

そんなひと時も束の間、背中にフランス人の声がする。「ラグマンには汁ありと汁なしがある。どっちを食べたい?」と。夏でも熱いかけうどんを好む私は、もちろん汁ありを選んだ。そして彼はどうやら汁ありを注文してくれたらしい。

注文後すぐに薄いパンが席に届いた。それにカメラを向けると、居合わせた店員、フランス人、そして若い女性グループ客も一斉に笑い始めた。どうやらどこの店でも提供されるこのパンを写真に収める私の姿が可笑しかったらしい。きっと日本人からすれば、コンビニのおにぎりを撮影している外国人を見かけたようなところなのだろう。

ナンという名前のパン

そうすると厨房から何かをたたきつける音がする。「早く写真撮ってこい!ラグマンを打ってるぞ」とフランス人が大きな声で言う。実はというとバザール全体としては原則写真撮影が禁止である。実際、バザールに入る前に手に持っていたカメラをリュックしまうようにと警備員から忠告を受けていた。そんな心配を彼に確認すると、彼は店員に事情を説明し、どうやら撮影許可を取ってくれたらしい。早く行け!と彼は背中を押してくれた。

打ち立てのラグマンが食べられると思うと心が躍る

カメラを厨房の職人に向けると、彼はどこか恥ずかしそうな顔をした。そのため一瞬私も撮影をやめようとしたが、店員のおばさんは「日本から来たらしいから、許してやれよ」と彼を諭していることが分かった。そしておばさんはやはり笑顔をこちらに向けたので、ありがたく甘えさせてもらうことにした。

席に戻って5分もするとラグマンが私の前にやってきた。ニンニクとネギの香りが鼻を貫く。おそらくショウガも入っているだろう。また同時に箸が緑色なのに少し驚いた。また具として、羊肉、パプリカ、トマト、そして赤唐辛子がある。

そして何よりも美味い。これまで14か国を旅してきたが、海外で食べた料理で一番美味しいといっても過言ではないように思う。説明はしきれないが、トマトベースの汁は動物的な出汁が染み出ている。ただ脂っこいなんてことはなく、比較的あっさりとしたその汁は天ぷらを沈めた後のうどん出汁を彷彿とさせた。

麺の見た目は乾燥うどんやパスタのフェットチーネのような感じだが、コシはピカイチ。香川ではコシの強い面を「男麺」と呼ぶが、このラグマンは確実に男麺である。そんな麺を夢中にすすらずにはいられなかった。

たしかにパッとした見た目も出汁のベースも異なる食べ物ではある。ただ8年前、彼女が「うどんみたいな食べ物」といったのも頷けるくらいに、ラグマンはうどん然、いやうどんであった。

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