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銭湯料金には「優しさ」が詰まってるー現代日本に唯一残る物価統制と銭湯

銭湯がこの社会に存続し続けていること自体を、私は「優しさ」と呼びたい

銭湯の料金表を見上げる

入浴料金表
大人400円(12歳以上)
中人150円(6歳以上ー12歳未満)
小人60円(6歳未満)
香川県告示により料金を上記の通り定められました。平成27年12月1日
香川県公衆浴場業生活衛生同業組合

とある香川県の銭湯にはこの内容の料金表が掲げられていた。

銭湯は日本全国似たような値段

読者の皆様は、「銭湯って安すぎない?」と思ったことはないだろうか?少なくとも私は銭湯に行くたびにそう思う。まして私は今回、銭湯の料金表を改めて見上げたことで、初めてその料金が行政によって決定されていると知った。

たとえば私の暮らす香川県ではその入浴料金は400円であり、1杯1000円近いドリンクを提供する飲食店がひしめく東京でも、その料金は470円。日本全国を見渡しても平均430円もあれば、湯船につかることができる。

銭湯とは、押しなべて料金に日本全国で大差のない施設なのだ。

改めて銭湯とは何か?

ただこの安さは単に「設備が古いから」といった理由に起因するものではない。

ここで厚労省HPの「公衆浴場法概要」に目を通すと、我々が日頃、銭湯と呼んでいる施設は、どうやら法律的には「一般公衆浴場」に当たるようだ。ちなみに一般にスーパー銭湯・健康ランドと呼ばれる施設は、「その他の公衆浴場」である。

どちらも公衆浴場であることは確かだが、この2つには大きな違いがある。それは料金設定だ。「一般公衆浴場」の入浴料金はやはり行政が決定する一方で、「その他の公衆浴場」では自由な料金設定が許されている。

つまり、銭湯をはじめとした「一般公衆浴場」は自身で入浴料金を決められない。これは一体なぜなのだろう。

銭湯の社会的意義

「一般公衆浴場」:地域住民の日常生活において保健衛生上必要なものとして利用される施設で、物価統制令(昭和21年3月勅令第118号)によって入浴料金が統制されている
「その他の公衆浴場」:保養・休養を目的とする施設。

厚労省HP「公衆浴場法概要」より筆者まとめ

保健衛生を守る、たとえば地域住民を感染症や流行り病から守るためには、彼らには日々の汚れを洗い流し、身体の清潔を保ってもらう必要がある。とはいえ家に風呂がないという人もいるだろう。つまり、銭湯を始めとする一般公衆浴場は、地域住民もっと言えば日本国民がいかなる状況で生活していようとも身体を清潔にすることのできる施設である。だからこそ、銭湯は格安でなければならない

そのため、銭湯は「地域の保健衛生を維持する」という社会課題の解決に向けた公的側面を持った施設でもある。この意味では、スーパー銭湯はあくまで保養や休養という娯楽が目的される以上、このような社会課題の解決の責を負ってはいない。

現代に唯一残る「物価統制令」

また銭湯で注目すべきは、「物価統制令」に基づいた料金設定がなされている点にもある。物価統制令とは、戦後闇市の拡大で起きた急激な物価上昇を抑え、国民生活を安定させるために発出された勅令のことだ。

第一条 本令ハ終戦後ノ事態ニ対処シ物価ノ安定ヲ確保シ以テ社会経済秩序ヲ維持シ国民生活ノ安定ヲ図ルヲ目的トス
第二条 本令ニ於テ価格等トハ価格、運送賃、保管料、保険料、賃貸料、加工賃、修繕料其ノ他給付ノ対価タル財産的給付ヲ謂フ

引用:https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=321IO0000000118_20150801_000000000000000

戦後に荒廃した日本では、第二条を理由に様々な料金が統制下にあったわけだが、もちろん今となっては、そのほとんどについて統制が解除された。そして2022年現在で未だ統制されているのは、一般公衆浴場に係る入浴料金だけである。これを考えると、「風呂に入る」という行いは、この国における生活では、そのくらいに無くてはならないものらしい。

家風呂全盛時代の「優しさ」

と、このような記事を書いていても「わざわざ銭湯で風呂なんか入らなくても、家で入るよ」という人がほとんどだろう。実際、銭湯は「家風呂」の普及で長らく経営難に陥っており、その軒数は右肩下がりだ。

であれば、私はふと思う。どうせみんな「家風呂」なんだから、統制を取っ払ってしまえばいいじゃないか

しかし、ご紹介した通り、いまだ銭湯の料金はやはり統制下にある。そのせいで、私はそこに勝手ながら「優しさ」を感じてしまうのだ。

「風呂でも入ってから考えろ」と人間の尊厳

「とりあえず風呂でも入ってから考えろ」なんて言われたことはないだろうか。悩んだとき、傷ついたとき、そんなときに私達を迎えてくれるのが風呂だ。

以前不登校児童の支援活動をしている方が、引きこもりで長らく自室から出てこなかった児童に最初に施すのは入浴だと言っていた。公衆浴場法でも保健衛生について言及があったが、身体の垢や汚れを洗い流すことこそが、人間が人間としての尊厳を取り戻すということに繋がるのかもしれない。

「法に優しさなんていう感情があるはずない」という批判もあるだろう。確かに事実としてはそうだ。
しかし、私たちは明日、家族と揉めて家を飛び出すかもしれない。勤め先が突如倒産し、社員住宅から退去を命じられるかもしれない。いかなる状況においても、銭湯だけは私たちを受け入れ、身を清めてくれる。その証左として、銭湯には入れ墨を刻み込んだ人だっているではないか。社会通念としての悪をまとった人だろうが、家を失った人だろうが銭湯はそれを拒まない。なぜなら、公衆浴場法によってその門戸が開かれているからである。
そのため、このような銭湯がこの社会に存続し続けていること自体を、私は「優しさ」と呼びたいのだ。

ここまで銭湯について、長々と熱弁をふるってしまった。自分なりに銭湯の魅力をお伝えしたつもりだが、何か不足があるような気もしている。

あぁ、この続きは銭湯で「とりあえず風呂でも入ってから考えよう」。

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