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予想は予想外のためにある

「予想通りになるうちは、予想がまだ足りていないということです」

「なんでも思うようになると思うな」

「なんでも思うようになると思うな」

こうして怒られたことはもう何回あるだろうか。もう数え切れないくらいになってしまった。

いかんせん私自身も自分の考えを伝える時に、自分の・相手の感情よりも論理や事実に焦点を当てて話してしまう癖があるので、相手からすればドライな人間に見えるのかもしれない。

例えば、話し方としては、

「このように予想すると、このような結果が想定できるので、このように動いてみたい」

他方で、心のなかでは予想に基づいて動いた結果「予想外」に出会いたいと思っている。

思うようにされたくないだけ

私自身の非は認めるとして、ただ「思うようになると思うな」と威圧してくる人は、単に他人の挑戦を喜べない人が経験上多いように感じる。

私からすれば、思うようにならないのではなくて、思うようにされたくないだけなのだ。
もっと言えば、その人自身の「思い通り」を実現したいだけなのである。

他人の成功や挑戦を喜べないから、初歩の段階で可能性の芽は摘んでおく。そうすれば、自分が嫉妬したり、悔しい思いをしなくて済むわけだから。

予想は予想外のため

こう考えて止まないのは、大学院時代の経験にある。

「予想は予想外のため」

私は研究を通じて、そう感じた。人間だから、人生だから、全てを予想することなんてできない。また全てが予想通りに行く人生なんてロマンもないし、面白味もない。

だからこそ、予想外があっていいし、予想外こそが面白さだと思っている。そのため、私としては思うようにならないことを楽しみにもしているのだ。

ただ予想外の価値に気づくためには、予想しなければならないというパラドックスがある。

予想したからこそ、予想結果と比較して、現状の問題点に気づくことができるのだ。

予想もしてないのに、誰も気づいてない問題を見つけられたなら、それはもはや奇跡としか言いようがないだろう。

予想通りの向こう側へ

「何本も本や論文を読んで、いろんな人の話を聞けば、違和感は絶対に見つかる。その違和感がなぜ生まれるのかを論理的に予想して、現場で確かめることが大切」

こう教えてくれたのは大学院時代の指導教員である。

そして、彼は加えてこう言う。

「そして、だいたい予想は当たらない。ただ緻密な予想が当たらないということ、それは新発見だから論文にする価値がある」

繰り返すが、予想外、つまり思い通りにならないことにこそ大きな価値があるということだ。

だからこそ、他人を自分の思いのままに動かそうとしてはいけないし、ましてや挑戦を否定してはいけない。

なぜなら、挑戦したいという気持ちはまだまだ予想作業の途中だからだ。そしてまた、挑戦すること自体が、予想外と出会おうとする試みだからだ。

だからこそ、私が大口を叩けば叩くほど、

「予想通りになるうちは、予想がまだ足りていないということです」

という彼の言葉がずしりと心に響いてくる。

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noteを書き始めてから、これまで出会った方に教えてもらったことを思い出すことが増えたように思います。

この指導教員の先生には他にも、

「分かった気になった時は、分からなくなるまで、本を読んだほうがいい」

なんて言葉ももらいました。

様々な人からいただいた素敵な言葉をどのように伝えればいいのかについて、PCの前でほぼ毎日頭を抱えております。

それでも、教えてもらったことは誰かにまた伝えるのが大切だと思う質なので、こうして書き記せればいいのかなと。

ただ口で伝えると説教臭くなるので、自分には文章くらいが丁度いい気がしていることだけは確かです。

というわけで、本日はこれにて。
ご清読ありがとうございました。

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