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鬱屈が晴れたら何を書けばいい?【書くことを続けるために①】

いわゆる「振り返り」を2回に分けて投稿しようかなと。超自分語りですが、よければ読んでやってください。

かれこれnoteでいろいろ書き始めて、1年8か月ほど。
平日毎日投稿しているわりには、自分なりには割とネタ切れをあまり感じずにここまで来ました。(しくじったことももちろんあります)

とはいえ先月くらいから「あれ、書くことねぇな」と思うことが少しずつ増えてきたように思います。私のnoteはエッセイと主に社会評論めいたコラムが多いのですが、特に後者のコラムを書くネタが見つからないのです。

私自身はもともと人文社会学系の大学院に在籍していたので、このような評論記事は比較的書くのは得意なはずなのですが、そもそもネタが思いつかなければ・・・という話で。

では、なぜこの頃ネタが思いつかないのか?と考えていると・・・

「俺、今、わりと満足してない?」

と思ったのです。つまり、鬱屈がかなり減ったと思うのです。

なんとか宿をopenしてみれば、遊びに来てくれたお客様がいて。今年一年だけでも本当に多くの【初対面の人】と沢山お話しさせていただきました。
もしかすると失礼なのかもしれませんが、「こんなに楽しくさせてもらってるのに、お金もらっていいのかな」と思うこともあります。あげくヘルパーさんを募集してみれば、12月・1月とそれぞれ宿に来てくれて、2月も申し込みがありました。

唐辛子の生産・販売もまずはワンシーズン、業者さんへの納品を終えた。また個人さんへの販売についても沢山暖かい言葉をかけていだきました。noteのフォロワーさんも唐辛子を購入してくださり、記事にしてくださった方も。

もちろん経営的には、アルバイトを完全に卒業できるほど稼げているわけではありません。それでも、来年度に向けてアルバイトを減らしてもらう交渉をしてみたり、お金を生むための手段として新たに取り組んでみたいことがあったり。また「こんなことしたらお客さん喜んでくれはるんちゃうかな」と日々思ってみたりもしています。
昨年古民家を毎晩掃除してた頃に比べれば、よっぽど気楽で主体的になってきたなと思うところなのです。

また単純に、

「まぁ、そんとき考えるか」「どうにかなるやろ」

と不安を先延ばししたり、根拠のない自信が出てくることが増えてきました。だからこそ、気が晴れずにふさぎこむような気分、すなわち鬱屈がやはり小さくなっていると思うのです。

たぶん今までは、鬱屈を根源とした社会への憤懣みたいなものが体の中から溢れんばかりに生み出されていたのかなと思います。だからこそ、それを浄化する手段として社会のような大きな対象を評論していたのかもしれません。ただそれも「まぁ、そんとき考えるか」「どうにかなるやろ」には勝てないっぽいのですが。

なので、今後はそんな鬱屈や憤懣が現れたら、もう少し丁寧に向き合ってやろうかなと思っています。もちろん2年目のジンクスになぎ倒されて、憤懣だらけになるかもしれませんが・・・。

そして、記事を書き続けるもう一つ始めたこと。
それはエッセイとは異なる「ちょっとした小話」を書いてみることにしました。

(つづく)


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